「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

日本人初の9秒台を達成した桐生 10秒01からの4年を振り返る(7)

2017 9/29 11:03きょういち
陸上競技
このエントリーをはてなブックマークに追加

出典 stezzon / Shutterstock.com


日本人初の9秒台を達成した桐生10秒01からの4年を振り返る(6)

 桐生祥秀が高校3年生の時のレースで、10秒01を出した織田記念以外で最もインパクトがあったのが、インターハイだったように思う。

 約10日後に、初めての世界選手権出場が迫っていたが、桐生は全力で「高校日本一」を取りにいった。そのレベルは高校生を超えているのに、高校王者にこだわった。

 中学で経験できなかった全国優勝へのこだわりがそこにあった。中学の卒業文集に「めざせ全国制覇」と書き、友人に「高校で日本一になる」と宣言した。その言葉を実行した大会だった。

 100メートルは40メートルを前に抜け出して、完勝だった。タイムは10秒19。その時の自己3番目に並ぶタイムで、19年ぶりに大会記録を更新した。2位の選手も10秒38の好タイムだから、思ったより差が開かなかったが、それでも高校生の中では別格の存在だった。

 「高校生の最高の大会で優勝できた。うれしい」。

 レース後、興奮していた桐生の姿を思い出す。

 「出る種目は全部優勝したい」と語っていたが、桐生はその言葉を体現していく。

 100メートルよりも桐生の強さを見せつけたのは、100メートルの翌日にあった400メートルリレーである。

 桐生は個人種目以上にリレーが好きである。2016年リオデジャネイロ五輪の時も、100メートルではふがいない走りだったが、リレーになると別人のような切れ味をみせていた。リレーになると、いつも以上の走りを出すのが桐生という選手であり、その片鱗は高校の時から見せていた。

 高校3年生の時のインターハイの400メートルリレーでは、桐生がいる京都・洛南高は優勝候補の筆頭ではなかった。メンバーの走力からすれば3位ぐらいの力だったと思う。それを。「バトンを渡してくれたらどうにかする」と仲間に語っていた桐生の走りが覆した。

 アンカーの桐生にバトンが渡った時は6、7番手で、トップとは5メートル以上の差があった。圧倒的に不利な状況から、桐生は前を行く選手を全て抜き去った。

 その顔は鬼の形相。残り20メートルを切ってから先頭に立ったが、「ゴールまで優勝するとは分からなかった」という。2位とは0秒08差。ある種、最高のエンターテインメントに、大分の会場は沸きに沸いた。

   最後の200メートルは疲労感がにじみ出ていた。なおかつ、向かい風1・4メートルという悪条件だったが、20秒66の大会新で制し、100メートル、400メートルリレーとあわせて高校3冠を達成した。

 桐生の名前である「よしひで」は、豊臣秀吉の「ひでよし」からきている。両親の「豊臣秀吉のように天下を取ってほしい」という思いからつけられた名前だが、ついに高校3年生で高校の頂点を取ることになる。

大舞台で勝てない

 9秒台を出した今でも言われる桐生の弱点が、大きな大会での弱さ。日本一を決める日本選手権や、世界選手権、五輪といった大舞台になると、なぜか力を発揮できない。

 そのスタートとなったのが、この2013年でもある。

 8月中旬、インターハイを終えたばかりの桐生は、モスクワで開かれる世界選手権へ向かった。

 17歳の桐生は、エントリーされた58カ国79人の中で、参加標準記録を突破して出場する選手の中では最年少だった。練習で初めてウサイン・ボルトを間近に見て、「でかいです。1歩で進む距離がすごいです」と、興奮していた。高校生らしく、初々しさを感じさせていた。

 レースは予選落ち。準決勝にほんのわずかだけ届かなかった。

   距離にして10センチ程度。準決勝に進むためには各組3着までに入る必要があったが、桐生はその3着に100分の1秒届かずに4着となる10秒31だった。

 スタート前は、6月のダイヤモンドリーグの経験をいかした。「レース前は周囲を見回した。あの時(6月)は一点集中し過ぎた」。得意とは言いがたいスタートもよかった。「60メートルまでは良い感じ」。

 だが、終盤で伸び悩んだ。ゴール前で硬くなる悪癖が出てしまった。「最後の2、3歩でいかれた」

 「悔しい、しかない。世界とタイム差はかなりある」と語りながらも、17歳の桐生は前を向いた。「でも、高校生は基本作りで、大学生になったら技術練習も取り入れる。これから先いけるかな」

 だが、この100分の1秒差が痛かった。桐生が100で出場した世界選手権、五輪は、この2013年の世界選手権と2016年のリオデジャネイロ五輪の2回だけと以外に少ないが、いずれも予選落ちに終わっている。

 特にリオの予選は全く走りに精彩を欠いたが、この2013年の世界選手権でもう0秒01速くゴールして準決勝に進出していたら、その後の桐生の大舞台での苦手意識は、生まれていなかったかもしれない。

(続く)