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JR東日本・須永悦司「オープン戦から全力で行く」 2020ドラフト候補に聞く

2020 3/1 11:00永田遼太郎
須永悦司
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Ⓒ永田遼太郎

人並み外れた高いポテンシャルも度重なる逸機

本来ならもう少し早く、その名は知れ渡っていたかもしれない。

JR東日本・須永悦司のことである。

190㎝の長身から投げ下ろすストレートは、昨秋、同社から読売ジャイアンツにドラフト2位で指名された太田龍に匹敵するほどの力がある。

「自分でも負けてないなと思います。社会人での実績は敵わないですけど、投球スタイル、球速、球質…、ピッチングの部分だけで言ったら、それほど負けていないのかなと」

ストレートの最速は大学4年時に計測した154キロ。人並み外れた高いポテンシャルを持ちながら、未だ無名の存在なのは、彼が高校、大学、そして社会人と怪我や病気に泣かされ続けたからである。

プロのスカウトに注目され始めた高校3年時、右肘が悲鳴をあげてトミージョン手術を決断。復帰まで約1年半の月日を要した。

桐蔭横浜大では3年春に頭角を現すも、4年秋にウイルス性の病気で発熱し、ベンチ入りメンバーからも外されるなど静かに大学野球生活を終えた。

気を新たに臨んだ社会人野球でも、そうした悪い流れを断ち切れず昨秋は日本選手権最終予選直前に腹斜筋の肉離れを起こして戦線離脱。大舞台でのデビューはまたもお預けとなった。

そんな須永について、一部メディアはこんな言葉で表現する。

「ロマン枠」

一流アスリートに匹敵するほどの潜在能力を持ちながらそれを発揮出来ない。そんな選手達を一部では‶ロマン枠″と呼んでいるそうだが、須永はそのことに触れると、ほんのりと悔しさを浮かべながらこんな言葉を発した。

「大学のときに雑誌などで自分の名前を見つけたことがあったんですが‶ロマン枠″って書かれていたことがあって、ちょっとだけ嫌な気分になりました。どうせなら(桐蔭横浜大の先輩である)齋藤友貴哉さんのように社会人1年目から結果を出して、雑誌の表紙で紹介される選手になりたい。もちろん雑誌で取り上げられることが全てではありませんが、周りの方からもそう見てもらえるような選手になりたい。そう思っています」

球速、スタミナ、技術の面で向上

巻き返しを誓うこのオフは、ウエイトトレーニングに励んで、ストレートの球速アップを求めた。

「元々、ガタイが良い方だと思うんですけど、体重を増やして、もっとスピードを出したいと思いました。自分は細かいコントロールよりも、ストライクゾーンに強い球を投げて抑えるタイプ。スピードと球の強さを今以上に出せるよう、オフは走り込みと下半身のウエイトトレーニングを強化してやってきました」

体重は昨年の98㎏から4㎏ほどアップして現在は102㎏になった。ブルペンでもボールの強さに手応えを感じており、ここまでは順調といった様子だ。あとは実戦でどこまで結果を残せるか。その一点に尽きる。

この春からチームの指揮を執る濱岡武明新監督からは「お前はストッパーで使う」と年明け早々に告げられた。どちらかといえば大学時代は苦手にしていたポジションである。その点では不安も残るが、須永本人はポジションを与えられたことを意気に感じ、課題克服に取り組んでいる。

ブルペンでの調整方法を変えたのもそのうちの一つだ。

「大学のときはどちらかというと緊張感のある場面で『行くぞ』と言われるのが苦手でした。いきなり全開で行くのが出来ないタイプなので、大学4年の秋のリーグ戦のときも、また後ろで投げるとなって、一瞬、どうかな?と思ったんです。

でも、今はブルペンのときから全力で投げて、ある程度(気持ちを)上げた状態のまま試合の中に入って行ければ大丈夫かなと思うようになりましたし、気持ちの部分でも様々な想定をしてマウンドに上がろうかなと思っています」

都市対抗予選など大一番での延長戦も見据えてスタミナ強化にも余念がない。

「最初から飛ばしても5~6回までなら行けるのかなって思いますね。アベレージで150キロを出すのはさすがに厳しいですけど(笑)全力で球の強さが落ちないまま投げるだけなら5~6回はいけるかなと思っています。もちろん延長戦に入っても自分が行くつもりで考えています」

昨夏は都市対抗野球のメンバーからも外れるなど辛い想いをたくさんしてきた。

「悔しくて正直応援は出来なかったです。大学4年のときに都市対抗を見に来て、『絶対この舞台で投げてやるんだ』と思ってずっとやって来ていたので」

その悔しさを胸に、今オフは技術面でも進歩が見られる。大学時代よりさらに投球の幅を広げるようと持ち球のストレート、チェンジアップ、シンカー、ツーシームの他に、昨夏からカーブも使うようになった。

大学時代はほぼ使用して来なかったいわゆる新球。山本浩司ピッチングコーチに勧められたことで練習を始めたが、今では「チーム内で一番良いカーブ」と、絶賛されるほど高い評価を受けている。

「自分の中では最初自信が持てなくて、正直半信半疑だったんです。だけど試合でも効果的に使えていたので『これならいけるかな』と思うようになりました。今では自信を持って投げているボールです」

今年こそはJRのユニフォームで恩返しを

今年一年、元気に投げきって、想いを伝えたい人がいる。幼い頃から仕事の休みをとって、応援に駆けつけてくれた両親だ。

「高校で肘を痛めてしまって、母から『野球で活躍しているところは中学までしか見ていないね』と言われちゃいました(笑)。大学4年のときに、少しだけ良いところを見せられて『親孝行だね』って凄く喜んでもらえたんですけど、今年こそJRのユニフォームを着て、東京ドームで投げている姿を見せてあげたいなと思っているんです」

以前は自営業でうどん屋を営んでいた両親だが、祖父の他界をきっかけに店を畳んだ。

「群馬にT‐1グランプリっていうのがあって、とんかつメニューの一番を決めるイベントがあるんですけど、そこでも上位に入ったことがあるほどで、自分はソースカツ丼と天狗うどんが凄く好きでした」

現在は父が病院の食事作りの仕事を、母はブライダル関係の仕事に就いて共働きをしている。そんな両親に一日でも早く恩返しがしたいと、今季は一年間チームの戦力として投げ続けたいと心の奥に誓う。その先に見据えているのはもちろんプロ入りだ。

「1年目は名前を残せなかったので今年が勝負かなって考えています。(JR東日本OBの)板東湧梧さんみたいに都市対抗などの大舞台で結果を残せばプロに行けるんだってところを間近で見てきました。自分の場合はオープン戦から結果を出さないと、大きな大会で投げられないでしょうから、そこから全力で行くつもりで、JABA大会、日本選手権、その後の都市対抗野球と結果を残して、自分の名前をアピールしたいです」

須永悦司の逆襲はここから始まる。

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