(写真提供:株式会社今仙技術研究所、ミズノ株式会社)
2020年の東京パラリンピックを前に、注目が高まってきているパラスポーツ。
昨年のリオデジャネイロオリンピック開催の時には、特殊な形の義足を身に付けフィールドを走る選手を観た方も多いかもしれません。
実はオリンピックなどで選手が使用しているスポーツ用義足のシェアのほとんどは海外メーカーが占めており、日本人選手もほとんどが海外製品を使用しています。
そのような状況の中、ミズノ社では福祉機器メーカーの株式会社今仙技術研究所と共同でパラ陸上で使用されるスポーツ用義足の板バネを開発し、2016年7月にそのプロトタイプモデルを発表しました。
今回はこの義足の開発担当の方に詳しいお話を伺いました。
【お話を聞かせてくださった方】
ミズノ株式会社 研究開発部 要素技術研究開発課 技師
宮田美文氏
・京都工芸繊維大学卒業
・1987年ミズノ入社 トレーニング・フィットネス品、自転車用品、ゴルフ品、カーボン関連品など、多岐にわたり開発担当を歴任
・自転車関連品は、開発に携わった部品「フロントフォーク」がツールドフランス表彰台に上った
・趣味:音楽鑑賞、テニス、バドミントン、自転車、ゴルフ、お酒
■競技用義足を作ることになったきっかけ
――ミズノ社で義足の開発をはじめることになったきっかけを教えてください。
宮田:まず、やっぱり東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まった(※注1)ことが大きかったですね。
東京が決まった時点では、パラリンピックの選手や用具に対して「さあこれからどういう具体的取り組みをしよう?」とか、パラスポーツ自体どういうものかを部門として一生懸命調べようという状況でした。
過去に自転車に関わっていたこともあったので、その流れで車いすのカーボンホイールを作ったことがあったんです。これは現在も作っています。そこからなら発想しやすいので、じゃあ車いすかなあと考えていたところでした。けれど競技用車いすは既に色々あって、シェア争いも技術的にも難しいなあとも思っていました。
それが2年半前、私がたまたま転勤して養老町(岐阜県)にいた頃に、同じ岐阜にある今仙さん(株式会社今仙技術研究所)からお声がけをいただいたんです。
岐阜にはミズノテクニクスという製造子会社があるんですけども、スポーツ用品の製造はミズノ向けが当然だけれど、スポーツ用品以外のカーボン製品などもBtoBで製造販売していこうということで、ホームページにいろんなことをやりますよと書いていたんですね。そういうのも見られて今仙さんから一度お話ししませんかといただきまして、すごくいい話だなあと検討したことがきっかけです。
――色々なタイミングが合ってお話が進んだということですね。
宮田:そうですね。東京開催が決まったのが2013年の終わり頃、色々調べ出したのが2014年初め、その2014年の夏にお声がけがあったという流れです。
■競技用義足に使われているテクノロジー
――アスリート向けの競技用義足と、日常生活のための義足の大きな違いはどういうところなのでしょうか。
宮田:目的の違いがあります。まずはこちら(今仙さんパンフレット)を。
宮田:普通の義足は、生活用義足や日常用義足と言います。靴を履くとか、見た目の違和感がないことが大事です。これを基本として、今仙さんはこのパーツをたくさん揃えています。
足の一部を失った方の残っている足の長さに対して、お店でパーツとパーツを合わせてミリ単位で調整して作るんですね。歩くくらいはできる、ズボンを履ける、靴を履ける、違和感がないようにする、といったことが目的です。
それで競技用義足は、まず見た目の違和感は捨てる。その替わり、走る・飛ぶができるようにする。その目的に特化しています。そこが大きな違いです。
どちらにも必要なことは、軽さじゃないかなと思います。
――軽さ、ですか。こちらの義足は持ってみると結構重いですが。
宮田:持つとちょっと重いですよね。これでもできるだけ軽くと言われています。これ(パンフレットの日常用義足)の部品もカーボンなんですよ。実はカーボン満載なんです。
例えば足の先がない。自分では動かすことができないその先に重いものを着けたら、それこそ日常生活がすごく不便ですよね。
だからカーボンは高額ですが、高いということ以上に、とても必要なんですね。 ということは、カーボン技術を強みにしているテクニクスにしても、人間の動きを研究しているミズノの研究開発にしても、十分に技術を活かせるのではないかなと考えていました。ですので、日常用義足も含めて今仙さんと一緒に取り組んで行けたらなあ、という思いはありますね。
