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長崎県の高校野球をリードする海星高校野球部の歴史と戦績

2019 8/16 15:00SPAIA編集部
イメージ画像ⒸmTaira/Shutterstock.com
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長崎県の高校野球を引っ張ってきた海星高校。春夏合計23回出場は長崎県では群を抜いてトップだ。2019年には5年ぶりに夏の甲子園に出場。海星高校野球部の歴史や甲子園での成績を振り返る。

初出場から55年でつかんだセンバツ初勝利

長崎県の海星高校は、1892年(明治25年)に設立されたミッションスクール。野球部創設は1915年(大正4年)と古く、春のセンバツには1961年第33回大会の初出場以降計5回、夏の甲子園には1959年の第41回大会以降計18回の出場がある。

センバツではなかなか勝てなかったが、初出場から55年後、2016年の第88回大会1回戦で長田(兵庫)に勝ち、待望の初勝利を挙げた。夏の選手権大会では、1976年の第58回大会でベスト4まで進出した実績がある。

夏の甲子園は7度目の出場で初勝利

夏の甲子園では1959年の初出場から1968年の7回目の出場まで、一度も長崎県代表を他校に譲っていないものの、甲子園ではなかなか勝てなかった。夏の甲子園初勝利は、3年連続7回目となった1968年の第50回大会だ。

1回戦の対戦相手は新潟商だった。序盤は両校とも点が取れなかったが、4回裏に2点を先制すると5回、6回にも得点を重ね、10-1で大勝。続く2回戦も青森の三沢に3-1で勝ち、3回戦で興南に0-4で敗れた。

「海星対決」は1勝1敗

夏の甲子園では3年連続出場が2回ある。1回目は1966年から68年までの3年間、2回目は3年後の1971年からの3年間だ。この頃は長崎では向かうところ敵なしで、初出場の1959年から1973年までの15年間で10回出場している。残りの5年のうち1969年だけは長崎商に代表の座を譲り、4年は長崎県勢の出場はなかった。

1972年の第54回大会で珍しい対戦が実現する。1回戦で三重の海星と対戦したのだ。この時は長崎が2-0で勝ったが、次いで実現した1989年は三重が10-2で勝っている。

準決勝進出で「サッシー旋風」

1976年の第58回大会では、11回目の出場で初めて準決勝までコマを進めた。エースの酒井圭一は予選の長崎県大会、西九州大会(長崎県・佐賀県)の7試合で失点1、奪った三振70個と、注目の好投手だった。

1回戦では徳島商を延長の末2-1で下し、2回戦は福井に8-0、3回戦ではその年のセンバツを制した広島の崇徳に1-0と競り勝った。さらに準々決勝も東北に4-2で快勝し4強入り。準決勝のPL学園戦は2-2のまま延長戦に入る大熱戦だったが、惜しくも延長11回、2-3で敗れた。

5試合を投げ抜き40奪三振の力投で「サッシー旋風」を巻き起こした酒井は、この年ドラフト1位でヤクルトに入団した。

2016年センバツでベスト8

2016年の第88回センバツには、15年ぶり5回目の出場を果たした。1回戦は21世紀枠で出場した長田に3-2、2回戦で敦賀気比に2-1と接戦を勝ち抜き、準々決勝でこの大会準優勝した高松商に8-17で敗れた。

長崎県勢12年ぶり8強なるか

2019年夏は初戦(2回戦)で、13年連続甲子園出場を果たした聖光学院に3-2で勝利。3回戦は2試合で19得点を挙げている強打の八戸学院光星と対戦する。

長崎県勢は2009年センバツで清峰が優勝したが、夏は長崎日大が4強入りした2007年以降は2回戦が最高。勝てば県勢12年ぶりの準々決勝進出となる。