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阪神タイガース一筋19年の現役生活を2015年に終え、現在はスポーツキャスターとして活躍する関本賢太郎さん。
ホームランバッターを夢見てプロに入りながらも、小技や守備を磨いてユーティリティプレーヤーに転身し居場所を築いた現役時代の様々な決断について、振り返っていただきました。
【ゲスト】
元プロ野球選手(阪神タイガース)
朝日放送 専属野球解説者、スポーツニッポン 専属野球評論家
関本賢太郎氏
1978年8月26日生まれ。奈良県橿原市出身。94年天理高等学校からドラフト2位で阪神入団。現役19年間阪神一筋でプレーし、2度のリーグ優勝を経験。
内野の全ポジションを守ったことがあり、セ・リーグの二塁手連続守備機会無失策記録を更新。その堅実な守備力を高く評価されていた。また、球界屈指のバント技術と選球眼、そして勝負強さから「代打の神様」と呼ばれていた。
15年現役引退。現在はテレビ・ラジオでの野球解説者として活躍中。その他講演会やトークショーなど幅広く活動している。
【聞き手】
株式会社グラッドキューブ
代表取締役CEO
金島弘樹
金融業界を経て2007年に株式会社グラッドキューブを創業。幅広い業種のインターネット広告に関するコンサルティング業および広告運用を経て、インターネット広告代理店ならではの視点を活かしたサイト UI/UX解析・改善ツールのSiTest(サイテスト)を開発。あらゆる分野の解析を得意とし、その鋭い視点と先見性を評価され数多くの賞を受賞。
2017年から「Sports × AI × Analyze」というテーマでスポーツビッグデータのAI予想解析メディア SPAIA(スパイア)を立ち上げ、スポーツファンに新しいスポーツの愉しみ方を提供し海外進出も視野にいれている。
■ターニングポイントは2003年日本シリーズ
――関本さんはタイガースに球団歴代3位の19年間という長きに渡り在籍されましたが、プロの世界でそれだけ長く活躍できた要因はどこにあったと思われますか?
関本:2003年の日本シリーズで、偶然、バットを短く持ってホームランを打ったことが、ターニングポイントだったと思います。それまでは、ホームランバッターになりたいという夢があったんです。体も大きかったし、僕を獲ってくれた球団の「ホームランバッターになってくれ」という思いも感じていました。だからそれまではバットを長く持って振り回していたんですけど、ホームランどころかヒットもなかなか出なかった。
それでもその日本シリーズの第7戦にスタメンで使ってもらったんですが、その時は絶不調で、自分のバットでヒットを打てる気がしなかった。でも日本シリーズって、リーグ優勝をしないと出られない舞台なので、もしかしたらそれが人生最後の日本シリーズかもしれない。だから何かしら、この試合に出たという証を残したい、ヒットを打ちたいと思ったんです。そこで、偶然、試合中に隣に座っていた浜中治のバットを借りて持ってみたら、たまたま短く持った時のバランスがよかったので、そのまま打席に入りました。そうしたら、ホームランを打てたんです。
それまでは、バットを長く持たないとホームランは出ないという固定観念があったんですが、短く持ってコンパクトに振るスタイルでもホームランを打てるんだということに気づいたんです。
――それ以降はずっとバットを短く持つスタイルに?
関本:そうです。それに加えて、当時のチームには、バントができたり進塁打を打てるような、打線の中でジョイントになる二番打者の役割の選手がいなかった。また、いろいろなポジションを守れる人もいなかった。打撃はいいけど1つのポジションしか守れませんという人ばかりだったので、もしも自分が1人で何役もできる選手になれたら、25人のベンチ入りの枠に入ることがすごく楽になるだろうな、そんな選手がいたらチームにとってもいいだろうなと思ったんです。
それから、今までやったことのなかったバント練習をしてみようかなとか、いろんなポジションを守れるように練習しようかなというふうに、一つずつ自分の武器を増やすことに取り組み始めました。
――バント練習をしたことがなかった選手が、1試合4犠打というプロ野球タイ記録を作るバント名人にまでなったんですね。
関本:プロで生き残るために、ですね。その日本シリーズの前年ぐらいから、「自分は長距離砲としてどうなのかな」という疑問はあったんです。ホームランバッターと言われる人は、だいたい5安打か6安打に1本がホームランなんです。でも僕は10安打に1本ぐらいのペースだった。つまり150安打打っても、15本くらいのホームランしか打てない。それはホームランバッターとは言えない。ホームランバッターは、ヒットの延長がホームランですけど、僕はホームランを狙わなければ打てなかったので、リスクが高すぎる。
プロ野球選手としてやれる平均年数が7年と言われているんですが、僕は2004年が7年目のシーズンだったので、いよいよ夢ばかり追いかけているわけにはいかないな、という気持ちがありました。
