日本男子マラソンの時計が再び動き出す
2018年2月25日に行われた東京マラソンで、設楽悠太(ホンダ)が2時間6分11秒の日本新記録をマークして、日本人選手トップの2位に入った。従来の日本記録は、2002年のシカゴ・マラソンで高岡寿成がマークした2時間6分16秒だった。設楽は、高岡の記録を5秒更新したのだ。
1970年台から80年代にかけて、瀬戸利彦や、宗茂、猛の宗兄弟らを擁し、日本の「お家芸」と言われた男子マラソンも今は昔。特に高岡が日本記録を出した後は低迷が続いていただけに、設楽の日本記録はマラソン関係者とファンを喜ばせるものだった。
ただ、レース後の設楽はケロッとしていた。
「今日は特に課題も反省点もない。タイムは言えないが、皆さんが思っている以上の記録は狙える」
2時間6分台の日本記録など通過点でしかない。まだ26歳の設楽からは、そんな思いがにじみ出ていた。
大学駅伝のスターからマラソンのスターへ
設楽悠太とは何者なのか。大学駅伝ファンであれば、その名を知らない人はいない。双子の兄である啓太とともに小学5年生から陸上を始めた設楽悠太は、兄とともに埼玉の武蔵越生(むさしおごせ)高から東洋大へ進学。箱根駅伝では、2年生から3年連続で区間賞をとり、兄・啓太とともに東洋大の2度の総合優勝に貢献した。いわゆる箱根が生んだスター選手である。
かつての宗兄弟を思わせる双子ランナー。ただ、大学卒業後は明暗が分かれた。弟の悠太はホンダでハーフマラソンの日本記録を更新し、全日本実業団対抗駅伝でも区間賞を取るなど、活躍を続けてきた。コニカミノルタに進んだ兄・啓太は伸び悩み、現在は日立物流に所属している。
初マラソンから日本記録を上回るペース
東京マラソンスタート時の天気は曇り、気温6.5度、湿度36%。風もあまりなく、絶好のコンディションだった。さらにはコースが変更され、終盤に選手を苦しめていた橋などのアップダウンがなくなった。
記録を狙うには最高の条件だったかもしれない。それは、日本人選手2位の井上大仁(MHPS)が2時間6分54秒で走ったことや、かつての大学駅伝のスター選手ながら、伸び悩んでいた佐藤悠基(日清食品グループ)ら4人が2時間8分台で走ったことからも分かる。ただ設楽には、その最高の条件をものにできるだけの実力があったということだ。
設楽の初マラソンは、昨年の東京マラソンだ。初マラソンながら、序盤から日本記録を上回るペースでつっこんだが、後半失速。それでも、いわゆる「サブテン」と言われる2時間10分切りを果たして、2時間9分27秒をマークした。
この時の走りを見た日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーでもある瀬古利彦は、設楽を「面白い選手」の1人に挙げていた。その理由は、初マラソンながら怖がらずに日本記録のペースに挑もうとした姿勢にあった。
実戦経験を積み重ねて飛躍
今年の東京マラソンでも、設楽は序盤から日本記録を上回るペースで快走。昨年の走りを繰り返すかのように、31キロ付近で井上らのいる先頭集団から遅れたが、設楽に焦りはなかった。
「去年とは余裕が違った。冷静に走ることができた」。
初マラソンの時は「当たって砕けろ」という思いでの走りだったという。しかし、今回は、結果を伴ってのレースだった。
昨年はハーフマラソンで1時間0分17秒の日本新、ベルリン・マラソンで2時間9分3秒の自己新をマークした。今年に入ってからは、全ての出場レースで日本人に負けなかった。元日の全日本実業団対抗駅伝、1月の全国都道府県対抗男子駅伝ではともに区間賞を獲得。2月の丸亀ハーフマラソンでは日本人トップの2位、唐津10マイルでは優勝した。
「土日の試合に多く出たことが他の選手との差。勝つことに慣れた」。
力は確実に着いていた。いったん遅れても、昨年のようには崩れなかった。本人いわく「両親や沿道の声援が力になりました」という。
そして終盤に向け、設楽の走りが力強さを増していく。そこには、日本記録を更新することで獲得できる「あるモノ」の存在があったのかもしれない。
後編へ続く