高2の桐生、丸刈りの普通の少年
筆者が桐生に初めて会ったのは、彼が京都・洛南高校2年生の秋だった。10秒19という、17歳以下の世界最高記録をマークした直後だった。
桐生が高校3年の4月に10秒01を出して以降、単独で取材するのは至難の業となったが、高校2年生の時はマスコミの取材はほとんどなく、筆者にとってはある意味ラッキーだった。桐生本人にも、指導者である柴田博之監督にもじっくりと話を聞くことができた。
第一印象は、普通の少年。洛南高校陸上部は丸刈りだが、その髪形が少年らしさを演出していた。
当時から足の回転は速い。そして、筋トレはしていない
走りは、当たり前だが速かった。とにかく回転が速い。柴田監督が「足の回転がスムーズなだけでなく、うまく地面をとらえられる」と言っていたその特長は今も変わらない。そして、当時からその足の回転と、接地のうまさが、彼の持ち味である中盤での加速力を生んでいた。
桐生の体を見て、洛南高校の指導の素晴らしさも感じた。華奢とまでは言わないが、ムキムキな体をしてはいなかった。本格的な筋力トレーニングをしていない証拠だった。
もちろん、筋力トレーニングをすれば、高校時代にもっと速くなったかもしれない。でも、高校時代の過度の筋トレは、将来の伸びしろを奪うことになりかねない。
洛南高校では、子どもたちの将来を考え、本格的な筋トレをさせていなかった。それでいて、桐生の臀部と、そこからつながる太もも裏の筋肉は発達していた。スプリンターのエンジンとなる筋肉である。これは持って生まれた素質に加えて、地道なトレーニングで培ったたまものだと感じた。高校2年生にして、スプリンターの下半身になってきていた。
将来については、「?」だと思った
とはいえ、筆者は彼の将来を、そこまで嘱望していたわけではなかった。
その当時、100メートルの日本記録は伊東浩司の10秒00、日本歴代2位は朝原宣治の10秒02。ともに180センチ前後のスプリンターだった。かたや、桐生は176センチ。
196センチあるウサイン・ボルトとまでは言わないが、やはり日本選手も180センチぐらいないと、という思いはあった。高校生ぐらいまでは、小さくて速い日本選手は多いが、その大半が将来伸び悩んだ。桐生もそうなるのではないかという思いはあった。まあ、それはこの半年後に見事に覆されるのだが。
高校2年の秋、桐生と柴田監督には、一つの悩みがあった。
それは高校生のスポーツの祭典インターハイと、世界陸上のことだ。もちろん、高校2年の時に翌年の世界陸上出場権をつかんではいなかったが、10秒19というタイムはシニアの選手でもなかなか出せるタイムではなく、最低でもリレーメンバーに入る可能性は高かった。
インターハイは大分で7月30日~8月3日、世界選手権はモスクワで8月10日~18日の日程だった。両方出ることも可能だが、二兎を追って失敗する可能性もある。
だが、当時から桐生と柴田監督の考えは決まっていた。
(続く)