そういうこともあって、まずは競技用義足で「こういうことをやっています」と認知してもらわないといけないので、目立つところから頑張っていこうかなという感じです。
上の写真で宮田さんがお持ちになっている義足の板バネ部分がそのカーボンで作られています。
カーボンについての詳しい説明は、ミズノテクニクス株式会社 カーボンの特長を参照ください。
――それでは、現在製造・開発されている義足で使用されているテクノロジーは、どのようなものでしょうか。今お話しいただいたカーボンがその部分なのかもしれませんが。
宮田:はい。まずカーボンの設計は、独特の設計技術が必要です。カーボンは元は糸なので、向きがありますよね。もともとかたまりではないので、糸の向きをどう積み重ねるか、その糸自体どういう種類のものを選ぶかとか。
それにより例えばゴルフシャフトでも、見た目は同じだけど全然違うシャフトになったりします。
あともう一つのテクノロジーとしては、義足自体を作る技術ですね。そこは今仙さんがお持ちの技術です。
――この義足は糸だけなんですか。触ってみると糸とは思えないかたさですね。
宮田:元は糸だけです。細い髪の毛のような繊維が樹脂でシート状になっているものを重ねて成形しています。
それから、そもそもどんな形がいいのかという点もあります。例えば、形によって跳ね返る向きも変わってくるんですよ。接地するところによってこっちに向かって跳ねる、とか。体の動きとモノの特性を考えて形を決めたかったんですね。 それで選手に実験に来ていただいて走りの動作分析をやっています。そういう動作解析というかバイオメカニクスの技術、これも活かしてすすめています。バイオメカニクスについては、より高度で専門的な研究機関であるJISSさん(国立スポーツ科学センター)の協力も得ながらやっています。
カーボンにはかたさ(※注2)の種類があるので、最適なかたさの配置を割り出すことに対してもこれらの技術は活かせるんじゃないかと思います。本当にやりだしたところなので、まだまだで全部はわかっていませんが。
ミズノでは色んな種目やスポーツでそういう分析をやって、商品を生み出すプロセスを経ています。今仙さんの義足はスポーツは専門ではなくて、メインは普通の義足だったんです。スポーツ義足も作っておられてましたが、新しくスポーツ義足を購入される方はそれこそ年に数人から数十人なので、メインはどうしても日常用義足。
ただ、東京が決まったのに、そのままスポーツ義足開発に取り組まずにいたら、表彰台は海外の製品ばかりになってしまうんじゃないかなという状態でした。
――競技用義足のシェアは海外のメーカー二社(※注3)がほとんどですよね。日本のメーカーの参入はそれほど進んでいなかったんでしょうか。
宮田:そうですね。その海外メーカーと今仙さんくらいでした。ちなみに今仙さんも過去のモデルは、北京パラリンピックで銀メダルを獲った実績があります。(※注4)
宮田:ただ、このJ型はかなり前のモデルなんです。今は海外製でいろんな形状が出てきた。じゃあJ型との違いは何なのかをバイオメカニクス的に調べていきたいということもあったので、そこからはじめようかとなったんですね。
■クラスに合わせた義足が必要?
――パラスポーツでは公正な競技のため障がい別のクラスが細かく規定されていますが、どのクラスの競技向けの義足を作っておられるのでしょうか。
宮田:T42、T43、T44が義足で対象になるクラスです。
前回のリオデジャネイロパラリンピックでは、T43とT44は同じ競技としてレースが行われ、世界記録はクラス別で記録されました。
出典:JPA(一般社団法人日本パラ陸上競技連盟) 「クラス分け Q&A」
- [T42] 下記のいずれかに該当するもの
1)片方もしくは両方の大腿部で切断しており義足を装着して競技するもの。
2)片側の膝関節と足関節の機能を失ったもの。- [T43] 下記のいずれかに該当するもの
1)両方の下肢で切断(足底の50%以上の切断を含む)しており義足を装着して競技するもの。
2)両方の足に最小の障害基準(MDC)に定められている障がいのある立位競技者。- [T44] 下記のいずれかに該当するもの
1)片側の下腿部(足底の50%以上の切断を含む)で切断しており義足を装着して競技するもの。
2)片側の足関節の機能を失ったもの。
3)片側の足に最小の障害基準(MDC)に定められている障がいのあるもの。
――クラスは違っても、同じ競技用義足で大丈夫なのですか。
