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【SPAIAインタビュー:第11回】

大阪エヴェッサ #14 橋本拓哉 ~「やってやろう」という気持ちで、チームを引っ張っていきたい

Bリーグ

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© 2017 SPAIA

2016年10月にBリーグが開幕し、ますます注目が集まる男子プロバスケットボール界。そんなBリーグとともに目覚ましい成長を見せているのがB1チーム・大阪エヴェッサの橋本拓哉選手です。

Bリーグの前身であるbjリーグに史上最年少で出場し、一度はプロの舞台を離れたものの再び大阪エヴェッサに加入するという異色の経歴を持つ橋本選手。10代でプロになった彼は、今どのような信念で再びコートに立っているのか。今回は、22歳のプロバスケットボール選手の素顔に迫りました。

【ゲスト】

大阪エヴェッサ

橋本拓哉選手

1994年12月3日生まれ。大阪府大阪市阿倍野区出身。身長188cm、体重83kg。ポジションはシューティングガード。

中学から本格的にバスケを始める。高校進学後、総合学園ヒューマンアカデミーバスケットボールカレッジに入学。 高校3年でドラフト2巡目指名を受けてエヴェッサに入団し、日本国内初の現役高校生プロバスケットボール選手になった。 17歳と11ヶ月で試合出場を果たし、当時のbjリーグ史上最年少記録を更新。

一度はエヴェッサを退団したが、芦屋大学4回生の時に再加入。

2016年には日本代表候補強化合宿メンバーに選出された。

■Bリーグ開幕時、史上最年少出場

――小学校の時は野球をされていたんですよね。全国準優勝も経験されています。そこからなぜバスケに転向したのですか?

橋本:野球自体は好きだったのですが、練習がめちゃくちゃきつかったです。当時は練習が辛くて辛くて、それで昼休みはクラスの友達とミニバスをしていました。それが楽しいな、と感じました。

――最初は遊びとして始めたのですか。

橋本:はい、そんな感じでだんだんバスケに触れてきました。中学ではバスケ部に入部し、一度ベスト8に入りました。

――高校2年の時、総合学園ヒューマンアカデミーバスケットボールカレッジに入られました。本格的にプロを育成する機関に入られて、いかがでしたか。

橋本:当時はトップチームの選手たちとコートで一緒にプレーし、間近でプレーが観られたり、色々な専門のコーチたちがいて、スキルやコンディショニングなどを教えていただきました。在籍期間は短かったのですが、とても良い環境でした。

――プロを目指そうと思ったきっかけは何ですか。

橋本:きっかけは、総合学園ヒューマンアカデミーバスケットボールカレッジにいた時にお世話になった、今福島ファイヤーボンズでヘッドコーチをされている森山(知広)さんが「bjリーグに興味はない?上手くいったらドラフトにかかるよ」と誘ってくださったことです。
それで東京にある合同トライアウトに行き、そこでたまたまドラフト会議で選ばれた、という感じです。当時は体験入部みたいな感じでした。何もわからない世界に入ったような感覚でしたので。

橋本拓哉選手

© 2017 SPAIA

 

――大阪エヴェッサには2度加入されています。1回目は17歳の時。史上最年少でのリーグ出場ということでプレッシャーもあったかと思いますが、どのようなモチベーションで毎回試合に臨んでいましたか?

橋本:周りからの期待の声は大きかったですが、自分的にはプレッシャーでしたね。あんまり期待しないでと(笑)。当時は今みたいに「やってやろう」という気持ちがそこまでなくて、弱気な気持ちでずっとコートに立っていました。ミスも多かったです。
体つきも今よりももっと細く、プロになったからといって急に自分がレベルアップするわけでもない。経験の浅さもありました。ミスをしたら迷惑がかかる迷惑がかかる、という弱気な気持ちが強かったです。
先輩はいい方たちばかりで何度も励まされましたが、おんぶにだっこというか、ずっと引っ張ってもらっている感じでした。

■大阪エヴェッサに戻り、再びプロに

――高校卒業後は大学に進学し、契約満了で大阪エヴェッサを退団されました。大学でのバスケというのはプロの頃と比べていかがでしたか。

橋本:練習の厳しさは変わらずですが、プロの時のようなプレッシャーがなくなったので、そこが全然違いました。

――大学では教員を目指されていた。

橋本:高校の時からずっと体育の教員になりたいと思っていて、教員免許取るために一回退団しました。プロに戻ることは考えず、4回生になってからも変わらず教員を目指していました。

――そこからもう一度プロに戻りたいと思ったきっかけは何でしたか?

