「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

笑顔なき後輩を救った金メダル!?古賀稔彦が柔道界に残した功績とは

2016 12/16 20:07
このエントリーをはてなブックマークに追加

出典 https://www.kouenirai.com/

アトランタオリンピック柔道金メダリストである古賀稔彦さん。 実はこの金メダルで救われた後輩がいることはご存知だっただろうか? 今回は古賀稔彦さんの功績を振り返るとともに、アトランタオリンピックの裏話まで紹介していく。

柔道のために中学生で上京

佐賀県生まれの古賀稔彦さんは、小学校1年生の時にお兄さんの影響で柔道に出会った。メキメキと実力を現すと、小学校卒業後には上京して柔道私塾「講道学舎」へ入塾。中学1年生から高校3年生までの6年間、毎朝5時40分からみっちりと練習に打ち込む。
中学2年生の時に全国大会の団体戦で優勝すると、卒業後は世田谷学園高校へと進学。2年時に金鷲旗・インターハイ個人戦・国体と3つの大会を制すと、3年時にも全国高校選手権・国際高校柔道選手権・金鷲旗・インターハイ個人戦と4つの大会で優勝。もはや高校レベルでは敵なしという圧倒的な成績だった。
高校卒業後は日本大学体育学部へと進学し、3年生だった1988年にはソウルオリンピックへのメンバーに選出される。結果は3回戦で敗退だったが、日本の期待を背負って戦う重さを味わった。

オリンピックの夢舞台で予想外だったアクシデント

しかし、古賀稔彦さんといえば、やっぱり1992年のバルセロナオリンピックだろう。選考会で結果を残し、代表に選出された古賀稔彦さん。順調に調整を済ませて現地入りをしたのだが、吉田秀彦さんとの練習中に足を滑らせ、右足の靭帯を痛めてしまう。現地の練習場では、畳ではなくマットが敷かれていたため起きてしまったケガだった。
診断結果は全治1か月、試合は10日後。最悪のタイミングで起きたこのアクシデントに、ケガをした古賀稔彦さんはもちろんのこと、吉田秀彦さんまでも精神的に大きなショックを受けてしまう。2人は講堂学舎・世田谷学園で先輩後輩だった関係。選手村でも同じ部屋になるなど、公私ともに仲の良い関係だった。一緒に代表に選ばれ、気合を入れて臨んだオリンピックだったのだ。

おすすめの記事