夏の第1回大会に出場した文武両道の進学校
秋田県立秋田高校は、1873年(明治6年)創立の文武両道の進学校だ。野球部の設立も古く1886年(明治19年)とも1894年(明治19年)ともいわれている。甲子園出場は春が5回、夏が19回と計24回の出場を誇る。
特に夏の甲子園では、1915年(大正4年)に行われた第1回全国中等学校優勝野球大会に出場して、準優勝に輝いている。全国から10チームが参加したこの大会は秋田中と京都二中との間で決勝戦が行われ、延長13回、1-2で京都二中に敗れた。
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秋田県の甲子園常連校、秋田高校。夏の甲子園には第1回大会に出場して見事準優勝に輝いた。ここでは秋田高校野球部の歴史や甲子園での成績、卒業選手などについて紹介したい。
秋田県立秋田高校は、1873年(明治6年)創立の文武両道の進学校だ。野球部の設立も古く1886年(明治19年)とも1894年(明治19年)ともいわれている。甲子園出場は春が5回、夏が19回と計24回の出場を誇る。
特に夏の甲子園では、1915年(大正4年)に行われた第1回全国中等学校優勝野球大会に出場して、準優勝に輝いている。全国から10チームが参加したこの大会は秋田中と京都二中との間で決勝戦が行われ、延長13回、1-2で京都二中に敗れた。
秋田中時代には、夏の甲子園には8回出場してベスト4が1度ある。しかし、春の甲子園への出場はかなわなかった。春の甲子園に初めて出場できたのは、1965年の第37回大会だった。出場校は24校、北海道・東北代表として出場した秋田高校は、1回戦東海代表静岡県の静岡高校と対戦し、6-7で敗れている。
この試合は静岡が1回の表4点を奪って先行するも、終盤秋田が逆転、9回に追いつかれ、6-6のまま延長戦に入った。どちらが勝ってもおかしくない状況から、最後は11回に1点を取られ逃げ切られてしまう。
1965年は春に続き夏の甲子園にも出場している。9年ぶり12回目となった第47回夏の甲子園では、西奥羽代表として出場する。1回戦で大阪代表大鉄高校と対戦、延長13回4-3でサヨナラ勝ちを収めると、2回戦東京代表日大二高には、3回に一挙5点を奪って5-3で勝利する。続く準々決勝は、中九州代表大分県の津久見高校だった。
この試合は秋田打線が爆発、1回と4回に3点、7回には6点を奪う猛攻で13-1と準決勝に勝ち上がった。準決勝では同じ九州の福岡代表三池工業に3-4で破れるが、堂々のベスト4だった。
1996年第68回の、春の甲子園に5回目の出場を果たして以降、春の出場はない。この大会は東北代表として2年ぶりの出場となった。1回戦の相手は近畿代表兵庫県の滝川二高だった。1回に1点先制されるも、7回に追いついたがその裏4点を取られ力尽き、1-7で敗れている。
この時のエースが後藤光尊投手だ。後藤投手は後にプロ野球のオリックスに入団、内野手で活躍して全打順ホームラン、26打席連続安打などの記録を残している。
夏の甲子園には2003年第85回大会が最後の出場となった。2回戦から登場し、初戦の相手は奈良県代表天理高校だった。初回2点、3回1点と3点差になるが、5回1点、7回1点と小刻みに点を返し9回の攻撃に可能性を持たせた。
しかし、善戦及ばず、結局2-3で逃げ切られてしまった。以降甲子園への出場はない。2016年秋田県予選では夏の予選が3回戦で大曲工業に敗退、秋の県大会では2回戦で横手高校に敗れて東北大会には進めなかった。
秋田県の文武両道校、秋田高校野球部の歴史や甲子園での試合経過、卒業選手などを紹介した。戦前は甲子園の常連校として活躍してきたが、ここ数年は少し元気がないようだ。甲子園で見かけなくなってからでも十数年がたっている。今後の活躍に期待の声も多く集まっている。