橋本:4回生の5月ぐらいまで、教員試験の最終面接にいけるかどうかの推薦枠を争っていました。そんな中、清水さん(大阪エヴェッサ・清水良規ゼネラルマネージャー)に会うことがあって、それで「プロにならずに何してんねん?」と(笑)。
それで戻ってこないかと誘われてすごく迷ったんですけど、新しくBリーグができたこともありましたし、エヴェッサはB1だし、そんな強いチームに誘ってもらえるということが嬉しかったので、もう一度挑戦しようかなという気持ちになりました。

――再びプロに戻って、高校時代に大阪エヴェッサにいた時と、気持ちの面で違いはありましたか。

橋本:戻ってきてからプレシーズン中に「いけるな」という感覚がありました。弱気ではなくなり、今は自分が「やってやろう」という気持ちの方が強いです。
そういう気持ちの変化が一番大きかったと思います。開幕戦も自分なりにいいスタートが切れて、そこからどんどん自信に繋げていったという感じですね。

――いい調子を持続していくために、普段気をつけている食事やトレーニング法はありますか。

橋本:食事は僕は好きなものを食べるのであまり気にしていません。
トレーニングでは、調子がいいときはすごくシュートを打ち込みます。逆に悪いときは、もう打たない。そうすると、次の日には感覚が変わっていることがあるんです。 昔は調子が悪かったらそれを直そうとして頑張って打ち込んでいました。
でもあまりにもシュートタッチが悪すぎる時は、あえて打たないっていうのもトレーニング法かなと思い始めました。

橋本拓哉選手

© 2017 SPAIA

▲普段の練習の様子

 

――いつ頃からそういうやり方にされたんですか。

橋本:シーズン途中からあみ出しました。
シーホース三河の金丸(晃輔)選手という素晴らしいシューターがいるんですけど、練習ではあまりシューティングをしないそうなんです。
人それぞれ色々なルーティンがあるんです。靴を必ず右から履くとか。同じチームの根来(新之助)さんだったら、ハーフタイムまで調子が悪かったらユニフォームを全部着替えたりだとか。僕も真似して、調子が悪かったらあまり汗をかいてなくても服を着替えたりします(笑)。皆色んなルーティンがありますね。

――面白いですね。たとえばメンタル的に調子が悪い時、落ち込んだ時はどのように気持ちをコントロールしていますか。

橋本:試合中は気にしないようにしていますが、僕は調子が悪い時は結構落ち込むタイプなので、そういう時は家に帰ってずーーっとドラマを見ています。たまに遊びに行きますが、誘われない限りは一人で家で引きこもってます。
海外ドラマが好きで、「プリズン・ブレイク」は中学の時から観ていますが、全5シーズンを4週も観たりするので、セリフまで覚えてきました(笑)。

■Bリーグ元年の昨シーズンを振り返る

――目標にしている選手はいますか。

橋本:僕はあまり気にしたことがありません。でも、チーム1べテランの木下(博之)さんは、僕がバスケを始めた頃からすでにプロだったので、そこからずっと憧れはありました。プレースタイルが、攻めるスタイルのポイントガードでシュートもすごく上手いですし、ゲームメイクもできる選手です。
リーダーシップもあって、たとえばロッカールームでチームの雰囲気が悪くなったら一番に声をかけるのは木下さんです。そういう大黒柱のような存在に今はなれないですけど、将来そういう選手になれたらいいなと憧れています。

――チームメイトは皆さん仲が良いんですか。

橋本:とても仲が良いです。シーズンが変わる前に結構メンバーが入れ替わりましたが、昨シーズンでは外国籍選手とも一緒にご飯に行きました。僕は全然英語ができないんですけど、スマホを使って会話をしたりしていました。
すごくいいチームだな、と思いました。昨シーズン最後は結果が出せませんでしたが、団結力のあるチームでした。

――エヴェッサに再び戻った昨シーズンは個人としてはいかがでしたか。

橋本:とても成長できたシーズンだと思います。メンタル的にも技術的にも、学ぶことが多かった一年ですし、その中で得たものはとても大きかったです。後半の方はすごく調子がよくなってきて、自分でもやってやろうという気持ちがどんどん強くなっていました。今シーズンはもっと欲を出していきたいと思います。

