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鹿児島御三家の一つ・樟南高校野球部の歴史と戦績

2017 3/8 20:01hiiragi
野球
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Photo by mTaira / Shutterstock.com

鹿児島県の甲子園常連、樟南高校。かっては鹿児島商工の校名で甲子園で活躍、鹿児島実業高校、鹿児島商業高校と並び、鹿児島県高校野球御三家といわれた強豪校だ。ここでは樟南高校野球部の歴史や甲子園での名場面、成績などを紹介したい。

1994年までは鹿児島商工の校名で活躍

樟南高校は1883年(明治16年)に創立された鹿児島県の歴史ある私立高校だ。1994年3月までは、鹿児島商工の校名で甲子園に出場していた。
甲子園出場は、春が7回夏が19回と合計26回を数える。春の甲子園への初出場は、1980年(昭和55年)の第52回大会、夏の甲子園には1970年(昭和45年)の、こちらも第52回大会だった。どちらも初戦で敗れているが、春の大会ではベスト8、夏の大会では準優勝の実績がある。2016年には夏の大会に出場して2回戦まで進んだ。

春夏同時出場で同時初勝利

1982年(昭和57年)は記念すべき年となった。第54回春の甲子園に2回目の出場を果たすと、第64回夏の大会にも3回目の出場を果たし、春夏同時出場となったのだ。さらに、春の大会では、1回戦で四国代表徳島県の鳴門商業に、2-3から9回裏に2点を取って、逆転サヨナラで甲子園初勝利を飾る。夏の大会でも2回戦から出場して、秋田県代表秋田経済付属高に逆転勝ちを収め、夏の甲子園初勝利を挙げた。
春、夏共に初戦の1勝ずつで終わったが、自信の付く勝利となった。

3戦連続九州勢との対戦で準優勝

1994年の第76回夏の甲子園では、決勝戦まで進出する大活躍を見せる。3年連続10回目となったこの大会は、校名が樟南に変わって最初の甲子園だった。初戦の2回戦は秋田高に8-2、3回戦は福島県代表双葉高に4-1で勝利する。
ここまでは東北勢との対戦だったが、なぜか、準々決勝以降すべて九州勢との対戦になった。準々決勝は長崎北陽台高に14-5、準決勝では大分県代表柳ヶ浦高に10-2と快勝、決勝では佐賀商業と対戦した。決勝では2回に3点を先制するものの、逆転を許し4-8で敗退、優勝はできなかった。

最強バッテリーで臨むもベスト4で敗退

1999年第81回夏の甲子園には、エースに上野弘文選手(元広島東洋カープ)、捕手に鶴岡慎也選手(福岡ソフトバンクホークス)のバッテリーで11回目の出場を果たす。
1回戦秋田高に4-0、2回戦富山代表新湊高に10-1と勝ち進み、3回戦でお隣宮崎県代表の都城高に2-1で競り勝ち、準々決勝にコマを進める。準々決勝では青森山田高を4-0で退け、準決勝で群馬県代表桐生第一高と対戦した。この試合は息詰まる投手戦となるが、0-0で迎えた9回表2点を取られて0-2で敗れ、決勝進出はならなかった。

2016年延長再試合で勝ち取った夏の甲子園

2016年第98回夏の甲子園には、3年ぶり19回目の出場を勝ち取る。出場を決めた鹿児島県予選の決勝は、まれにみる大接戦だった。
決勝の相手はライバル鹿児島実業。試合は1-1のまま延長15回決着がつかず、翌々日再試合が行われることになる。その再試合も1点を争う大接戦で、結局3-2で勝利を収めた。甲子園では1回戦京都翔英高に9-1で勝つものの、2回戦では埼玉代表花咲徳栄高に6-3で敗れて姿を消した。この試合4回に1点を先制するが、6回7回に集中打を浴び6点を失うと、9回裏に2点を返すも力尽きてしまった。

まとめ

鹿児島県の甲子園常連校、樟南高校野球部の歴史や甲子園での成績などを紹介した。古くからの高校野球ファンには鹿児島商工の名の方がなじみ深いと思う。甲子園では一度決勝まで進み、惜しいところで敗れている。優勝目指して頑張ってほしい。