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日本人初の9秒台を達成した桐生 10秒01からの4年を振り返る(8)

2017 9/29 11:07きょういち
陸上競技
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出典 tetxu / Shutterstock.com


日本人初の9秒台を達成した桐生10秒01からの4年を振り返る(7)

 高校時代の桐生祥秀は10秒01を出して以降、不自然なぐらいに9秒台に対する思いを口にしない時期が続いた。記録よりも、勝負にこだわる姿勢を貫いた。

 だが、高校生活終盤になると、少しずつその言葉が変化してきた。

 2013年10月に東京で行われた国体だった。少年Aの100メートルを10秒22で制し、高校1年の時の少年Bから3年連続で国体で優勝した時に、こう話した。

 「(この半年間)何で記録が出ないんだろうって考えた」

 間違いなく9秒台へのプレッシャーを感じていた。だが、桐生はその重圧をメディアの前で話すことは、それまでなかった。だから、この言葉は新鮮だった。

 そして、この時は、東洋大学に進むことを正式に発表した時でもあった。

 「記録は大学で超えられたらいいなって思う」とも語った。

 高校生の屋外シーズンが終了し、結局、9秒台を出すことができなかった後、桐生に話を聞いて、驚かされた。2013年末に、翌年の目標を聞いた時だった。

 「日本最速、9秒台」

 彼から9秒台を狙うという言葉をはっきりと聞いたのは、これが最初だったかもしれない。不思議な感じがした。

 10秒01をマークし、世間の注目を浴びた2013年を振り返ってもらうと、こう語ってくれた。

   「今だから言えますが、試合を絞っていたら、出たかもしれない」

 これも意外だった。桐生自身は9秒台が出ると思っていたのだった。高校生の最大の祭典はインターハイであり、そのインターハイに出るためにはレースが続くし、走る本数も多い。インターハイに出ることのマイナス要素を語ったのも初めてだった気がする。

 ただ、こうも続けた。

 「昨年は、連戦連戦でタイムを狙うということをしませんでした」

 10秒の壁ということについては、こう表現してくれた。

 「急に10秒0台が出たので、壁というよりは突破したら楽しいことがあるかな、って程度にしか思わなかった」

 9秒台への期待が、桐生にとっては重かったことも語ってくれた。

 「インターハイの近畿予選で、向かい風の中で10秒17を出した時、いい記録だったのに観客からため息が漏れた。1週間前に9本もレースを走っていたのに。やっぱり記録を出さないと、満足してもらえないのかなと」

 素直な言葉だった。そして、彼が背負ってたものの重さを痛感させられた。だが、やっぱりびっくりしたのは、「9秒台」という言葉を桐生が使ったことだった。「9秒台」を解禁したのだな、ぐらいにしか思わなかったが、彼の9秒台を巡る葛藤は、このころから始まっていたのかもしれない。

奇妙なスパイク

 屋外でのトラック種目のシーズンは秋で終了するが、冬場には室内での大会がある。

 桐生が洛南高校のユニホームを着て出場する最後の試合は、2014年2月に大阪で開かれた日本ジュニア室内という大会だった。

 室内大会では100メートルは行われず、少し短い60メートルが短距離の種目になる。会場が狭いから、ゴールした後は高跳びで使うようなマットにつっこんでいくという種目である。

 桐生は決して前半型ではないので、60メートルは得手としないのではないかと思っていたが、関係なかった。

 この大会でマークしたのは6秒59。ジュニアの日本新記録だった。従来の記録を0秒12も更新する走りだった。

 「記録も狙った」という中ででのジュニア日本新だった。

 実はこのレース、桐生は奇妙なスパイクを履いている。

 普通、短距離の選手が履くスパイクはソールと言われる底の部分が硬くて、薄い。長距離と違い、クッションが不要だからだ。

 だが、この時の桐生が履いていたスパイクはソールに少し厚みがあり、つま先からかかとにかけて平らなになっていた。

 そして、スパイクのピンが4本だった。スパイクのピンは11本までつけることができる。通常、短距離選手は多めのピンを好む中、4本というのはかなり少ない。

 実はこのスパイクが、桐生の迷走を表すものだったと後に分かることになる。

(続く)

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