かつてプロ野球の日本ハム、オリックス、阪神でプレーした糸井嘉男氏と、岡山・関西高校時代に甲子園に4度出場し、糸井氏と同時期に日本ハムでプレーしたダース・ローマシュ匡氏が対談しました。現役時代の思い出話や極秘エピソード、引退後の現在に至るまでボリューム満点の対談です。動画も合わせてご覧ください。
【ゲスト】
元日本ハム、オリックス、阪神外野手
糸井嘉男
1981年7月31日、京都府出身。京都府立宮津高から近畿大に進み、投手として関西学生リーグで通算9勝をマーク。2003年ドラフト自由獲得枠で日本ハムに入団後、野手転向。2013年にトレードでオリックスに移籍、2017年からFAで阪神に移籍し、2022年に現役引退した。通算1727試合出場、打率.297、1755安打、171本塁打、765打点、300盗塁。
【ゲスト】
元日本ハム投手
ダース・ローマシュ匡
1988年12月15日、奈良県出身。岡山・関西高3年春のセンバツ2回戦で斎藤佑樹を擁する早稲田実と延長15回引き分け再試合の末に敗退。2年春から3年夏まで4季連続で甲子園出場。2006年高校生ドラフト4巡目で日本ハムに入団。2011年に引退後はモデルとしても活動し、現在はメジャーリーガーのマネジメントを務める。
■プロ注目右腕を見るために近大グラウンドまでランニング
ダース:僕は近大が家から近かったんで、小さい頃から糸井さんを知ってました。
糸井:奈良県生駒市の山の斜面上に近畿大学野球部があるんですけど、僕はそこで野球をやってました。その近くの中学校出身ってことやんな。
ダース:片道5キロ、近畿大学野球部のグラウンドまで、毎日走って行ってました。
糸井:えー、そうなん?知らんかった。
ダース:当時の近大・榎本保監督から二岡(智宏)さんの革手袋をもらったり、折れたバットをもらったりしました。小学生、中学生の頃って折れたバットでも嬉しいじゃないですか。
糸井:もらえるから来てたんや。
ダース:近大にプロ注目選手がいるんやと。糸井さんがいたから見に行ってましたね。(プロ入り後)一緒のチームになったんで、わー糸井さんや!みたいな。
糸井:僕らしか分からないんですけど、近畿大学野球部のグラウンドの周りをランニングとか結構あって、南生駒周りとかあったもん。あの辺の中学校か。なんとなく分かる。
ダース:今思うと、あの辺すごく良くないですか?
糸井:今思うといいね。当時はなんで生駒やねんって思ってた。
ダース:でも、大阪に近いじゃないですか。
糸井:そうそう、生駒のトンネルを近鉄線で行ったらすぐなんで、よく大阪に出てきたりしてましたね。
ダース:そこからプロで一緒にプレイできるとは思ってませんでした。
糸井:大型のダルビッシュ2世と言われてる投手が入ってくるって噂でね。当時はピッチャーやったんで、またライバルが来るみたいな。
ダース:思ってないでしょ。
糸井:ほんまに甲子園で凄く有名やったから。有名なフレーズあるやん。
ダース:この前、高校時代の同級生の結婚式があって、その時もあのシーンが流されましたね。
糸井:有名なシーンがあるんですよ。関西高校で有名やったから。ドラフト何位やったっけ?
ダース:4位です。僕らの時は高校生ドラフトがあったんで。1位は吉川光夫でした。
糸井:大学・社会人と高校生は別れてたんか。そうや、そうや。吉川光夫が1位か。広陵高校。
ダース:2位がなくて、3位が植村祐介。
糸井:この前会ったわ。たまたま鎌ケ谷(日本ハム二軍施設)のイベントで行って、懐かしかったわ。
ダース:1年目から植村がファームで7勝して、吉川は一軍に上がって投げたんですよ。僕はファームで1試合も投げてないのに、2年目のゴールデンウィークあたりにすごい連戦があって、その時ダルビッシュさんがオリンピックか何かで抜けることになったんです。
糸井:そんなんあった?
ダース:それが僕の初登板やったんです。この日の先発がいないと。
糸井:一軍の?