プロに入って最初はみんなエースや四番を目指すんですけど、それからの僕は、毎日ポジションも違えば、出方も違う。でもそれを誇りに思いながらプレーしていました。言ってみればスキマ産業なんですけど、プロ野球界の中でかゆいところに手が届く存在になることにプロ意識を持っていましたし、結果的に長く一軍ベンチにいられたことはよかったなと思っています。
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■守護神から打つために頭脳で勝負
――現役最後の数年は代打として活躍されましたが、それも難しい役割ですよね。
関本:ありがたいことに、僕の名前がコールされると、打ってくれるという期待を込めて皆さんがすごい歓声をくれるんですよ。でも、僕自身はまったく打てる気がしていなかったんです。
だって、相手投手は抑えの切り札で、抑えることで生活している超すごいピッチャー。しかも、レギュラーが打てないのに、控えの選手が打てるわけがないっていうのがそもそもの考え方なんです。代打がレギュラーより打てるんだったら、レギュラーになってますから(笑)。つまり、先発投手よりも抑える確率が高い投手がわざわざ出てきているところに、レギュラーより打てないバッターが出ていって打てるわけがない。そういう自分の気持ちと周囲の期待が真逆にあって、プレッシャーしかなかったですね。
代打は2割5分打てば超一流です。逆に言えば、ほとんどがお客さんのため息を聞くことになる。とはいえ、打てなかったらこっちも仕事になりませんから、できる限りの準備はしました。抑えのピッチャーは、バッターの弱点をつくというより、自分の投球パターンや抑える形を持っている。だからそのパターンの中で、必ずこのゾーンをこの球種が通りますというボールを調べて、僕はそれだけを狙っていました。それが来るまでは粘りまくるという打者でしたね。
パターンというのは何通りもあって、初球ストライクをとったら次はどうか、1球目ストライク、2球目ストライクだったら次はこう、ストライク、ボールだったら次はこう。それに対して僕がスイングしたらどうなるか、スイングしなかったらどうなるか、という全部のパターンを頭に入れていました。
――ものすごい記憶力が必要ですね。
関本:ストレートを待っていても変化球に対応できるというような、糸井嘉男みたいな選手がそりゃあ一番ラクですよ。でも自分にはそういう技術がなかったですから、そこまで調べていました。
――引退後、スポーツキャスターや解説者というお仕事を選んだのはどうしてですか?
関本:僕は高校からプロに入って、野球一筋できて、しかもタイガースしか知らなかったので、一度社会を見てみたかったということと、冷静にタイガースではない野球も勉強しないといけないと思ったのが理由です。とはいえ、今もやっぱりタイガースを中心に見てしまいますし、外から見ると、タイガースが特殊な球団だというのもよくわかりますね。
――特殊とは?
関本:取り巻く環境が、ですね。やはり他の球団より注目されますし、報道もしてもらえる。小さなことが、他球団の看板選手よりも大きな扱いをうけますからね。現役の時には、毎日誰かが紙面に載っているのが当たり前だと思っていましたが、それは当たり前じゃないんだということに気づきました。幸せなことなんですけど、タイガースの選手は、「そうして取り上げてもらえるのは自分がすごいからだ」というふうに勘違いしないようにしなければいけません。
インタビュー後半は、グラッドキューブ代表取締役金島弘樹が、経営者の視点を交えて、関本さんに質問を投げかけました。
■一軍で活躍できる選手とは?
金島:プロ野球でやれる平均年数が7年というお話がありましたが、経営の世界でも、10年で94%の会社が倒産すると言われていて、生き残るにはいろいろな工夫が必要です。プロ野球の世界では、例えば、高校時代に甲子園で活躍されて、「ゴジラ二世」だとか「松坂二世」だと言われてプロに入る選手はたくさんいますが、一軍で活躍できない選手も多い。これは何が原因なのでしょうか?
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関本:アマチュアの世界では、年に2、3回大きな大会があって、そこで活躍した選手がプロに入ってくるんですが、プロの選手は1年間143試合、コンスタントに成績を出さなきゃいけないので、好不調の波があまりあってはいけないんです。だから、一時の爆発力はあるけれど、それを1年間継続することができないという選手はなかなか定着できない。そこに一軍選手と、一、二軍を行ったり来たりする選手の差があると思います。
それと、僕もホームランバッターになりたかったところからスタイルを転換しましたが、チームに求められているものと、自分が目指しているところがリンクしないと、なかなかうまくいかない。チームが求めていないところを自分が目指しても、いつまで経ってもお呼びがかかりませんからね。僕の場合は、八木裕さんだったり桧山進次郎さんだったり、ホームランバッターはいましたから、同じところを目指してもしょうがない、というのがありました。
金島:そういう思考というのは、誰かからアドバイスされたりするのでしょうか。それとも、プロ野球選手というのは個人事業主で社長のようなものですから、基本的には自分で考えるのですか?
