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剣道での経験があったから倒産危機も乗り越えられた、もう自分だけのためではない【エス・ケイ通信・廣瀨勝司社長】

剣道

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株式会社エス・ケイ通信の廣瀨勝司代表取締役社長

アプリ開発やWEB制作、WEBデザインなどを事業とする株式会社エス・ケイ通信(東京都新宿区)の廣瀨勝司代表取締役社長は幼稚園の時に剣道を始め、22歳まで続けました。4時間も正座しないと入門を認められない厳しい道場で精神面を鍛えられ、礼儀を学び、キャプテンとしてチームをまとめてきた経験は、現在の仕事にも大いに活きているそうです。


【ゲスト】

株式会社エス・ケイ通信

廣瀨勝司代表取締役社長

1975年9月25日。東京都出身。幼稚園で剣道を始める。駒澤大学高校卒業後に一般企業に就職し、1998年に個人事業主として独立。2000年に株式会社エス・ケイ通信設立。現在は東京本社以外に大阪、名古屋、福岡にも支店を構え、従業員数は400人を超える。

■4時間正座してやっと入門を認められた超厳しい道場

――剣道を始められたきっかけから教えてください。

廣瀨:幼稚園の頃、私は落ち着きのない子だったそうで、姉の友達がやっていた剣道をすれば落ち着きが出て礼儀も覚えるんじゃないかと親が考えて始めることになりました。

――野球やサッカーを習う子供は多いと思いますが、幼稚園で剣道は珍しいのではないですか?

廣瀨:正直やりたくはなかったです(笑)。しかも、今では信じられないような話ですが、非常に厳しい道場だったので、正座できないと入門を許されないんです。約半年間は昼1時から夕方5時まで正座をして稽古を見学していました。

――幼稚園児が4時間も正座ですか!?

廣瀨:そうです。最初は親に無理矢理行かされた、というところからでしたが、今思えばここで剣道と出会えたことが私の人生を充実させてくれたので、親には感謝するべきですね。嫌々ですが4時間正座ができて、先生から「次から稽古着を持って来なさい」と言われたのが、私の剣道人生がスタートした合図でした。

――剣道自体はやってみてどうでしたか?

廣瀨:やっていくうちに、試合に出られるようになり、勝ったり負けたり結果が出てくるようになったころには、自分自身を高めていくことが少しずつ面白くなっていきました。

――小学生時代の最高成績は?

廣瀨:努力の末、区民大会の個人戦で優勝したり、団体戦で優勝したりすることができ、勝つ喜びを知りましたね。低学年の部でキャプテン、高学年の部でもキャプテンになり、より自信がついていきました。

――得意技は何だったんですか?

廣瀨:面ですね。面は思い切りの良さがないと決まらないんです。相手と駆け引きをしながら思い切って打ちにいくのが重要です。一番決めにくいので、逆に面で勝ちにいくということにこだわっていくのが、剣道の醍醐味でもあるような気がしました。

小学生時代の廣瀨勝司氏

本人提供

■中高でも主将を務め、インターハイ予選ベスト8

――中学では剣道部に入ったんですか?

廣瀨:学校の部活で剣道部に入って、道場にも引き続き通っていました。道場は日曜で、部活は日曜が休みだったので掛け持ちしていました。部活でも道場でもキャプテンを任せてもらっていたので、両方とも辞めることはせず、責任感をもって取り組んでいました。

――中学時代の最高成績は?

廣瀨:2年生の時、東京都の個人戦で3位になることができました。。準決勝の相手は3年生で、延長戦を3回やる白熱した展開だったんですが、最後に小手を打たれて負けました。得意技の面を打ちに行った時に小手を打たれて負けてしまったんです。

――勝てる自信はあったんですか?