宮田:そこは・・・実は同じものでは勝てないなと思ってるところです。現在は一つの型しかないので、他のモデルに広げることも検討中です。
――障がいの細かい状況に合わせた義足が必要かもしれないと。
宮田:そうですね。一番の違いはT42とT44です。T42は膝関節がない場合。なので、膝継手という人工関節を使います。その下に板バネがくる。T44はふくらはぎ切断なので、ソケットという人体との接合部に板バネを取り付けます。
板バネはどちらにも使えるように作っていますが、もっと特性を突き詰めていったら、42の人向けと44の人向けは違ってくる、と考えているところです。
――ではもしかしたら、東京でのパラリンピックの頃には、クラス別に違う義足が開発されているかもしれないですね。
宮田:開発費があれば、色々作りたいですね(笑)
■選手と開発者の信頼関係でリスクを乗り越え義足を作る
――製造・開発から、実際に選手が試合で義足を付けて走るまでの過程はどのようになっているのでしょうか。
宮田:本当にズバッとはまれば、すぐにでも「これを使います」と言ってくれると思うんです。もちろん試す期間は必要ですが、選手が求めていたものに近いとなったら、ぱっと変えてくれると思います。
常にベストコンディションで練習している選手に、「新しい理論を発見して、これまでとは全然違うけどこっちのほうがいいですよ。計算上タイムが1秒縮まりますよ」と言ったとしても、1秒も縮まるような差があるんだったら、それに体が慣れないといけないですよね。本当に1秒縮まる確信を持てないと、下手すると身体を壊すかもしれないし、逆にタイムが落ちるかもしれない。使いこなすことができなければ、そういうリスクがあります。
なので、使用してもらえるまでどれだけかかるというのはわからないんです。何を狙うのかにもよりますし。
一番簡単なのは、その選手が使っているものをコピーすることなんですが、でもそれでは用具が寄与してタイムが縮まるというものづくりの価値が全くないですよね。そこが難しいところです。
――速くなるからいいというのではなく、選手がそれを使って良いコンディションで走れるかが大事ということですね。
宮田:やっぱり選手と一体となって、「このコンセプトはどうだろう?」「うん、それはいいと思う。じゃあこれくらいを狙ってみようか」というやり取りをしたり。「こういうデータが出ているよ」「じゃあリスクを恐れずに慣らしてみるよ」という信頼関係がないと、なかなかチェンジできないですね。
▲テスト段階の義足を装着する山本選手。(写真提供:株式会社今仙技術研究所、ミズノ株式会社)
――何も知らないで見ていると、義足を使って走ると痛いのではないかという疑問もあるのですが。
宮田:そこはまたね、別のテクノロジーなんですよ。
――そうなのですか。
宮田:スポーツ義足のお話でよく出てこられる臼井さん(※注5)は、日本での先駆者でありその名人なんです。臼井さんも我々と同じプロジェクトに協力してくださっています。
(接地時は)走ると体重の3倍の衝撃がかかると言われています。まずは、痛くない。それから振り回して飛んでいってはいけないので、ぶら下げておく懸垂力。
懸垂力が得られつつ痛くないというのが大事です。その難しいソケットを含め全体を作るのが臼井さん。
――痛みのない義足の技術は当然としてあった上で、競技の中で記録を伸ばすための選手との関係性が必要なんですね。
宮田:そうですね。その上で、板バネはどういうものを作ったらパフォーマンスが上がりそうか、とか。 例えば山本選手にも競技会に行ったり、打ち合わせしたりして、こんなコンセプトはどうだろうなど、アドバイスをいただいています。
――選手によっておっしゃることも変わってくる感じですよね。
宮田:最終的には変わらないのかもしれないんですけども、その選手が持たれている感覚からどのような表現がでてくるのか、とか、色々あるなかで何を優先するかとか。例えば軽さとか反発力とか。
だから、共通しているところと違っているところを聞き分けていくことも開発の仕事かなと思います。
――選手によって一個一個違う義足なのですか。
宮田:かたさが違っていたり、セッティングが違っていたりはしますので、個々は違うと言えますね。
――ベースが一つあった上でのカスタマイズが入っていることでしょうか。
宮田:体重や競技力、スピードに応じて、適性なスペックを4種類の中から選んでもらっています。
――手間も時間もかかっているものなのですね。
宮田:手間はかかるといっても、カーボンは普通の作り方で特殊なことではないんです。ただ、(他の用品と比べると)スポーツ用品としてはコスト的にはかなり高いですね。