関本:自分で考えないといけないと思いますね。ある意味、9個のイス取りゲームですから、空いたイス、あるいはそろそろ空きそうだなというところを、僕だけじゃなく何人もの選手が一気に奪いにいくわけです。そのライバルに、自分と同じキャラクターの人、例えば、右打ちで背が高くて、同じポジションを守っているという選手がいたら、首脳陣も困ると思うんですよね。その時にライバルとの色の違いをつけなきゃいけないし、今現在座っている人との違いもつけなきゃいけない。そういうことに気づけるかどうかというのも重要だと思います。
金島:ビジネスの世界でも、会社がその社員に期待している方向とは違う方向にその人が行ってしまっているということはあります。関本さんが今後もし指導者になるとしたら、そういうことを選手本人に言ってあげますか?
関本:そうですね……僕は自分が求めていることを言うと思います。監督が何を考えているかわからないというのは、選手にとって一番困ることだと思うので。だから、例えば、1年間の戦い方の中で、5月まではとりあえず自分たちのことだけを考えて調子を上げてくれ、と伝える。でも6月に入ったら、チームは今何位にいて、自分たちより上にはジャイアンツとカープがいるから、ローテーションをジャイアンツとカープ中心に組んでいくぞ、と。そう言われたら、ローテーションを変更された投手も、「あ、監督がそういうふうに考えているなら、そうせなあかんな」と考えると思う。監督からのメッセージが何もなかったら、どう動けばいいのかなと迷うと思うので、ある程度チームとしてのことは言った方がいいのかなと思います。
ただ、選手個人に「あなたは何をしなさい」とまでは……。言われた本人は嬉しいと思うんですけど、言われていない人はどう思うか。選手というのは結構、「監督はあの選手によく声をかけているな」というのを見ていますからね。声をかけられていない選手は、「嫌われてるのかな」と思ってしまったりするんです。
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■解説者としても“勝負"する
金島:昨年、関本さんの解説を聞いていて度肝を抜かれたことがありました。江越大賀選手が打席に入っていて、1、2球ファールを打った後に、関本さんが「行けますね」とおっしゃったんです。僕は「なんのことやろ?」とわからなかったんですけど、そのあと、本当に江越選手がヒットを打ったんですよ。
関本:ああ、甲子園で、レフトにタイムリーを打った時ですね。
金島:そういう洞察力というのはどうやって養われたのでしょう。あの時はどこを見て判断されたのですか?
関本:あの時は、バッターサイドからすると、気になるボールが2種類あったんです。2個ありながらフルスイングするにはリスクがある。だから、そういう時は様子見のファールを打った方がいいんです。何球か投げさせてファールにすると、相手バッテリーは、「この球を何球投げてもファールにされるだけだから、じゃあ違うボールにしよう」と考える。球数をムダに使うのは嫌ですから。そう思わせるのがバッターの仕事なんです。
あの時も、「様子見のファールを打った方がいいですね」という話をしている時に、江越がその通りにファールにしたんです。それによって、やっとバッターにとって邪魔なボールが1個減った。つまり、2分の1の確率だったものが、8割近く自分の狙い球を絞れるようになったので、そこで初めて思い切って振ることができる。だから、「あ、これで大丈夫です」と言ったんです。僕も現役時代、打席の中でそういうことを考えていましたから。
金島:なるほど。そういう解説を聞いたことがなかったので驚きました。そういうスタンスにも関本さんのカラーが出ているのかなと思ったんですが。
関本:解説の時はなるべく、プレーよりも先に意見を言うというか、「おそらくこうなると思います」というのを先に言いたいなと思っています。自分の首を絞める可能性はあるんですけど(苦笑)。でも、結果論でしゃべるのだけは避けたいんです。「こうなると思っていました」と言うのは、あと出しジャンケンですから。あとからだったら何でも言えますからね。
金島:最後に、今後の“夢"は何ですか?僕は阪神ファンなのですが、ファンとしては、19年タイガースで現役をされていた関本さんのような人に監督になってほしいなと思ったりするのですが、それも夢の一つとして持っていらっしゃるのでしょうか?
関本:今はね、子供が2人とも野球をしているんですよ。中3と小6で、2人とも矢野燿大さんに憧れてキャッチャーをしているんですけど、今はそのサポートをしています。だから、2人がプロ野球選手になって、あわよくばタイガースが獲ってくれたらいいのにな、というのが、親としての自分の夢ですね。
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(取材・文: 金島弘樹、米虫紀子 / 写真:大森咲子)