1988年9月25日ソウルオリンピック男子100メートル決勝
陸上競技の花形種目は100メートルと言われる。ただ単純に誰が一番速く走れるかを競うシンプルかつ奥の深い種目。一流のスプリンターがコンマ1秒を縮めるために何年もの歳月をかけて血のにじむような努力を重ねるのだ。
4年に1度しかないオリンピックで最も注目されるのも当然だろう。しかも、それが世界記録を期待されるような超一流選手がいればなおさらだ。
1988年のソウルオリンピック。9月25日に行われた男子100メートル決勝では、全世界の注目が2人のトップアスリートに注がれていた。
1人はカール・ルイス(アメリカ)。4年前に行われたロサンゼルスオリンピックで100メートル(9秒99)、200メートル(19秒80)、走幅跳(8メートル54)、4×100メートルリレー(37秒83)の4種目で金メダルを獲得した陸上界のスーパースターだ。
無敵のルイスの前に現れたのがベン・ジョンソン(カナダ)。ロサンゼルスオリンピックでは10秒22で銅メダルだったが、1987年のローマ世界陸上でルイスを破って9秒83の世界新記録をマークし、一躍脚光を浴びた。
世界最速の男はルイスか、ジョンソンか。焦点はその一点に絞られ、その他の選手は引き立て役に過ぎなかった。
「ロケットスタート」のジョンソンが9秒79
スタートが近付くにつれ、緊張感が高まる。息を呑むとはまさにこのことだ。中盤から加速する追い込み型のルイスは3コース、筋骨隆々の肉体が生み出す爆発的なスタートで「ロケットスタート」と呼ばれたジョンソンは6コースだった。
スタートを待つ瞬間、一瞬の静寂が果てしなく長く感じられる。号砲が鳴ると同時に勢いよく飛び出したのは、やはりジョンソンだった。
他者を寄せつけることなくリードを保ち、中盤からルイスが追い上げるも届かない。ゴール手前でジョンソンは右手の人差し指を天に突き上げ、ルイスに勝ち誇るかのように左を向いた。
9秒79。
人類で初めて9秒8を切ったジョンソンはそのままスタンドまで駆け抜け、関係者と喜びを分かち合う。敗れたルイスが歩み寄って握手したが、2人は一瞬目を合わせただけでそっぽを向いた。ライバル同士が熱く健闘を称え合うこともなく、世界が注目したレースは終わった。
ドーピング違反で金メダルも世界記録も剥奪
しかし、物語は急転、後味の悪い結末を迎える。レース後の検査でジョンソンにドーピング陽性反応が出たのだ。
世界記録は取り消され、金メダルは剥奪。ジョンソンは記者会見を開いて潔白を訴えたが、裁定が覆ることはなかった。2位だったルイスが金メダルに繰り上がり、ジョンソンと0秒13差の9秒92が世界記録に認定された。
さらに前年のローマ世界陸上でジョンソンがマークした9秒83も取り消され、10秒07で2位だったルイスが金メダル。ジョンソンは2年間の出場停止処分を受け、第一線から姿を消した。
その後、ルイスは1991年の東京世界陸上で9秒86をマークして優勝し、自身の世界記録を更新。翌1992年のバルセロナオリンピックでは走幅跳と4×100メートルリレー、1996年のアトランタオリンピックでも走幅跳で金メダルを獲得し、走幅跳は4連覇となった。引退後は俳優や指導者として活躍している。
一方のジョンソンは出場停止処分が解け、1992年のバルセロナオリンピック男子100メートルに出場したものの10秒70で準決勝敗退。その後、再びドーピング陽性反応が出て事実上の永久追放となった。
ジョンソンは日本のメディアに登場することもあるが、陸上界のレジェンドとしての扱いではない。ソウルオリンピックを機に明暗がくっきり分かれた両者の人生。ドーピングに手を染めた代償はあまりにも大きかった。
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