廣瀨:正直に言うと、ありました(笑)。相手が年上であっても、常に大会に出れば優勝する気持ちで取り組んでいたので、そのときは悔しくて泣きましたね。道場の先生からも、お前が負ける相手じゃないと怒られました。滅多に褒めてくれる先生ではなかったので、優勝して「さすが」と感じてほしかったのですが、一歩及ばずでした。

――東京都内では有名な選手だったとおうかがいしました。

廣瀨:恐縮です(笑)。東京では認知度は高かったと思います。高校に行く前にスポーツ推薦で何校か強豪から誘われました。その中から自分の成長の伸びしろが多く、あえて自分が苦労しそうな学校を選んで、駒澤大学高等学校に進学しました。完成した環境に身を置くより、自らつくりあげる環境を選択することは、今の経営観にも生きています。

――駒大高に入ってみてどうでしたか?

廣瀨:強い先輩方がたくさんいたので、最初は練習についていくのに必死でした。辛かったですが、強くなりたい気持ちの方が強かったので闘志が湧きましたね。365日練習だったので道場は中学で卒業し、高校の部活に集中して取り組みました。

――高校時代の最高成績は?

廣瀨:キャプテンだった3年生の時、インターハイ予選の個人戦で東京都ベスト8に入りました。準々決勝の相手は優勝候補で一本負けでしたが、常に攻めて攻めて攻めて、勝負しにいって負けたので、僕なりには満足できる試合でしたね。高校の先生からも十分だと言われましたし、この経験を次に活かそうと思いました。

――高校時代、キャプテンとして苦労したことはありましたか?

廣瀨:日々の厳しい稽古で、心が折れたり、モチベーションが下がったりする部員がいたのでサポートには苦労しました。主将として部員一人ひとりとコミュニケーションをとったときに気づいたのが、チームとしての目標はあるものの、一人ひとりの役割や目標はそれぞれ異なるので、それぞれの目線に合わせて話し合うことが重要だと感じました。それは今も同じで、会社の代表として、社員と同じ目線でコミュニケーションをとることを心がけています。

後列右から2人目が駒大高時代の廣瀨勝司氏

後列右から2人目が駒大高時代の廣瀨勝司氏・本人提供

■営業マンとして働きながら東京都で準優勝

――高校卒業後も剣道を続けられたんですね?

廣瀨:大学には進学せず、高校卒業して就職したんですが、中学まで通っていた道場に再び通いだして22歳まで続けました。

――社会人の大会には出場したんですか?

廣瀨:そうですね。東京都で準優勝でした。決勝の相手は機動隊の選手で6段。僕が面を打ちに行った時に胴を打たれる「返し胴」で負けました。悔しい気持ちはありましたが、練習量が全然違うので、負けて当然の結果でしたね(笑)。営業として月曜から土曜まで働きながら日曜だけ稽古して試合に臨んだので、準優勝の結果は少しだけ自分を褒めてあげたいです(笑)。

――仕事をしながら剣道を続けるのはハードな日々ですね。

廣瀨:そうですね。でも、高校卒業してから剣道がさらに面白くなったんです。高校までは練習も厳しく、常に勝負で負けてはいけないというプレッシャーの中でやっていましたが、社会人になってからは自主的にやっていたので、より自分と向き合うことができたのだと思います。声を出すことでストレス発散にもなりました。道場の先生も中学までとまた違う視点で指導してくれました。

――22歳で辞めた理由は?

廣瀨:独立して忙しくなり、剣道をする時間がなくなったので辞めました。

■倒産危機を乗り越えられたのも剣道のおかげ

――幼稚園から22歳まで20年近く剣道をやって学んだことは?

廣瀨:目上の方に対しての礼儀だったり、仲間を大切にすることだったり、責任感だったり。あと、ストレス耐性が非常に強くなりましたね。

――仕事をする上で剣道での経験が役立ったことも多いと思います。

廣瀨:営業会社を設立したので、相手に対しての礼儀、従業員を雇う責任、コミュニケーションをどう取るかなど非常に役立っています。キャプテンとしてチームをまとめていたのは会社でも同じです。いろんな問題が日々ありますが、常に最後まで諦めない。マイナス思考にならなかったのは剣道をやっていたおかげですね。

――それを一番実感したのはいつですか?