ダース:2年目の4月頃、ファームで1試合も投げてないのに。7勝した植村が上がれなくて、多分めっちゃ悔しかったと思います。
糸井:1回も投げてないダースが一軍マウンドに上がったん?おかしいやろ。
ダース:やばいですよね。
糸井:彼も関西やな。
ダース:そうです。大阪で確か中学まで軟式野球チームなんですよ。そこから北照高校に行って、バッティングも凄かったらしいです。結局、今も日ハムに長くいるのは植村ですからね。
糸井:先日、行かせてもらって、ほんまに懐かしかったですね。変わってなかったし。
■憧れの人の打者転向で痛感したプロの厳しさ
ダース:糸井さんの同期は誰でしたっけ?
糸井:須永(英輝)投手、浦和学院の左腕。次が押本(健彦)投手。日産自動車からドラフト3位。安定感があって完成度の高いピッチャーでしたね。で、稲田直人さん。金森(敬之)投手。札幌第一高校のキャッチャー、渡部龍一が同期かな。
ダース:活躍した人が多いし、当たり年じゃないですか。押本さんもそうやし、稲田さんも長かったし。
糸井:須永と渡部龍一はまだ球団にいるみたいやし、金森はパナソニックの監督やってるからね。押本も球団で打撃投手してるんちゃうかな。
ダース:全員がまだいるし、長くやりましたよね。
糸井:僕だけ野球に携わってない。
ダース:あ、そうか。そういうことですね。
糸井:俺は2003年ドラフトやけど、ダースは?
ダース:2006年です。
糸井:3年か。ダースが入ってきた時は俺が打者転向の年やったんちゃうかな。
ダース:ちょうど1年目でした。だから(糸井さんの)ピッチャーを見てないんですよ。大学時代しか見てないんです。
糸井:打者転向を言い渡されてダースが入ってきた時は野手として、めちゃめちゃ必死にやってる時でしたね。
ダース:それこそ中学生の時に憧れて糸井さんのピッチング練習を見に行ってましたけど、その人がもう打者転向してんのって思いました。中学生の頃憧れて見てた人が、こわーと思いましたね。
糸井:厳しいんですよ、やっぱり。
ダース:糸井さんは練習が終わった後、ずっと室内練習場で打ってたイメージです。1人でカンカンカンカン。そら成功するよなって思いました。ずっと打ってませんでした?
糸井:ほんまに厳しさを肌で感じたっていうか、プロ野球選手でなくなる、クビになるってほんまに思ったから。生活から何から全て見直して、取り組み方もね。人生で一番努力した年かな。手なんてずるむけやったし、風呂に入られへんから、シャンプーは足の指で洗ってた。手はずるむけでシャンプーできひんから、足でやって。できるか!(笑)
ダース:僕は当時の糸井さんの手を見てないですけど、今聞いたら、まあそうなるわなっていうぐらいでした。
糸井:ロッカーも近かったよな。懐かしいな。
ダース:鎌ケ谷は環境がすごく良かったし、田舎なんでちょうどいいですよね。
糸井:遊びに行けないし、野球漬けにできる環境やし、若手が成長できる球団でした。どんどんいい若手が出てきたし。
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■糸井氏の指導に悩んだ大村巌コーチが参考にした本とは?
ダース:打者転向すると、コーチが大事になってくるじゃないですか。自分の努力もありますけど。
糸井:大事、大事。今、ベイスターズのコーチやってる大村巌さんに付きっきりで指導を受けてました。打者転向してすぐの頃は寝る暇もなかったというか、常にやってもらった記憶がありますし、ほんまに感謝してます。
ダース:今もつながりはあるんですか?
糸井:もちろん。面白い話なんですけど、僕が全く言うことを聞かなくて指導に困ってたみたいで、大村さんがある日、ヒントを探しに本屋さんに行ったらしい。そこで見つけたのが「正しい子犬の飼い方」という本。それを手に取って読んだら、これだ!って思ったらしくて。
ダース:糸井さんが言うことを聞かないから?
糸井:言うことを聞かんから、どうしたらあいつは言うこと聞くかと悩んでたらしい。で、書店に行って「正しい子犬の飼い方」という本を見つけて、次の日から凄く褒められるようになった。
ダース:やっぱり褒められたら伸びるって感じますか?どういうタイプなんですか?ダメな時、お前全然あかんな、もっと練習せえよって言われて奮い立つのか、結果は出なかったけどよかったでって言われるのか。
糸井:褒められた方がいいですよね。
ダース:何くそって思わないタイプですか?
