スタートに悩んでいく
10秒01を出してから三つ目の100メートルのレースとなったのは、日本一を決める2013年6月8日の日本選手権。結果は10秒25で2位だった。今もライバルとしてお互いを意識し合う山県亮太(当時は慶大)に0秒14差で敗れた。
スタートで出遅れた。その差を追いつこうとするあまりに動きが硬くなり、得意とする中盤での加速に乗り切れず、後半でも差を縮められなかった。
実は山県に対するこのパターン、この後もずっと続いていく。10秒01を出した織田記念の決勝は山県に0秒01の僅差で勝ったものの、この日本選手権での負けは大きかった。
桐生がそこまでスタートが遅い訳ではなかったが、山県はスタートが世界レベルでみてもかなり速い。それが桐生には重圧だった。
この負けパターンは、この4年後に急成長してくる、やはりスタートが得意な多田修平(関学大)への負け方と同じ。スタートダッシュ型への苦手意識や負け方が、変な言い方になるが確立されてきたような気がする。
この日本選手権の時のウォーミングアップでは、しきりにスタートダッシュに悩んでいたという。
ただ、敗れたとはいえ、男子100メートルで高校生が2位になるのは43年ぶりの快挙だった。そして、この結果でこの年の8月にある世界選手権への代表権を手にした。桐生初の世界選手権代表だった。
9秒台が出ないと失敗に
次は6月14日にあったインターハイの近畿予選だった。高校生の大会はだいたい、予選、準決勝、決勝とある。ただでさえ、疲労がたまる中で、ゴールデングランプリや日本選手権など、これまで経験したことがなかったシニアの大会もあった。
疲れがある中で、記録は10秒17の大会新で2連覇だった。桐生にとって自己2番目の記録であり、高校生の記録としてみても、桐生自身が出した10秒01に次いで速い記録だった。すごい記録なのである。
にもかからず、競技場には驚きの雰囲気はなかった。これがすごい記録だという認識はほとんどなかった。流れた空気は落胆だった。観客からはこの時もため息がもれたと思う。世の中的にも「9秒台が出ない=失敗レース」という図式ができあがっていた。
17歳で初めて海外のレースに
この年の6月30日、桐生は新たな経験を積んだ。陸上の世界最高峰のツアー大会、「ダイヤモンドリーグ」への出場である。
このダイヤモンドリーグに日本選手が出場するのはかなり難しい。五輪、世界選手権で決勝に残るレベルの選手ならともかく、準決勝ぐらいのレベルではそう簡単には出場できない。そうなると、日本人で出られる力を持つ選手など、わずかである。
特に花形の100メートルとなれば、さらにハードルがあがる。この時、日本の高校生が100メートルに出場するのは初めてのことだった。桐生が海外渡航するのも初めてで、もちろんのことながら初の海外のレースでもある。何もかもが初めての挑戦だった。
桐生が参戦したのは英国バーミンガムでの大会だった。彼は飛行機の中、桐生はアクション映画を見てリラックスしていた。好きな映画はアクション映画、特にダイハードを見ると聞いていた(今は変わっているかも)。食べるものを見ながら、肉が好き、野菜はダメというのが分かってきた(最近は野菜も食べるそうです)。英国ではよく中華を食べていたのではないかと記憶している。
パスポートを出し、入国審査を行い、日本語が通じない国で走る。桐生が世界へ挑む、という戦いはこのダイヤモンドリーグがスタートになった。
(続く)