柔道の父であり、柔道家に夢と希望を与えた嘉納治五郎
柔道は1982年に嘉納治五郎が創始した武道。柔術の技を基に崩しの原理を取り入れ修行面に加え、人間教育の手段として「柔道」と名付けた。東京の永昌寺の書院12畳を道場とし、講道館を創設。心身を鍛えるだけでなく、精力善用や自他共栄の考えを身につけることを目的としており、そうした人材を社会に送り出すことで社会が改革されると信じていた。
教育者としても尽力し、東京高等師範学校(現筑波大)の校長を務め、1909年には日本人初の国際オリンピック委員になり、スポーツの振興にも力を入れた。嘉納が作った柔道は世界中に普及し、今ではオリンピック競技にもなっている。
柔道に最も愛され愛した男、山下泰裕
「日本柔道界最強の男」と呼ばれるほど圧倒的な強さを持った山下泰裕。公式戦203連勝、外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録を打ち立て、国民栄誉賞をも受賞。1984年のロサンゼルスオリンピックでは無差別級で金メダル、世界選手権では4つの金メダルを獲得と、その成績は群を抜いている。
現在は東海大学副学長、全日本柔道連盟副会長、国際柔道連盟理事、日本オリンピック委員会理事などを務めている。
日本中が涙!ソウルで感動の金メダルを獲得した斉藤仁
山下の後輩でありライバルでもあった斉藤仁。
度重なる大怪我で苦しい時期を乗り越え、迎えた1998年ソウルオリンピック。地元・韓国に有利と思える不可解な判定により6階級続けて金メダルを逃した日本だったが、最後の砦ともいえる斉藤が準決勝で撃破。決勝戦でも東ドイツの選手を破り金メダルを獲得。2連覇を達成し、日本柔道を救った。
金メダルを授与され涙した斉藤の姿を見た日本国民は感動した。
女子柔道家に多くの夢を与えた谷亮子
「最高でも金、最低でも金」「田村で金、谷で金、ママになっても金」の谷(田村)亮子は駆け引きがうまく、試合の組み立ても秀逸。素早くキレのある投げ技で、他の選手を圧倒した。
48kg級のオリンピックで2回、世界選手権で7回金メダルを獲得。オリンピック及び世界選手権では計9回も優勝、国内でも10年近く無敗。国民的スターでありながら、女性柔道家にとっては憧れの存在に。また、2000年には内閣総理大臣顕彰、2003年に紫綬褒章、2004年と2007年には紫綬褒章飾版を受賞している。
2003年には元プロ野球選手の谷佳知と結婚。その後、2人の子供にも恵まれ、一時は参議院議員にも選ばれた。
金メダルを母の遺影とともに受賞、日本中を感動させた井上康生
見た目と風貌からも柔道家らしい落ち着きと貫禄を兼ね備え、オリンピックは1回、世界選手権では3回金メダルに輝き、日本最強の柔道家の名をほしいままにした井上康生。2000年シドニーオリンピックの男子100kg級で金メダルを取った際には、前年にクモ膜下出血で急死した母の遺影を持って表彰台に立ち、大きな感動を呼んだ。
現在は全日本男子監督として日本の柔道界を率いている。