長い指
三宅家で3人、六つのメダルを五輪で獲得している。その、DNAとは何なのだろう。
一つには手の親指の長さかもしれない。
バーベルをつかみやすくなる。これは伯父で金メダリストの義信、父親で銅メダリストの義行、宏実に共通することという。そして、手のひら自体も、体の割には大きいのではないかと思う。
腕の太さもある。先日、父義行の腕を見せてもらったが、とても70歳を超えた「老人」の腕ではなかった。もちろん、若いころから鍛えてきたのも大きいだろうが、この短く太い腕も3人に共通する三宅家のDNAとも言えると、父義行は語っていた。
身長が決して高くないのも、味方している。日本人が世界で戦うためには軽い階級で勝負する必要があるが、3人とも高くなく、軽いクラスで戦うことができた。
そばにいることこそDNA
もちろん、遺伝子として肉体的な長所を継承するというのは、アスリートとして大きかっただろう。だが、それよりも、メダリストである父が常にそばにいるということが、三宅家の強みではないだろうか。
練習では、父が娘の姿をそばでずっと見ていた。練習を見終えると、父義行が足を引きずるように歩いていたのを思い出す。
「疲れるんですよ」
そう義行は語っていた。
なぜか。
「心の中で一緒にバーベルを挙げているからなんです」
ただ見ているだけ、指導しているだけはないのだ。娘と気持ちを一つにして、一緒に重いバーベルを挙げているのだ。
そんな苦しさも、義行は喜んでいる。父娘の二人三脚について、ロンドン五輪の前にこう語っていた。
「オヤジとかコーチとかそんな思いはない。バーベルを心の中で一緒に挙げてきた。現役選手を12年間続けさせてもらったと思っている」
だから、感謝をしていた。
「こんな人生、退職後に送れる人は少ない。たくさん充実した日々を過ごしてきた」
こんな風に思ってくれる父がいてくれることこそが、DNAの強みである。
そして、東京へ
宏実にとって、一時はそんな名門三宅家であることがプレッシャーであった。その重圧に耐えきれず、引退するつもりだった北京五輪では体重が減りすぎ、6位に終わった。
だが、北京五輪が終わってから、宏実も割り切るようになることができた。ロンドン五輪の前には、このように語っていた。
「この家に生まれてこなかったら重量挙げはやっていない。ミヤケという名から逃げてもしょうがない」。それが宏実の答えだったのだろう。
2度目の東京五輪まであと3年。1964年にあった前回の東京五輪で日本中を歓喜させた三宅の名を、再び東京で響かせることになる。