糸井:思わへん。黙れ!と思うな。
ダース:やっぱり褒めた方がいいんですね。
糸井:ゼロからのスタートやったから、1個やるだけで自分で成長できてるっていうのを感じられて楽しかった。こういう練習をしたら、また打てるようになったとか、小さいことでも自分でできるようになったと感じられたから面白かったし、しんどかったけど、成長できるのは楽しかった。
ダース:あの経験がなかったら、今はないと。
糸井:ないない。ドラフトで入った時、野手をやるなんて全く想像できひんかったけど。
■30分かけて肘を伸ばす!?
糸井:俺もダースを見てたけど、いきなり肘を痛めたんちゃうん?
ダース:トミー・ジョン手術は4年目ですが、ずっと怪我してました。肩痛いとか、腰痛いとか。
糸井:トレーナー室でいつも治療してるイメージがある。
ダース:やっぱり体が一番大事ですね。やる気があっても、体が痛いからやる気が出ないみたいな。頑張られへん。
糸井:ピッチャーは特にあるんちゃうかな。肩、肘が痛かったら投げられへんもんね。
ダース:ピッチャーあるあるで、朝目覚めた時、肘が曲がった状態だったら地獄じゃないですか?伸ばすのに15分ぐらいかかったり。
糸井:俺は肩を手術してるけど、肘はない。しびれてるのはあった。寝方が悪いんやろ。
ダース:起きて見た時、終わったと思いますよ。30分かけて直して。
糸井:30分かけて伸びたん?肘のどこが悪かったん?
ダース:内側です。
糸井:やっぱり多いよな、靭帯。
ダース:もっと、ちゃんとやっとけばよかったって思いますね。
糸井:いや、靭帯って筋肉じゃないし、持って生まれたもんやしね。ケガする選手はする。
ダース:僕、ガリガリですけど投げられたんで、怪我のリスク高いよなって思います。軽トラがV8エンジン載せてるような。
糸井:やっぱり体がついてけえへんみたいな。球が速いピッチャーはそうなるんやね。大谷くんも負担かかってるんやと思うし。
■キャンプ紅白戦でたった一度の対戦
司会者:日本ハム時代、同僚として紅白戦やキャンプで対戦したことはあるんですか?
糸井:ないです。
ダース:いやいや、ありますよ。梨田監督だった時、ダルビッシュさんと自主トレして、その流れで名護キャンプ一軍スタートでした。で、紅白戦で糸井さんから三振取ってます。
糸井:全然覚えてないけど、ほんま?名護で?
ダース:ナイアガラカーブで。
糸井:2メートル付近からのナイアガラカーブね。
ダース:その1打席だけです。キャンプの紅白戦で。糸井さんが打者3年目くらい。
糸井:じゃあ、もう調整できる立場ですね。彼は抑えなあかん立場、アピールせなあかん立場。
ダース:糸井さんはもう3割打ってました。デカッて思いましたね。
糸井:お前が言うな。
ダース:僕はひょろ長じゃないですか。糸井さんは懐が広いような感じで、ある意味投げやすいんですよ。そこをバチンといくようなイメージ。
糸井:吸い込まれる感じ?それ、ええ打者やん。センターを守ってて良い打者は大体分かるから。懐が深くて、ボールが吸い込まれていく。
ダース:見逃し三振でした。
糸井:あかんやんけ、おい!
ダース:後輩を立ててくれたのかもしれませんね。チャンス掴めよみたいな。僕の印象なんか多分ないと思います。僕の投げてる投げてる姿あんま見たことないでしょ。ずっと怪我してたから。
糸井:柔らかいイメージやったなあ。細いから。体ができて、ダルビッシュみたいにちゃんとトレーニングしてたら化けてたかもしれんで。
ダース:いや、ほんとにね。ずっとトレーニングしろって言われ続けたけど、やりませんでした。
糸井:なんでなん?
ダース:トレーニングしたら体がもたないと思ってました。
糸井:ダルビッシュと自主トレしててもそう思ってたん?
ダース:マジで毎日しんどい、壊れそうって思ってました。どこかで自分を変えるためには何か変えなきゃいけないですね。
糸井:くそ化けしてたかもしれん。今からでもいけるんちゃう?
