
化粧品や医療機器、健康食品などの受託製造から物流代行まで様々な事業を展開する株式会社ミズ・バラエティーの栗田佳幸代表取締役は、12歳で空手を始め、成蹊大学空手部で副主将を務めましたが、内心ではコンプレックスがあったと言います。中国への留学、空手を始めるきっかけだった兄の死…。様々な人生の分岐点で正しい道に導いてくれたのが空手でした。
【ゲスト】
株式会社ミズ・バラエティー
栗田佳幸代表取締役
1966年2月9日、静岡県出身。静岡県立掛川西高校から成蹊大学に進み、空手部に入部。1989年に中国留学し、1990年にヤオハンジャパン入社。1993年にミズ・バラエティー入社。1996年に代表取締役就任。
「苦しかった思い出しかない」成蹊大学時代、地獄の神津島合宿
――空手を始めたきっかけは?
栗田:12歳の時、兄に負けたくない気持ちから始めました。
――お兄さんも空手をしていたんですか?
栗田:兄はしていませんでしたが、年齢で3歳、学年で言うと2年違いだった私は体が小さくて兄に体力的に勝てなかったんです。私は中学に入る時に136センチしかなかったんです。合う学生服もなくて、すごく辛かったのを覚えてます。
――お兄さんは小さくなかったんですか?
栗田:兄は背が高かったんです。178センチくらいはあったと思います。
――お兄さんに勝つために空手を?
栗田:そうです。今思うと健気ですね。
――ほかにも格闘技がある中で、なぜ空手だったんですか?
栗田:当時は「空手バカ一代」という漫画が流行ってたのと、もうひとつは近所にあった道場主に魅了されました。もうとっくに亡くなりましたが今でも尊敬しています。私は足も速かったし、運動神経は悪くなかったんで、けっこう早く上達しました。1年経って、同じ流派のいくつかの道場生が参加する大会で優勝しましたね。
――それは凄いですね。その後の実績は?
栗田:高校生の時、流派の全国大会の個人戦で優勝したりしました。
――優勝すると楽しくなったんじゃないですか?
栗田:ハマっていくような感覚はありましたが、強くなったという実感はありませんでした。体も小さかったし、自信があったわけではなかったですね。高校には空手部がなくて剣道部に入ってたんで、剣道をしながら空手道場にも通ってました。
――成蹊大学でも空手を続けられました。
栗田:大学では体育会空手部で、和道流(わどうりゅう)でした。日本武道館などでも試合をしましたが、私自身の気負いが強く試合ではいつも自滅していた印象です。自慢できるような戦績は大学生時代にはありません。大学時代は空手をしていたというよりもむしろ空手部をしていたような感があります。私は副主将で、当時の主将は今、ありがたいことに同じ会社の役員をしてくれています。18歳から40年近く一緒にいます。かけがえのない友です。

和道流首都大学戦で(前列左から2人目が栗田氏)・本人提供
――大学時代、一番嬉しかったことは何ですか?
栗田:あぁ、何だろうなあ…。苦しかった思い出しかないですね。合宿は東京から船で伊豆諸島の神津島に行くんです。島だから逃げ出せないし、稽古中に朦朧として倒れる人もいました。病院に何人も担ぎ込まれるので駐在所の警察官が心配して見に来たりもしました。しっかりしたコーチもおらず、今思うと無茶だったと思いますね。何かのタイミングで誰かが死んでもおかしくなかったと思います。
――合宿ではどんな練習をするんですか?
栗田:ずっと、突き蹴りの基本的な訓練です。相撲で言うと、四股や鉄砲を繰り返すみたいな。
――1日のスケジュールは?
栗田:朝早く起きてランニングで島の向こう側まで行って、朝から千本突き、千本蹴り。朝食の後、午前中は移動稽古。午後からは対面しながら突き、蹴りを繰り出していくような稽古です。

