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二つの東京五輪 日本人金メダル1号の重圧を背負う三宅家<5>

2017 6/21 15:08きょういち
重量挙げ
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出典 Pal2iyawit/shutterstock.com

二つの東京五輪 日本人金メダル1号の重圧を背負う三宅家<4>


 「日本に帰ってから考えたい」

 リオデジャネイロ五輪で銅メダルを取った直後には、東京五輪についてそう語っていた三宅宏実。だが、帰国するや、結論は早かった。

 「別な色(のメダル)を目指して頑張っていきたい」

 東京五輪の時には宏実34歳、父義行74歳になる。当初の人生設計では2008年で引退だったから、東京五輪ではそこから12年続けていることになる。それでも、宏実は言う。

 「母国であるというのが大きい」

 そして、最近では、宏実が所属先の後輩を教える姿が見られる。選手の長所を生かし、自分の意見を押しつけないように指導しているという。

長い指

 三宅家で3人、六つのメダルを五輪で獲得している。その、DNAとは何なのだろう。

 一つには手の親指の長さかもしれない。

 バーベルをつかみやすくなる。これは伯父で金メダリストの義信、父親で銅メダリストの義行、宏実に共通することという。そして、手のひら自体も、体の割には大きいのではないかと思う。

 腕の太さもある。先日、父義行の腕を見せてもらったが、とても70歳を超えた「老人」の腕ではなかった。もちろん、若いころから鍛えてきたのも大きいだろうが、この短く太い腕も3人に共通する三宅家のDNAとも言えると、父義行は語っていた。

 身長が決して高くないのも、味方している。日本人が世界で戦うためには軽い階級で勝負する必要があるが、3人とも高くなく、軽いクラスで戦うことができた。

そばにいることこそDNA

 もちろん、遺伝子として肉体的な長所を継承するというのは、アスリートとして大きかっただろう。だが、それよりも、メダリストである父が常にそばにいるということが、三宅家の強みではないだろうか。

 練習では、父が娘の姿をそばでずっと見ていた。練習を見終えると、父義行が足を引きずるように歩いていたのを思い出す。

 「疲れるんですよ」

 そう義行は語っていた。

 なぜか。

 「心の中で一緒にバーベルを挙げているからなんです」

 ただ見ているだけ、指導しているだけはないのだ。娘と気持ちを一つにして、一緒に重いバーベルを挙げているのだ。

 そんな苦しさも、義行は喜んでいる。父娘の二人三脚について、ロンドン五輪の前にこう語っていた。

 「オヤジとかコーチとかそんな思いはない。バーベルを心の中で一緒に挙げてきた。現役選手を12年間続けさせてもらったと思っている」

 だから、感謝をしていた。

 「こんな人生、退職後に送れる人は少ない。たくさん充実した日々を過ごしてきた」

 こんな風に思ってくれる父がいてくれることこそが、DNAの強みである。

そして、東京へ

 宏実にとって、一時はそんな名門三宅家であることがプレッシャーであった。その重圧に耐えきれず、引退するつもりだった北京五輪では体重が減りすぎ、6位に終わった。

 だが、北京五輪が終わってから、宏実も割り切るようになることができた。ロンドン五輪の前には、このように語っていた。

 「この家に生まれてこなかったら重量挙げはやっていない。ミヤケという名から逃げてもしょうがない」。それが宏実の答えだったのだろう。

 2度目の東京五輪まであと3年。1964年にあった前回の東京五輪で日本中を歓喜させた三宅の名を、再び東京で響かせることになる。