ダース:今は35歳ですよ。オールドルーキー。
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■ダルビッシュの影響でトレーニングに開眼
糸井:ダルビッシュの存在は大きかったよ。トレーニングで体を大きくするのはリスクもあるんですよ。でも、彼はそのリスクを恐れずに進化を求めた。「僕が野手だったらもっとやってますよ、糸井さん」と言われた。「筋肉は嘘つきませんよ」と言われて、そこから俺もめちゃめちゃやるようになった。
ダース:元々大きかったじゃないですか。
糸井:いやいや、細かったよ。野手になってからバットが重く感じたし、トレーニングも重要視してたよね。
ダース:それはマスコットバットやったとかじゃなくて?
糸井:小笠原さんのマスコットやった。
ダース:1.2キロとかのやつ。それは重いですよ。
糸井:まずバット選びから始まるんですけど、何が良いか分からないじゃないですか。鎌ケ谷のロッカーに小笠原さんのバットが1本だけあった。自主トレの時にたまに打つバットやろね。これやと思ってメーカーにこの形でお願いしますって言って、それが始まり。ちゃんとロッカーに返したよ。
ダース:結局どういうのがよかったんですか?
糸井:当時の小笠原さんなんてスーパースターだから。でも、オーソドックスな形やったね、今思うと。
ダース:引退まで変わらなかったんですか?
糸井:俺は変えた。稲葉さんの形にしたり。
ダース:稲葉さんのバットはちょっと太い。
糸井:ビール瓶みたいな。3回、4回ぐらい変えた。ずっと小笠原さんで来てて、一軍でレギュラー掴む前のキャンプで変えてハマった。それが稲葉さん。そこからトレードでオリックスに行った1年目にギリギリ3割残したんやけど、これだとずっと3割は打たれへんなと思って、またチャレンジして変えて次の年に首位打者を獲った。素材も変えたし、柔らかいのとか、硬いのとか。
ダース:3割ギリギリ行ったのに変えたのは凄いですね。ダルビッシュさんの話じゃないですけど、リスクを背負って何かを変えないと変わらないっていう。
糸井:一番良い例が今年の山本由伸投手ですよね。2年連続4冠。圧倒的。それが今年またフォームを変えてとびっきりの成績を残してる。成長していくには大事ですよね。
■日本ハム時代の豪華外野陣
糸井:当時の日本ハムは雰囲気がめちゃめちゃ良かったです。新庄さんは3年で辞められましたけど、やっぱり球団をガラッと変えた方で。
ダース:(森本)稀哲さんがそれを受け継いで。
糸井:早く一軍でああいう方とプレイしたいなと思ってましたね。一軍に行った時も稀哲ちゃんだったり、稲葉さんだったり、見本になる先輩はめちゃくちゃいましたね。ピッチャーもそうやしね。
ダース:そうですね。ピッチャーも凄かったですね。
糸井:外野手は常にゴールデングラブ賞を取る選手が揃ってたイメージですよね。
ダース:稲葉さん、糸井さん、稀哲さんで、陽(岱鋼)さんが入ったりとか。 やばいですね、今思ったら。
糸井:札幌ドームは広いんで、守備能力を生かせる部分は多い。狭い球場だと見せ場が少なくなるっていうのはありますね。その点、札幌ドームは広かったんで。
ダース:ひとつ聞きたいんですけど、打ちやすい球場、打ちにくい球場ってあるんですか?
糸井:なんとなくある。
ダース:どこが打ちやすいんですか?
糸井:ヤフオクドーム(現PayPayドーム)。なんか見やすい。
ダース:やっぱり室内の方が打ちやすいんですか?
糸井:いや、そうでもないけどね。ハマスタも見やすい。
ダース:逆にどこがやりにくいとかあったんですか?
糸井:俺は神宮が嫌いやった。日ハムの時は京セラも嫌いやった。理由はマウンドが高い。でも、いざオリックスに行ったら大好きになった。成績が良い球場は好きになっちゃう。
■糸井氏が先輩からも後輩からも慕われる理由
ダース:僕が一軍で初先発した時は確か…。
糸井:申し訳ないけど全く覚えてない。
ダース:糸井さんはケガでいませんでした。2度目の先発をした時は糸井さんがセンターにいました。通算何試合出たんでしたっけ?