神津島合宿風景・本人提供
――基本動作の繰り返しですか?
栗田:そうですね。合宿はそんな感じです。もう時効だからいいと思いますが、合宿中などのコンパでは、イッキ、イッキの無茶な飲み方をしてました。ビールを何回もイッキすると胃の中に入り切らないので、汚い話ですが、トイレで立ったまま腹筋を動かして便器に吐くことができました。そうすると、腹の中に入れたビールが冷たいまま出てくるんです(笑)。トイレで戻して、笑って席に戻って、また飲むみたいな。それが美風だという文化でした。
――それは無茶ですね(笑)
栗田:学園祭では演武があり、瓦を頭で割る、頭割り(ずわり)もやりました。当時40代の先輩が「そんなことしたら、俺くらいの年齢になると首とかに後遺症が出るからやめとけ」と言われて、なんて弱っちいこと言うんだと思ってましたけど、今、後遺症が出てます(苦笑)。
――何年も経ってから出るんですか?
栗田:皆さん、そう言ってるからそうなんじゃないですかね。私の首はいつも左に曲がってます。レントゲンを撮ると、普通、首は骨が前に曲がってるのにピンと立っているそうです。常にそういう状態だからすごい違和感はないんですけど調子はずっと良くありません。
――いつ頃から後遺症を発症したんですか?
栗田:40代後半くらいからです。先輩たちがそう言ってたのは本当だったと思います。
■天安門事件のため、たった3カ月で終わった中国留学での大きな収穫
――大学を卒業して中国へ留学されましたね。
栗田:成蹊大学は東京のお金持ちのご子息が行くような、お坊ちゃん大学なんです。安倍晋三元首相も卒業されています。私は静岡から上京して、高い詰襟の学生服を着て下駄を履いて学内を歩いてました。異端ですよね。その中に自分の仲間との居場所があったんです。
でも、ビックリしたんですが、就職活動になると、みんな髪型を七三分けにして、他の学生と同じようなスーツを着だしたんです。言ってたことと違うじゃん!と思いました。私は就職活動をできなくなって中国に留学しました。
――就活をできなくなった理由は?
栗田:大学時代、自分と周囲を比べて自分のアイデンティティや居場所を作りますよね。一般の学生や球技系の体育会学生と自分たちは違うんだとバンカラを気取ってました。それが就職活動になると、いきなり彼らと同じ服装、同じ髪型にして、どうやっても勝ち目はないなと感じて、就活をできなくなりました。一緒にバンカラやってた連中がみんな就職していくので、一体どういうことなのと。
――根底にあったのは空手をやっていたプライドですか?
栗田:空手をしていたプライドというより自分に対するコンプレックスですね。だからそういう形で表現して居場所を作ってました。みんなと同じようにすることができなかったんです。
――就活しないと決めてから留学したんですか?
栗田:留学できることが決まったんで父に相談したら卒業してから行けよと言われたんで、卒業してから中国に留学しました。

卒業式風景(手前左が栗田氏)・本人提供
――中国にはどれくらいいたんですか?
栗田:1989年3月に行って6月に天安門事件が起きて帰ってきたので3カ月だけです。当時はお笑いコンビのとんねるずが、私からしたら面白くないのに軽いノリで視聴者を笑わせていて、日本の多くの大学生はそういうノリのコミュニケーションをしていました。私は留学するまでコミュニケーションが下手だなとコンプレックスがあったんです。就職もせず自分を見失って中国に行きました。
行く前に中国語を相当勉強したんですが、それでも日本語のようには扱えません。そうすると、心の波動というか気の合う人間とは言葉を喋れなくても一緒にいられるし、お酒を飲んでも楽しいんです。一方で、私から何かを獲ろうとして日本語をしゃべれる人が近付いてきた場合はその人の悪意を私の心が感じるようになりました。コミュニケーションとは言葉の使い方の巧拙ではなく、気持ち、心を合わせて波動で感じながらやると楽しいんだと気付きました。
――それは大きな発見ですね。
栗田:当時の中国の大学生は、北朝鮮の学生もアメリカの学生もイギリスの学生も同じ寮に住んでいました。その中に日本人が十数名いたんですが、私は中国人の友人とばかりいました。それが、すごく楽しかったんです。コミュニケーションは心ですればいいんだと分かったんで、たった3カ月ですけど日本に帰った時は人が変わったように元気、元気でした。
実はコミュニケーションを取れるようになったのは、空手をやっていたことと関係しています。大学では寸止め空手をやっていたんですが、あまり動かずに間合いを詰めながら対峙しますが、日常でもそういう「間」が大事だと思っています。自分の中では空手をやめた後も空手をしてるような感覚をずっと持っています。
――中国では空手をしなかったんですか?
栗田:中国ではしていませんでしたが、私の経歴を知っている武術の腕に覚えのある大学生たちが待ち構えていて留学早々に勝負しようと挑まれたことがありました。私は強い選手ではないんで、日本の空手を代表して戦うことはできませんよと断りましたが。

中国での武術交流会(後列左端が栗田氏)・本人提供
■ヤオハンに就職もパイロットだった兄が墜落死
――帰国してから就活をされたんですか?
栗田:帰国後は元気、元気でしたから、国際流通グループのヤオハンという静岡の一部上場企業に就職しました。中国に進出している企業で、私は中国で仕事をしたいと思いました。
――どのような仕事をしていたんですか?
栗田:つき合っていた女性に子供ができたので結婚することに決め、人事部長に地元の店舗に配属してほしいとお願いしたら望み通り地元スーパーの鮮魚部に配属してくれました。ヤオハンの中で鮮魚部は元気な若者が行くところなんですが、実家の近所なんでお祖母ちゃんと母親はスーパーに来て隠れて私を見ながら、「魚屋に入れるために大学を出したんじゃない」と泣いてたそうです(笑)。中国で仕事をする夢が破れ本当に辛い時期でしたが、仕事は本当に一生懸命にやりましたよ。
――働きながら空手もしていたんですね?
栗田:その頃は小学校から通っていた道場でやっていました。大会にも出て、静岡県のスポーツ祭で優勝しました。心技体と言いますが、大学生の頃は心が体を上手に操れてなかったと思います。例えば心50点、体90点、技80点あったとしても、心が50点だったら50点分しか技も出せないと思うんです。社会人当時は体力も技も落ちてましたけど、心のレベルが上がっていたから優勝できたのかなとその時思いましたね。心80点、体75点、技70点のイメージで70点のパフォーマンスが出せたと思います。心は大事だなと凄く感じました。