――シーズンが変わる前にメンバーが入れ替わりましたが、その辺りは問題はなかったですか。

橋本:僕自身、bjリーグ時代は一年だけでしたので、メンバーが変わるというのは今シーズンが初めてなんです。7人も変わったのでどうなるんだろうと思っていましたが、新加入選手も含めて今季のメンバーは合流したらすぐに打ち解けることができました。どこのチームも皆いい人です。

橋本拓哉選手

©OSAKA EVESSA

 

――橋本選手はbjリーグとBリーグをどちらも経験されています。昨年Bリーグが設立され、リーグが変わったことによって周りの反応が変わったなという実感はありますか。

橋本:明らかに変わってきていると感じています、色々な面で。お客さんの数だったり、アリーナのプロジェクションマッピングのような演出だったりとか。こうしてメディアの方々が来て下さる回数も増えましたし、最近はテレビでたまにBリーグを見かけますよね。
あとは(大阪の)ミナミとかを歩いていたら、僕らは大きくて目立つので「あ、大阪エヴェッサの人ですか」と言われるようになってきて。悪いことできないなって(笑)。

■まずは日本でトップ選手になりたい

――昨年12月、日本代表候補強化合宿メンバーに選ばれました。3日間の合宿はいかがでしたか。

橋本:ルカヘッドコーチ(アルバルク東京のルカ・パヴィチェヴィッチ氏)が当時のヘッドコーチでしたが、ヨーロッパのバスケってすごく細かいんです。立ち位置が少しでも違っていたら「いや、もう少しこっちだ」とか。細かいところで戸惑いましたね。中学高校で習うようなディフェンスの姿勢など、とても基礎的なことを学びました。僕は結構、粗削りなプレーの部分があるので、そういった意味で学べて良かったです。

――一番の収穫は何でしたか。

橋本:招集されているメンバーが各チームから選抜されているので、いいところは盗めましたし、いい経験になりました。
プロフェッショナルだなと感じたのは、京都ハンナリーズの片岡 (大晴)さんが同じ部屋だったのですが、僕がたまたま朝6時くらいに目が覚めたら、横で体幹トレーニングやストレッチしていたんです。朝食が7時半ぐらいからだったので、それまでずっとやっていて、寝る前もやっていました。「毎日の俺の日課だから」と。
代表はそういう人たちの集まりなんだなと改めて思いました。目指すものが高いところにある、ストイックな人が多かったので良い刺激になりました。

――いよいよ海外でのプレーも視野に。

橋本:いや、まだ視野に入れてはいないですね。まずは日本でトップ選手の仲間入りをしたいです。まだまだ僕はそこまでじゃないので、もっと頑張ります。

――Bリーグは去年始まったばかりで、これからもっと盛り上がっていくだろうと思います。Bリーグの発展のために、こうなったらいいなと思うことはありますか。

橋本:やっぱりプロ野球やJリーグのチームみたいに、もっともっとメディアに出る機会を頂けるようになって「大阪といえばエヴェッサ」と言われるようにしていきたいです。
あとは2年目ってすごく大事だと言われています。僕らがすべきことは、まずはコート上での表現なので、そういった意味でもっと、パフォーマンスや結果にこだわってやっていきたいなと思います。

――今シーズンの目標を教えて下さい。

橋本:一言でいうと飛躍の年にしたいです。昨シーズンせっかく後半で伸びてきたのに、チャンピオンシップまでいけませんでした。今シーズンはその悔しさをバネに飛躍の年にしたいです。昨シーズン入った当初は先輩たちに自分のシュートの場を作ってもらっていたし、ついて行っていました。今シーズンは逆に僕が引っ張っていきたいと思います。

――5年後はどんな選手になっていたいですか?

橋本:5年後は、27歳です。先輩たちにお世話にならず、自分がチームを引っ張っていける選手になっていきたいです。絶対的な信頼を得られるような選手になって「4クオーターの最後は橋本にボールを回せ」みたいに言われるようになりたいです。欲張りなので、僕(笑)。

橋本拓哉選手"

©OSAKA EVESSA

 


(取材・文・写真: SPAIA編集部)

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