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インタビュー

【SPAIAインタビュー:第15回】

元競泳選手 岩崎恭子 ~2つの五輪で得た経験を、次世代の子どもたちに伝えたい

水泳


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© 2017 SPAIA

5歳のときに水泳を始め、14歳で出場した1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎでは、競泳史上最年少で金メダルを獲得するなど、輝かしい活躍を見せた岩崎恭子さん。

水泳を始めたきっかけや、バルセロナ五輪からアトランタ五輪の4年間の思い、米国留学で得られた経験などを語っていただきました。

【ゲスト】

元競泳選手

岩崎恭子

1978生まれ、静岡県出身。
83年に水泳を始め、 92年のバルセロナ五輪200メートル平泳ぎで、競泳史上最年少で金メダリストに輝く。
96年アトランタ五輪に出場後、98年に引退した。
その後は、児童の指導法を学ぶため米国へ留学。現在は水泳・着衣水泳のレッスンを行ったり、イベント・テレビに出演したりするなど、水泳の楽しさを伝える活動をしている。

■バルセロナから2年間苦しみを味わう

――水泳との出会いを教えてください。

岩崎:5歳のときに水泳を始めました。三姉妹の真ん中で、姉の習い事の1つに水泳があって、兄弟・姉妹あるあるだと思うんですけど「お姉ちゃんがやるなら私も!」っていうような形でスタートしました。

姉はよく風邪を引く子だったので、両親が健康にさせたいというのがきっかけで始めたんです。私はそういったことはなく、海も川もあるところで育ったし、小学校になると必ずプールの授業があるので、泳げないより泳げたほうが良いだろうっていうのがありましたね。

――9年後には、バルセロナ五輪に出場し、史上最年少で金メダリストになりました。

岩崎:もちろんバルセロナはいい思い出です。緊張はしていましたが、怖いもの知らずで、目の前のことを一生懸命やっていたから、何も考えずに「ただ速くなりたい」って。
その結果が金メダルというのは、すごく最高なことで、それは年齢を重ねていく中でどんどん感じています。しかし、当時はそこまで思ってなかったんですよね……。 その後、いろいろ大変だったので。

――一夜にしてスターになったことで、多くの人に知られるようになりました。大変な思いをされたんでしょうね。

岩崎:それこそ人から変な噂を立てられたりして、私だけじゃなくて家族も巻き込んだり、学校にも迷惑かけちゃったりとか。普段の生活でも「あ、恭子ちゃん」とか言われたりすると苦痛で……。
そういうのから抜けるのに、2年ぐらいかかりましたね。

――様々なしがらみから“2年で抜けられた”。どのようなきっかけがあったのでしょうか?

岩崎:16歳、高校1年生のときに、代表選手には選ばれなかったんですが、その下の代表選手として米国遠征に選ばれました。そこが、中学1年生のときに初めて行った遠征先と同じ場所だったんです。
昔は泳ぐのが楽しかったなとか、水中に潜って先輩の泳ぎを見て真似していたなとか思い出しました。加えて、1カ月半ぐらいの遠征だったので、今まで気にしていた周囲の目がなくなり、すごい気持ちも楽になりました!

また米国にいたとき、パパラッチが多くても有名人が普通に堂々としている姿を見たことも印象に残っていて、確かに「私はそんな隠れるようなことしてない」と分かってくれる人は分かってくれるから、いろいろ勝手に噂を立てられたり、週刊誌に書かれたりとかすることは、気にしなくていいかって!
そう思えたら、アトランタ五輪に出ることで、自分が取ったメダルとか五輪の意味が分かるんじゃないか。だから……出ないといけないって感じたんです。

■自分で考えて出場を手にしたアトランタ五輪

――そこからアトランタまで、水泳に対する取り組み方も変わりましたか?

岩崎:変わりましたね。やっぱり中高生だから、みんなの話題についていきたいと思って、ドラマなどを録画して帰ったら見て、それから寝るという生活をしていたんです。
寝るのが夜の11時とか12時になって、2年間ずっと体がシャキッとしなかったんです。いつもだるいような感じで、気持ちもそうだし。でもそれじゃいけないなと思い、昔のように規則正しい生活に戻しました。

そういう自己管理をちゃんと考えるようになったかな。ちょうど太りやすい時期だったので、体重コントロールもちゃんとしないといけない。食事は、母がしっかり作ってくれていたんですけど……それ以上にお菓子を食べたりしていたので、そういうのは駄目だなって思ったり。本当に基本的なところから。
でも、その基本的なところがすごく大事だなと思えました。

岩崎恭子

© 2017 SPAIA


――先ほど「アトランタ五輪に出ないといけない」と話されていました。実際に出場することになりましたが、どのような思いでしたか?

岩崎:もし選考会で敗れて出場できなくても、ちゃんと考えてできた過程というのがすごく大事だったんだなと……。やらされているのと、自発的にやることの違いっていうのをすごく感じた2年間でもあったので、出られたことはすごく良かったです。

でも、出場することを目標にしてきたので、アトランタでどうしたいかっていうのが、あやふやなまま過ごしてしまって。その中で、体重も1.5キロぐらい増えちゃったんです。
それってもう致命傷で。重くて、泳ぎの感覚が違ってきて……足の引っ掛かりがない、伸びがないとか。
そういう焦りから、もう不安ばかりが先行して本番を迎えてしまったので、結果的に200メートル平泳ぎは10位。泳ぎ終わった瞬間はスーッと楽になれて、よくがんばれたなって思ったんです。だけど、競技者としては失格だなっていうのをすごく感じたことを覚えています。やっぱり競技する上では結果がすべてなので……。

ただ、バルセロナのときよりも精神的にも強くなれたし、順位は落ちましたが選手としても強くなれた。色々なことを経験して、どうしたら速くなれるか、どうしたら体調を整えられるか、18歳ながら自分で考えながら水泳ができたことは、私にとって大きかった。

――その経験は、競技生活を終わられても糧になっている?