▲開発段階の義足での走行を撮影して動作解析を行っている。(映像提供:株式会社今仙技術研究所、ミズノ株式会社)
■最終的に目指すのは超高齢化社会をなんとかする技術
――こちらを開発されていて、難しいところはどういった点でしょうか。
宮田:最初はわけわからんという難しさがありましたね。(笑)
段々わかってくるとまた違う難しさ。今思っているのは、例えば普通の義足を作る場合、義肢装具士さんはその方の背格好体重など個人的な情報を見て作ります。今仙さんもそうですが、メーカーさんは統計的に一番ストライクになるようにラインナップします。
ただ、今仙さんも競技用義足の本格的なところについては、これから一緒に勉強しながら、なんです。
体格の前に、まずはどこの切断か。競技としては種目は何なのか。競技のレベルはどうなのか。そういったことを色々考えて、何をラインナップとして持てばよいか。もちろんそれらを考えることでカーボンの作り方も変わってきますし、全体の形も変わってきますし・・・。
――常に協力されている会社さんやメンバーの方と協力しながら。
宮田:そうですね。それこそ開発費があれば全部作っちゃうのもありなんですけど(笑)
――逆にこちらに関わっておられて、やってて楽しい、やりがいのある点はどのようなところでしょうか。
宮田:まずは、わかりやすいゴール、目標。やっぱり2020年勝つということ。
会社の事業としては、スポーツする人だけがお客様ではなくて。高齢の人でも、よりアクティブになることで、ちょっとでも健康寿命が延びることを目指して、もっとウォーキングしましょうと言っているじゃないですか。
だんだん膝が痛くなってきたとしても、この技術が活用されたアシストブーツのようなものができたら、ぴょんぴょん動けるおばあちゃんが孫と縄跳びできるかもしれないじゃないですか。
身体の動きのことなので、スポーツの技術が絶対活かされるに違いないと思っています。スポーツメーカーの技術で、超高齢化社会でも世の中みんなが元気になるところを狙いたいんです。
これ(義足)ってわかりやすいじゃないですか。障害があってもめっちゃ飛ぶ!!っていうところなので。だからそれに気付く機会というか、それをよりダイレクトに解ってもらうためにパラリンピックで勝つんだという、明確なところですね。明確なので迷子にならなくていいですね。
――目標をお伺いしようかなと思ったところ、今おっしゃってくださいましたね。(笑)日本で開催されるパラリンピックで、これで勝つ、と。
宮田:勝つことそのものが目的ではなくて、そのことによって一般の人が「スポーツの技術があれば超高齢化なんとかなるんじゃないか」と気付いたり、思ってもらうといいというか。
――そこから先の日本の社会を変えるかもしれない技術として気付いてもらう。
宮田:そうですね。「あのときの技術が!」となってほしいですね。
宮田様、取材へのご協力ありがとうございました。
今仙技術研究所の義足を作る技術と、ミズノのバイオメカニクスとカーボン技術が結びついて生まれたスポーツ用義足をご紹介しました。
3年後の東京パラリンピック。日本人選手がより進化した日本製の義足で駆け抜けていく瞬間を観ることができるはずです。
是非注目していただきたいと思います。
【注釈】
※注1:2013年9月、国際オリンピック委員会(IOC)総会にて2020年夏季オリンピック・パラリンピックの開催地として東京が選ばれた。
※注2:文中の“かたさ”は「たわみにくさ」「剛性」を指す。「柔らかさ」の対で、表面の硬度を表す”硬さ”や、崩れにくさや壊れにくさを指す“堅さ・固さ”とは異なるため。
※注3:アイスランドのÖssur(オズール)社と、ドイツのottobock(オットーボック)社が競技用義足のシェアの大半を占めている。
※注4:2008年の北京パラリンピック 陸上の男子走り幅跳び(切断など)で、山本篤選手が今仙技術研究所のLAPOC SOPRTS「侍」を使用して銀メダルを獲得した。
※注5:公益財団法人 鉄道弘済会 義肢装具サポートセンター義肢装具士 臼井二美男さん
【参考文献・WEBサイト】
・ミズノ株式会社 2016.07.05 スポーツ用義足板バネのプロトタイプモデル完成について
・株式会社今仙技術研究所 LAPOCシステム義足 製品概要
・ミズノテクニクス株式会社 カーボン繊維強化プラスチック(CFRP)特長
・JPA(一般社団法人日本パラ陸上競技連盟)
・科学技術・学術政策研究所 2015 年7・8 月号 「障害者スポーツ用具の技術動向」2-3走行用義足について
(取材・文・写真:SPAIA編集部)