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東京五輪へ向け、現れた新星 服部勇馬の台頭で日本男子マラソン界は「4強」時代に①

2018 12/18 11:00鰐淵恭市
マラソンの足だけ,ⒸShutterstock.com
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マラソン界に新星現れる

2年後に迫った東京五輪に向け、期待の新星が現れた。12月2日に行われた福岡国際マラソンで日本歴代8位の好タイムとなる2時間7分27秒で優勝した服部勇馬(トヨタ自動車)。2018年2月の東京マラソンで設楽悠太(ホンダ)、10月のシカゴ・マラソンで大迫傑(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)が日本記録を更新するなど、好記録に沸く日本男子マラソン界がさらに活気づいてきた。

スパートらしくないスパート

服部がレースの主役に躍り出たのは、36キロ過ぎだった。1キロ2分54秒にペースを上げて、トップ争いを繰り広げていた外国選手2人を置き去りにした。

「気づいたら後ろが離れていた」

そう服部が振り返るように、力感のあるスパートではなかった。むしろ、スパート前と同じようなフォームで力みのない走りだった。そこに、服部の成長があった。

学生時代は躍動感のある走りでスターに

服部は新潟県十日町市出身。小学生の時はサッカー少年だった。中学ではサッカー部がなく、陸上部へ。高校は名門の仙台育英に進んだ。

東洋大に進むと、地面をしっかりと蹴り、跳びはねるような躍動感のある走りで、1年生の時から頭角を現した。箱根駅伝ではエースが集う「花の2区」で、2年連続区間賞を取るなど、弟の弾馬(はずま)とともに、「服部兄弟」として注目を浴びた。

ここ10数年、学生駅伝で活躍した選手がなかなかマラソンで大成しなかった。むしろマラソンを走ろうとしない選手もいる中、服部は2016年にトヨタ自動車に入社した当時から、マラソンで結果を残したい思いが強かったという。 だが、思いとは裏腹になかなか結果は出なかった。今回の福岡が4回目のマラソンだったが、過去3回はいずれも35キロ以降に失速した。

自分を変えるために走る距離を増やした。月間走行距離は300キロ増の1000キロ超え。長い距離を走るだけでなく、一定のフォームで走ることも意識をした。「ジョギングでもスピード練習の時でも、レースと同じ動き。ピッチを変えるだけでストライドは変えない」。そんな練習が結実したのが福岡でのスパートだった。

日本選手として14年ぶりの福岡優勝

36キロ過ぎにスピードを上げて、2時間4分台の自己ベストを持つイエマネ・ツェガエ(エチオピア)ら外国選手を引き離した時、フォームからは特に力感が伝わってこなかった。それこそが服部の練習の証しであり、狙いだった。

服部はそれまで苦手としていた最後の7キロを驚異的なタイムでカバーした。35キロからの5キロを14分40秒、残りの2.195キロも6分35秒と出場選手最速だった。

一概に比較はできないが、ともに大迫がシカゴで日本記録を出した時を上回るペースだった。「最後の7キロをしっかり走れれば、おのずとタイムは出ると思っていた。練習の成果が出てうれしい」とほほ笑んだ。

かつては世界の強豪が集まり、陸上競技で世界選手権ができる1980年代までは「非公式の世界選手権」とも言われた福岡国際マラソン。今年で72回目を迎えた歴史ある大会で日本選手が優勝するのは、14年ぶりのことだった。

服部はゴールテープを切ると、帽子を投げ上げ、喜びを爆発させた。学生時代から「イケメン選手」として知られてきたランナーの様になるゴールシーンだった。

そして、東京五輪のスター候補に

「服部君、だいぶフォームが変わりましたね。マラソンに向いた走りになりましたね」

レース後、筆者がそう問うと、服部を指導するトヨタ自動車の佐藤敏信監督はこう言った。

「苦労しましたよ」

スパートした時も服部の走りが大きく変わらなかったことは先述したが、そもそもレースが始まった時から服部の走りが学生時代とはだいぶ変わったなと筆者は思っていた。

これも先述したが、学生時代の服部は躍動感のある走りが売りだった。だが、福岡で見た服部の走りは、地面を強く蹴るような以前の走りは消えていた。あまり力を使わずにスムーズに前に進んでいるように見えた。

42.195キロを走り切るには、いかに楽に走るかが重要だ。その意味で服部の走り方はマラソン仕様になっていた。佐藤監督によれば、跳ねるような走りに変わったのもそうだが、肩甲骨付近に力が入り過ぎる悪癖を矯正したという。

3年前、服部という逸材の入社が決まった時、佐藤監督が喜んでいた姿を思い出す。ただ、一方で「強くしなきゃいけないから大変でしたよ」という思いも強かったそうだ。

名指導者の下で才能を開花させた服部。陸上界では「プリンス」のあだ名で呼ばれる25歳が、東京五輪のスター候補に名乗りを上げた。(続く)

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