岩崎:自信を積み重ねることによって、自分の中での大丈夫っていう確信っていうんですかね。
大丈夫って思える状態でレースを迎えることで、ベストパフォーマンスがでる。それが心の安定になり、だから積み重ねていかなければいけないんだなっていうのを感じることができたのは、今でも心に残っています。

■米国で気づいた指導の違い

――大学在学中に競技を引退されました。卒業後はどのような道に進んだのですか?

岩崎:ベビー服・子供服メーカーのミキハウスに就職しました。そこで名刺のもらい方や電話の取り方とか、社会人として基礎的なことを学びながら、先輩方の仕事を手伝ったりしていました。
その中で、業務とは別に週2回程度、水泳関係のお仕事をさせていただいていたので、とても感謝しています。

そんな生活を1年半ぐらいしていたとき、JOC(日本オリンピック委員会)から在外研修(スポーツ指導者海外研修事業)のお話をいただいたんです。日本では単発で指導をしていたんですが、それは積み重ねていけないので、何となく自信がなく不安もあった時期で……このままじゃ中途半端になると思ったんです。だから、五輪選手をたくさん輩出している米国に行こうと決めました。

――米国での経験はどのようなものだったんでしょう?

岩崎:やっぱり米国では自己主張もちゃんとしなければいけないし、できることは自分でやらなきゃなって感じました。遠征では全部手配してもらっていたので、飛行機のチケットすら取ったことなかったんですよ(笑)。ビザも自分で取るし、コーチに行く場所も自分で決めて、今までやってもらっていたのが当たり前じゃないって気づけたことは良かったかな。

――指導という部分でギャップを感じたことはありましたか?

岩崎:以前は、この子ここが良くなれば速くなるのになっていう感じで“悪いところ”を直す見方しかできていなかったんです。だけど、米国のコーチたちは「凄い!ここがいいよ!」っていいながら指導をするんです。でも、ただ、いいっていう訳じゃなくて、結構厳しいことも言うんですけど、終わったらすごく楽しく過ごしている。やっぱり、いいことはちゃんと伝えないといけないって思いました。
また、試合が近づけば「明後日の試合の集合時間は何時?」って子供たちに聞くんです。私だったら、多分「6時に集合ね」とか先に言っちゃう。でも、何時って聞くと考えるじゃないですか。子供のときから自分で考えて行動させることも大事だなと思いました。

――人生の中で、米国は大きな転機となったことが分かります。

岩崎:そうですね!水泳をやっていたから米国にも行けたので、水泳には本当に感謝しています。

岩崎恭子

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■『ずっと水泳と関わる』それが大きな目標

――帰国後は、どのような活動をされていますか?

岩崎:1年間ほどミキハウスで働いていました。しかし、自身のやりたいことが全部できないなと感じ、社長に相談し退社しました。その後、本格的にテレビでのスポーツコメンテーターとして、2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京と五輪に関わらせてもらいました。
さらに、水泳教室や講演会など、裾野を広げていくための活動を行っています。あとは、着衣泳の大切さも最近指導するようになりました。

――ちなみに着衣泳とはどのようなものでしょうか?

岩崎:水難事故の護身術です。 初めて着衣泳が大事だと思ったのが、10数年前番組に出演したときでした。海上自衛隊に行き、波を立てられて、服のまま泳いでみてくださいと言われて、やったんです。そうしたら、自由に泳ぐことができなくて……すごく大変って感じました。
私はまだ水に慣れているけど、一般の人だったら、パニックになって水飲んで溺れちゃうなって。だからこそ、ちょっとでも知ってもらい、万が一の時に知識を活かしてほしいと普及活動を行っています。

――2011年には、長女が誕生しました。母になられてから、水泳の指導方法など何か変化はありますか?

岩崎:指導の変化はさほどないんですけど、子供は“子供らしい”というのが大事だと思ったんです。だから、自信がなさそうな子がいると、とにかく「できるよ!できる!」って、さらに声をかけるようにはなりました。

あと、両親と一緒の水泳教室や講演会のときは、私が両親にされて良かったこと、やっぱり愛されて育ったことや、自信を付けさせてもらった経験、それがあったからこうなれたという話をするようにしています。
私は、14歳のときにすごく衝撃的なことが起きて、そのころのことをよく覚えているんです。嫌だったこと、大人ってずるいなって思ったこととか……。だから、特に中高生の親御さんたちには、子供はもちろん自分の子なんだけど、1人の人間だっていうのを思ってあげて欲しい。それはうちの両親、すごくあったんです。もちろんしつけに関してはうるさかったんですけど(笑)。

――最後に、今後の目標を教えてください。

岩崎:講演会や指導のとき、子供たちに目標を持つこと、自分が好きなことがあるということが大事だよって言っていたんです。でも、10年前ぐらいに「岩崎さんの今の目標は何ですか?」っていわれて、私は「ごめんなさい。こうやってみんなに話しておきながら、持ってなかった」って。そのときに決めた大きな目標が『ずっと水泳と関わっていく』ということでした。
それでその時々に、都度考えて模索しながらやっていくっていうのが、今の自分にあってるのかなって。なので、今のような仕事を続けていくということと、もちろん、2020年に東京で五輪・パラリンピックがあって、その後のスポーツ文化というのが大事になってくると思うので、そこでも何かできるようになっていったらいいなと思います。

岩崎恭子

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(取材・文: 太田弘樹 / 写真:山上忠)

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