メディアが期待する神誕生
青山学院大学の3連覇、そして、今季の大学駅伝3冠達成で幕を閉じた2017年の箱根駅伝。
毎年のごとく、テレビ局(日テレ)のアナウンサーが、「神」という言葉を連発し、いろんな「神」を作り上げようとしますが、有名なのが「山の神」でしょう。5区の山登りを託され、特殊能力を発揮する選手が「山の神」と呼ばれて来ました。今年の箱根の5区は大塚祥平選手(駒沢大学)が区間賞をとりましたが、「山の神」と呼ばれるほどの快走は見せられませんでした。
山を駆け上がるという、特殊な走りに加え、あまりにもタイム差がつき過ぎることから、ここ数年は5区の走りが優勝に直結してきました。そんな状況を改善しようと、今年から5区の距離が23・2キロから20・8キロに短縮されました。
果たして、これからは「山の神」は生まれなくなるのか。これまでに「山の神」と呼ばれた選手たちの現状を振り返りながら、ちょっと考えてみたいと思います。
元祖は実業団でも活躍するあの人
最初に「山の神」と呼ばれたのは順天堂大学で活躍した今井正人選手です。1984年4月2日生まれの今井選手は、32歳になりました。
福島県の原町高校を卒業した今井選手が注目されたのは大学2年生の時の箱根駅伝。5区で11人抜きを達成してMVPに。区間新記録も達成しました。
顔がいい
歯を食いしばり、気迫を前面に出していく走り。それは後に今井選手が就職するトヨタ自動車九州の森下広一監督の現役時代を彷彿とさせます。ちょっと話が前後しますが、森下監督が今井選手を獲得した理由について、こう語ったのが印象的です。
「走ってる時の顔がいいんだよ」
山の神が活躍できるように距離変更?
さて、今井選手が大学生の時に話を戻します。大学3年の2006年になると、5区が2キロ以上伸びました。これが、今井選手をさらに「山の神」たらしめ、かつ、「山の神」がいるチームが優勝するというきっかけにもなりました。
この延長について、主催者側は当時、「5区を延長することでマラソン選手の育成や強化を図る」と説明していました。が、5区は800メートル以上の高低差を上る特殊な区間で、マラソンの強化に結びつくとは、なかなか考えられません。
また、延長するきっかけは、中継所に使っていた駐車場が工事だったと公式には言われています。が、関係者からは別の話も聞こえてきます。
それは、今井選手の能力を最大限発揮するためだったということ。そして、その時の陸上界の権力を握っていたのが、今井選手が所属する順天堂大学のOBだったということ。つまりは、順天堂大学を勝たせるためのものだったということ。もちろん、「噂話」なんですけどね。
平地ではただの人
その今井選手ですが、「山の神」などと言われながらも、非常に謙虚なランナーでした。大学4年生の時、一般人に囲まれた後に話を聞いたことを思い出します。
「僕は平地では普通ですから」
実際、実業団に入ると、同い年で今井選手よりも速い選手がいました。大学駅伝ではスターになりましたが、駅伝は五輪種目ではありません。日の丸をつけるには、トラック種目かマラソンで力をつけるしかありません。今井選手は入社の段階で、はっきりとこう言っていました。
「これからは『マラソンの今井』と呼ばれるように頑張ります」
山の神の呪縛
「山の神」という肩書を捨て、社会人としてゼロからスタートした今井選手ですが、やはり世間は「山の神」として見ていました。そして、それが選手を苦しめます。
マラソンとしては、自身3度目となった2011年3月のびわ湖毎日マラソンで2時間10分台をマークします。それ自体、決して悪いことではないのですが、「山の神」のイメージが強いため、一般の人は「全然ダメじゃないか」と思ってしまいます。
今井選手は2011年のびわ湖毎日マラソンからの5大会で4度、2時間10分台で走ります。「サブテン」と言われる「2時間10分切り」はなりませんでしたが、抜群の安定感がありました。でも、周囲は納得しません。
そんな時、駅伝で活躍した今井選手を、あるスポーツ紙がこんな風に書いたそうです。
「『山の神』が輝きを取り戻した」
これには森下監督が怒りをあらわにしました。それもそのはず。今井選手のタイムや実力は社会人になってから明らかに伸びています。それなのに、「輝きを取り戻した」と言われる。それは指導者も選手もつらかったことだと思います。
そんな今井選手ですが、苦しみ抜いた揚げ句に、マラソンランナーとして開花します。(続く)
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