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野球の聖地・甲子園の歴史って?

2016 11/8 19:20
野球
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阪神タイガースの本拠地だけでなく、高校野球の聖地としても有名な甲子園。伝統ある球場だが、その歴史は意外と知られていない。甲子園内に甲子園歴史館がオープンされたが、来場する前に基本情報を押さえておこう。甲子園球場の歴史、その基本を紹介する。

そもそも甲子園って?

甲子園は兵庫県西宮市の地名だが、その代名詞となっているのが阪神甲子園球場だ。
プロ野球では阪神タイガースの本拠地として知られているが、実は全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)を目的に作られた日本初の大規模多目的野球場で、高校野球の全国大会が甲子園と呼ばれることでもおなじみだ。
また、アメリカンフットボールの全日本大学選手権の決勝も開催されるなど、これまで数々のスポーツの名シーンの舞台となってきた。

阪神甲子園球場の歴史

甲子園という名前は、十干十二支の組み合わせである「甲子」にちなんで名付けられたもの。阪神甲子園球場が完成した1924年が、ちょうどその年だったためだ。
大正時代にスタートした全国中等学校優勝野球大会は、それまでは同市内の鳴尾球場で開催されていた。中等学校野球の人気が次第に高まってきたことから、大会の主催者である大阪朝日新聞と鳴尾球場所有者の阪神電鉄によって建設が進められた。
その後、さまざまな改修や周辺の開発が進められ、2010年に現在の阪神甲子園球場に至る。球場外壁の蔦は建設当初からの特徴でもある。

高校野球における甲子園

毎年8月に行われる全国高等学校野球選手権大会は「夏の甲子園」と呼ばれることが多くある。各都道府県大会で優勝した合計49校によって、抽選で決められたトーナメント形式で行われる大会だ。
その始まりは、1915年に朝日新聞によって行われた全国中等学校優勝野球大会まで遡る。当時は大阪の豊中球場で開催され、その後、前述した鳴尾球場を経て、阪神甲子園球場に変更。第10回大会以降、86年もの伝統を誇っている。
3年生にとっては最後の公式大会であること、活躍すれば将来のプロ野球選手への道が切り開けることから、球児からは高校野球の聖地とされているだけでなく、日本中の国民が注目する大会となっている。

もう一つの甲子園

高校野球における甲子園は、夏の甲子園だけではない。毎年3月下旬から4月上旬にかけて行われる選抜高等学校野球大会も、センバツと呼ばれるほか、「春の甲子園」としてもおなじみだ。
こちらは阪神甲子園球場が完成した1924年から、夏の甲子園の人気の高まりを受け、毎日新聞によって主催されている大会だ(正式には翌年1925年の第2回から甲子園で開催)。
前年の秋季地区大会の成績を参考にした一般推薦校、2001年より導入された野球以外の分野で模範となるなどの理由で推薦された21世紀枠などによって選ばれた32の高校が出場する。
球児にとっては聖地とされる甲子園でプレーできる機会が増えるほか、夏の甲子園にも繋がる重要な大会で、夏と同様に注目される大会となっている。

甲子園の歴史をもっと知りたい方へ

2010年、阪神甲子園球場の外野スタンド内に甲子園歴史館がオープンした。ここでは阪神タイガース、高校野球、甲子園ボウルに関する歴史がそれぞれゾーンに分かれて展示されている。
高校野球ゾーンには、大会に出場した選手たちが記念に持ち帰るフィールド内の土や出場校の名が記されたボール、歴代の名場面、出場選手のユニフォームなどもある。また、高校野球グッズ、テレビ局による過去の資料映像など、甲子園ファンにとってはたまらない場所となっている。

まとめ

阪神タイガースの本拠地である甲子園。実はもともと高校野球のために作られたのが始まりだということはあまり知られていない。 それだけ高校野球の甲子園は伝統のある球場で行われる大会だということを考えると、これまで以上に注目していきたい。