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日本人初の9秒台を達成した桐生10秒01からの4年を振り返る(1)

2017 9/21 10:32きょういち
陸上競技
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出典 Rades / Shutterstock.com


 日本人初という偉業を達成したのに、当の本人は驚くほどケロッとしていた。

 2017年9月9日、男子100メートルで人類史上初の9秒台が出てから遅れること49年、ついに日本人も10秒の壁を突破した。東洋大4年の桐生祥秀が9秒98の日本新記録をマークした。中国の蘇炳添が持つ黄色人種、東洋人の最速タイムでもある9秒99も上回った。もちろん、東洋人記録、なんてカテゴリーはないのだけれど。

 テレビではニュース速報が流れ、午後7時のNHKニュースでは記者会見が生中継される異常事態だった。

 その日の夜、午後10時ぐらいに桐生と電話で話す機会があった。

 「走っていて、これは9秒台でいったな、って感じはあった?」と聞いた。

 「分からなかったですね。(関西学院大の)多田(修平)に勝つことしか考えていなかったんで」

 電光掲示板に「9秒98」が表示されたときには飛び上がって喜んでいたが、長い記者会見やテレビ出演を終え、少し冷静になっていたのだろう。

 しかし、この「勝ちたい」という思いが桐生の原点である。

 「9秒台を出しても、負けたら意味がないので」とよく言っていた。勝ちたいという純粋な思いの先に、日本人の悲願であった9秒台があったのかもしれない。

高2の桐生、丸刈りの普通の少年

 筆者が桐生に初めて会ったのは、彼が京都・洛南高校2年生の秋だった。10秒19という、17歳以下の世界最高記録をマークした直後だった。

 桐生が高校3年の4月に10秒01を出して以降、単独で取材するのは至難の業となったが、高校2年生の時はマスコミの取材はほとんどなく、筆者にとってはある意味ラッキーだった。桐生本人にも、指導者である柴田博之監督にもじっくりと話を聞くことができた。

 第一印象は、普通の少年。洛南高校陸上部は丸刈りだが、その髪形が少年らしさを演出していた。

当時から足の回転は速い。そして、筋トレはしていない

 走りは、当たり前だが速かった。とにかく回転が速い。柴田監督が「足の回転がスムーズなだけでなく、うまく地面をとらえられる」と言っていたその特長は今も変わらない。そして、当時からその足の回転と、接地のうまさが、彼の持ち味である中盤での加速力を生んでいた。

 桐生の体を見て、洛南高校の指導の素晴らしさも感じた。華奢とまでは言わないが、ムキムキな体をしてはいなかった。本格的な筋力トレーニングをしていない証拠だった。

 もちろん、筋力トレーニングをすれば、高校時代にもっと速くなったかもしれない。でも、高校時代の過度の筋トレは、将来の伸びしろを奪うことになりかねない。

 洛南高校では、子どもたちの将来を考え、本格的な筋トレをさせていなかった。それでいて、桐生の臀部と、そこからつながる太もも裏の筋肉は発達していた。スプリンターのエンジンとなる筋肉である。これは持って生まれた素質に加えて、地道なトレーニングで培ったたまものだと感じた。高校2年生にして、スプリンターの下半身になってきていた。

将来については、「?」だと思った

 とはいえ、筆者は彼の将来を、そこまで嘱望していたわけではなかった。

 その当時、100メートルの日本記録は伊東浩司の10秒00、日本歴代2位は朝原宣治の10秒02。ともに180センチ前後のスプリンターだった。かたや、桐生は176センチ。

 196センチあるウサイン・ボルトとまでは言わないが、やはり日本選手も180センチぐらいないと、という思いはあった。高校生ぐらいまでは、小さくて速い日本選手は多いが、その大半が将来伸び悩んだ。桐生もそうなるのではないかという思いはあった。まあ、それはこの半年後に見事に覆されるのだが。

 高校2年の秋、桐生と柴田監督には、一つの悩みがあった。

 それは高校生のスポーツの祭典インターハイと、世界陸上のことだ。もちろん、高校2年の時に翌年の世界陸上出場権をつかんではいなかったが、10秒19というタイムはシニアの選手でもなかなか出せるタイムではなく、最低でもリレーメンバーに入る可能性は高かった。

 インターハイは大分で7月30日~8月3日、世界選手権はモスクワで8月10日~18日の日程だった。両方出ることも可能だが、二兎を追って失敗する可能性もある。

 だが、当時から桐生と柴田監督の考えは決まっていた。

(続く)