静岡県スポーツ祭個人戦で優勝した栗田氏(右)・本人提供
――何歳まで続けたんですか?
栗田:30歳までです。その年に社長になりましたので仕事に没頭しました。
――空手で一番学んだことは?
栗田:心が整ってないと技も出ないし、体力も生かせない。仕事だったら知識も生かせない。心が落ち着いていることが何より大切です。もうひとつはノリとかでなく、しっかり相手と対峙しながらコミュニケーションを取る大切さ。商談でも何でも試合をやっているようなイメージはずっと持っています。中国で言葉を喋れなくてもコミュニケーションを取れるんだと分かったのは私の人生にとっての一番大きな気付きでした。
――中国での3カ月は人生の転機だったんですね。
栗田:人生の転機でした。全く変わりましたね。自信が着きました。大学生の頃はどうしても球技系の学生たちに張り合うような気持ちを持っていましたがそれも無くなりました。
――球技が花形なんですね?
栗田:ラグビー部とか球技系は花形でしたね。大学の時は彼らが眩しかったんですね。
――空手を始めたきっかけのお兄さんへの気持ちも変わったんですか?
栗田:兄は防衛大学を出てF15のパイロットになったんですが、27歳の時に墜落死しました。私が24歳、兄が27歳の時です。私は大反対を押し切って結婚したし、親から離れてあんまり会わなくなっていたので、父の仕事を誰が継ぐかとか話していませんでした。でも、兄が亡くなり、父の会社で勝負したいと言ったのが27の時です。
――お父さんの反応は?
栗田:ダメとは言わず、そうかと言ってましたけど、戸惑ったかも知れません。嬉しいとは言わなかったです。当時の自分は自分勝手で我儘でしたから父は心配もあったと思います。父は兄が亡くなってからショックで数年後には亡くなりました。
――若くして社長となり、ご苦労も多かったと思いますが、どうやって乗り切ったんですか?
栗田:武道系の先輩たちにかわいがってもらいました。父は化粧用パフとかティッシュとかボールペンとか、訪問販売の化粧品会社の販促品を売る会社をやっていたんですが、需要がなくなって赤字になってきたんです。そこで私は大学の空手部から少林寺拳法部から居合道部から、あらゆる先輩を頼って回りました。
ある先輩に式典のパンフレット制作を依頼され、地元の印刷屋に聞いたらできるということで最初に納めたのが1発目の仕事でした。5、6万円の仕事で、東京までの交通費を払ったら赤字でしたけど、自分で取ったのですごく嬉しかったですね。それから鉄道会社とか、百貨店とか、どんどん自分で開拓できるようになりました。朝から深夜まで死ぬ気で働きました。
――同じ釜の飯を食った方とのつながりは強いですね。
栗田:強いです。本当に有難かったです。

飛び蹴りする栗田氏・本人提供
■人に勝つより、人と争わない方がいい
――東京五輪で空手が実施された時は血が騒いだりしたんですか?
栗田:実は冷めてる部分があるんです。なんで空手を辞めたのかというと、仕事が忙しいのもありましたが、総合格闘技のK-1でピーター・アーツとかミルコ・クロコップとか、大きな人が凄い技術を持っているのを見て、私がいくら空手をやっても勝てないと思ったのもあるんです。そもそも人と殴り合いをすることってないですよね。人に勝とうと思って空手を始めたけど、その頃はそういう気持ちもない。人と戦って勝つための技術としては興味がなくなったんです。それより人と争わないように自分の心を作っていく方が大事だなと。
――最初は強くなりたいと思ったのに実際に強くなると変わったんですね。
栗田:考えも変わるし、自分よりもずっと強い人がいる。そもそも人と争わない方がもっといいですから。最近はもっと進んで、人に親切に優しくしてあげたいという気持ちが強く出るようになりました。
――空手を突き詰めたから行き着いたんでしょうか?
栗田:そうですね。30歳で辞めましたけど、今も空手をやっているつもりです。話してても呼吸というか、空手の感覚でやっています。いつも心技体の「心(しん)」を意識しています。そして、心を落ち着け怒りや欲望をコントロールし、少しでも思いやりの心でいられるように努力しています。それが、私の今の「空手道」の実践です。父から会社を引き継いだ時には私を含めて3名の会社が今では300名を超える規模になれたのは「空手道」の実践のおかげだと思っています。
――空手をしている少年や学生、若者に伝えたいことは?
栗田:武道は心や礼節を大事にします。日本人の良い部分が全て含まれています。だから、武道を続ければ幸せになると思います。武道をやる人が増えれば必ず国も良くなります。 武道は世界に誇れる日本の宝ですね。













