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【動画】ダース・ローマシュ匡①嫌いな野球に向き合えた母の言葉―SPAIAちゃんねる

2020 7/13 18:00SPAIA編集部
イメージ画像ⒸIvan Davydenko/Shutterstock.com
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嫌々始めた野球…母親の言葉で前向きに

元日本ハムの投手、ダース・ローマシュ匡氏がSPAIAちゃんねるに初登場し、自らの半生を赤裸々に語った。龍谷大平安高校野球部出身の「SEOLY(セオリー)」こと株式会社New Wing代表取締役の背尾匡徳氏と、株式会社グラッドキューブのCEO金島弘樹が進行役。全5回の第1回は野球を始めてから岡山・関西高校に入るまでを聞いた。

日本ハム時代にチームメートだった縁で、現カブスのダルビッシュ有に関する様々なお宝を展示している「ダルビッシュミュージアム」で館長を務め、現在は企画やマネジメントをしているダース氏。友達に誘われて小学3年で野球を始めた時は嫌々だったという。

「父がインド人でクリケットが好きだったので、僕に野球をやらせたかったんです。僕はドラえもんを観たいのに、テレビはいつもナイター中継。野球のない月曜は嬉しかった」と振り返る。

ある時、母親に辞めたいと申し出た。しかし、母親は「あかん、小6まではやりなさい。あんたがやると決めたことなんやから」とピシャリ。それでも野球を好きになれず、チームに誘ってくれた友達が辞めて1人で行くようになったこともあり、前向きになれなかった。

しかし、5年生の頃に母親に言われた言葉がきっかけで、ダース少年は前を向くようになる。詳しくは動画に譲るが、縄跳び、ダッシュ、壁当てのメニューを自分に課した。

名門・PL学園進学を希望も却下された理由とは?

中学に進むと、学校の軟式野球部ではなく、地元の硬式チーム「生駒シニア」に入る。身長は168センチまで伸び、少しずつ野球が楽しくなっていたものの、厳しい雰囲気に腰が引けていた。しかし、親友の「まっちゃん」に誘われたため、渋々入ったという。

それも運命だったのか、ダース少年の秘めた素質が徐々に開花。中学3年の終わり頃には身長183センチになっており、ストレートは最速123キロ。特にコントロールに自信を持ち、「見逃し三振をバシバシ取れました。フォアボールを出すイメージがなかった」と振り返る。小5の頃に母親に言われてから始めた縄跳び1000回、ダッシュ60本、壁当てのメニューは中3までの5年間、1日も欠かさず続けたという。

家が貧しかったというダース氏は「プロ野球選手にならないと家族が死んでしまう」と感じていたこともモチベーションのひとつだった。全国大会にも出場し、大阪の強豪高校からも声がかかるようになった。監督との面談で希望校を聞かれ、答えた校名はPL学園。当時は泣く子も黙る超名門だ。

しかし、監督の返答は「やめとけ」だった。その理由は、動画をチェックしてほしい。

結局、ダース氏が選んだのは、真っ先に誘ってくれた関西高校。甲子園に何度も出場している岡山の強豪だが、当時は知らなかったという。しかし、関西に入ったことでダース氏の野球人生は大きく変わっていく。



スパイア [SPAIA] ちゃんねる
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