糸井:分からん。覚えてない。
ダース:僕は2試合なんで、僕の方が覚えてます。
糸井:あ、そういうことね。
ダース:逆に少ないから、食事に行ったこととかも覚えてます。糸井さんは先輩も後輩も関係なく付き合うじゃないですか。好き嫌いはあるかもしれないですけど幅広い。こんなに先輩、後輩と付き合ってる方は知らないです。たいていは2、3歳の幅で仲良くすると思いますが、20代の選手とかも仲良いじゃないですか。それが凄いなと思います。みんな話しかけやすいんですよ。めっちゃ親しみやすい。
糸井:去年、タイガースで俺が41歳で、俺の下は31歳やった。外国人を抜きにして10個下やったから平均年齢を上げてた。
ダース:41歳と31歳で、あとはさらに若いってことですか。どんな感じなんですか?
糸井:楽しかった。やりやすいように俺も考えてたよ。変なオーラとか出さんと。出るけどね、肩幅広いから。
ダース:糸井さん、オーラないっすよ。
糸井:やかましいわ!
ダース:怖いオーラ。当時の日ハムはベテラン選手が多かったじゃないですか。金子誠さん、稲葉篤紀さんとか、小笠原道大さんとか、ピッチャーは怖かったんですよ。投内連係で変なとこ投げたらどうしようとか。
糸井:なるほどね。そういうオーラか。
ダース:糸井さん、ないです。
糸井:それ褒めてる?
ダース:褒めてますよ、めちゃくちゃいいじゃないですか。
糸井:いや、たまにピリッとしたのもいるで。
ダース:糸井さんがビリっとしたら拗ねてんのかなと思います。怒ってんなというより、拗ねてるわみたいな。(阪神では)やりました?
糸井:できひんかった。
ダース:福留(孝介)さんとか、引き締めたりできそうじゃないですか。誰がやったんですか?
糸井:梅野とか。梅ちゃん引っ張ってくれーって。
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■引退後の胸の内……刺激が足りない一方でストレスフリー
ダース:人間的な部分で糸井さんから学んだのは、僕はピリピリするのが嫌いで、みんなで楽しくやりたい方なんで、そういう面では糸井さんは人生を楽しんでるなといった人生観みたいことを学びましたね。それは僕の中でずっと生きていくものなんで、大きいなと思ってます。それこそ、高校からプロに入って、稀哲さんに「はじめまして、ダースです」と挨拶させてもらった時、「お、ダース、知ってんぞ。頑張っていこな」と言われて、えっ、森本稀哲がこんなことしてくれんのっていうようなチームでした。そういう魂が引き継がれて明るい感じだったんで、凄くいいなって思ってましたね。
司会者:糸井さんが引退後に変わったと感じる点はありますか?
ダース:去年までプロ野球選手として長くやられてきて、社会に出て、僕が言うのもなんですけど、大変な時期だと思うんです。僕もプロ野球選手を5年しかやってないですけど、それでも社会人になった時は大変だったんで。糸井さんも時間をかけて社会にどっぷりハマっていって、バッターみたいにハマっていくのかなと思ってます、糸井さんがテレビに出てたら、僕の家族もみんな応援してますし、バラエティのトークがちょっと上手くなったなって思いますね。慣れてきはったんかなって。
糸井:慣れてない、慣れてない。芸人さんとかと出ると、やっぱり芸人さんは凄いなと思いますもん。でも、小さい頃から30年近く野球中心の生活だったんで、それが今年からなくなって刺激がないなと思う時もありますし、逆に今までプレッシャーの中で戦ってたのでストレスフリーみたいなものも感じますね。
ダース:やっぱり辞める時は寂しかったですか?
糸井:やっぱり寂しいよね、誰でも。
ダース:引退試合の次の日はどうだったんすか?
糸井:肩の荷が降りた感じやったね。野球が好きやから、ずっとやれるんやったらやりたいけども、両方あるよね。勝負の世界から退いて刺激が足りないとか、逆にプレッシャーから解放されて気楽に野球を見られる。ただ、野球ほど情熱を注いでやれることが、もう一生見つからへんのかなとは思いますけどね。
ダース:分かります。僕も高校時代とか中学時代が一番輝いてたなって思います。あれくらい情熱を注げるものに出合いたいなとか、注げる自分でありたいなと思うんですけど、なかなか難しい。
糸井:無理なんかもしれんな。
ダース:あれだけ泣けたこともないですし。笑えたこともない。
糸井:まだ見つかるかもしれないし、色々チャレンジもしてますし、見つかったら嬉しいですけどね。