廣瀨:創業3年目くらいの時、取引先が倒産して一切入金がなくなったんです。まだ会社が小さくて銀行はお金を貸してくれなかったので親から借りて、消費者金融5社からも借りました。会社の倒産危機でしたが、社員に給料を払わないといけないし、取引先にも支払わないといけないという時が一番大変でした。ただ剣道で個人競技とキャプテンを経験したおかげで、もう自分だけのためではないと踏ん張ることができました。社員とその家族の人生も自分の責任で支えていかなくてはいけない立場になったのだと思い、最後まで諦めず問題と向き合うことができました。

――辞めようという思いにはならなかったんですね。

廣瀨:そうですね。当時、従業員は8名いたのですが、必ず何とかするから大丈夫と常に言っていました。従業員たちも、社長に絶対ついていくと言ってくれて、辞める人間は一人もいませんでした。その当時から「大家族主義」という理念を掲げていたのですが、多くの失敗を重ねて、その度に仲間に支えられた剣道の経験から生まれた理念だと思っています。自分に付いてくれる人の有難みを実感しましたし、だからこそ支えてくれた仲間を支える立場になる決意ができたのだと思います。

――倒産危機はどれくらい続いたんですか?

廣瀨:10カ月です。入ってこなくなった分を借入して、それを10カ月で返済しました。完済した時は本当に気持ち良かったですね。従業員全員と朝まで飲んだのを覚えています。

――嫌々始めた剣道のおかげで人生が変わりましたね。

廣瀨:感謝しかないです。今の時代は絶対にダメですけど、殴られることが当たり前の時代だったので、サラリーマンの時も蹴られたり、罵倒されたりしましたが耐えられました。経営している今も毎日が勝負です。剣道も試合で勝ち続けるという意味では会社経営と共通してますね。

――一瞬の隙をつく剣道で養われた洞察力は、会社経営にも役立つのではないですか?

廣瀨:そうですね。剣道は気の勝負でもあります。団体戦でも仲間の顔つきが良くなかったら声をかけるなどしてフォローしておりましたが、それは今の会社でも同じです。顔色が悪いなとか、負けムードだったらどうやって勝ちムードに持っていくかとか、剣道でやっていたことが活きてますね。

廣瀨勝司社長

株式会社エス・ケイ通信提供

■五段に挑戦してチャレンジする姿を見せたい

――今は剣道をやってないんですか?

廣瀨:1年に1回か2回くらいだけやっています。今年の目標は、五段に挑戦しようと思っています。

――本格的に稽古を再開するんですか?

廣瀨:やっても月に2回くらいしかできませんけどね(笑)。21歳の時に四段を取ったのですが、五段は合格率15%くらしかないので大きな壁だと思います。でも、チャレンジしてできないことはないよというところを見せたい。もうすぐ50歳になりますが、この年でもチャレンジできるんだというところを見せたいんです。エス・ケイ通信が拡大し続ける理由でもあるのですが、社員一人ひとりに多くのチャンスを作るため、組織が成長を止めた瞬間に、その中だけでの循環はあれど、それ以上のものは得られないと思うんです。自分が生みだした組織だからこそ、逃げることなく拡大に立ち向かう必要があるので、まずは自分自身の成長を止めることなく、今後も挑戦していきたいですね。

――剣道家として尊敬する方はいるんですか?

廣瀨:道場の名誉顧問だった中村伊三郎範士九段です。高校時代にお世話になった恩師の井上誠二七段も尊敬しています。

――お二方から言われた印象深い言葉はありますか?

廣瀨:中村先生からは、とにかく一生懸命やること、勝負に対して逃げないと言われたのを覚えています。井上先生からは勝負の厳しさを徹底的に鍛えられました。キャプテンとしての考え方、チームをまとめる考え方を学びました。駒大高校の教頭先生になられた井上先生とは今も交流があって、人生とは何だとか、今の子たちの考え方だとか、勉強になる話を聞かせていただいています。今後もお二人に少しでも近づけるような経営者を目指し、日々精進していきます。

集合写真

株式会社エス・ケイ通信提供

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