世界最小・最強セッター 「竹下佳江」
女子バレー日本代表のセッターといえば、やっぱり真っ先に思い浮かぶのが竹下佳江さんだろう。2000年代前半から実に10年以上も日本の司令塔として活躍した選手だ。159cmと小柄な体格ながら、常に全体を見渡す視野の広さ・アタッカーが打ちやすいところへ的確にトスを出す技術、中心選手としてみんなをまとめるリーダーシップ、セッターとして必要なものがすべて揃った世界最高レベルの選手だった。
そんな彼女も、日本代表としての道のりは決して順調ではなかった。1997年に初めて日本代表に選出されると、2000年にはレギュラーセッターに抜擢。しかし、初めてレギュラーに定着したシドニーオリンピック予選では、3勝4敗で6位という結果に終わってしまい、「159cmのセッターが世界に通用するわけがない」とバッシングの的になってしまったのだ。
翌年のグラチャンバレーでも日本代表に選出されたものの、この時の責任を感じて2002年に一度バレーから離れ、地元の北九州に帰って介護の仕事に就こうとハローワークに通っていた時期もあったほどだ。
しかしその後、JTマーヴェラスの一柳昇監督から「JTのVリーグ昇格に挑戦しよう」と口説かれて復帰。当時JTはV1リーグという2部リーグのようなところに所属していたが、復帰後はすぐさまチームの中心となり、Vリーグ昇格に貢献する。
以降も全日本のセッターとして選出され続け、オリンピックとワールドカップには3度、世界選手権にも2度出場。ロンドンオリンピックでは28年ぶりのメダル獲得に貢献する活躍を見せた。
スピード感あふれるトス回し!「中田久美」
続いて紹介するのは中田久美さん。昔からバレーを見ているという方にはおなじみの方かもしれない。大林素子さんらと同時期に活躍していた選手で、とにかくスピード感のある攻撃的なトスが武器。大林さんは14歳の時に日立の練習を見学した際、初めて中田さんにトスを上げてもらったそうだが、速すぎてまったくミートできなかったと語っている。
初めての全日本入りは1980年、何と15歳の時だった。当初はセンタープレーヤーだったものの、すぐに才能を見出されてセッターへ転向。そして83年からはレギュラーを獲得し、同年のアジア選手権では見事優勝に貢献する活躍を見せる。
翌84年のロサンゼルスオリンピックでも銅メダルを獲得し、順調に日本代表セッターの座を不動のものとしていたのだが、ここで中田さんに試練が……。なんと86年に右膝前十字靭帯断裂の大けがを負ってしまうのだ。懸命のリハビリを経て翌年に復帰、さらに88年のソウルオリンピックにも出場を果たすが、結局この右膝は引退まで完治しなかった。
その後、92年のバルセロナオリンピックにも出場し、女子バレーの選手としては史上初となる3度目のオリンピック出場。しかし怪我のこともあり、なかなか以前のようなスピード感のあるプレーができず、この年で引退となった。その後、95年に一度現役復帰するも、97年に日立を退社後は完全に引退。現在は解説や講演会など、全国各地でバレーに関する活動をされている。
新たな日本の司令塔となるか?「宮下遥」
最後に、今後期待のセッターを紹介しよう。宮下遥選手だ。竹下さんが引退した後に日本のセッターを務めている。
2009年11月にVリーグデビューを果たしたのだが、15歳2か月でのデビューは史上最年少の記録。そして4か月後の10年3月に全日本のメンバーに選出されたことからも、大きな期待が寄せられているのがうかがえる。当初は中道瞳選手らとレギュラーの座を争っていたが、14年ごろから正セッターに定着した。
まだまだトスさばきや状況判断力は竹下さんに及ばないものの、177cmという高身長は大きな魅力。サーブ・レシーブ・ブロックにも定評があり、総合的なポテンシャルは日本のセッターの中でもNo.1だろう。現役時代は名セッターとして知られていた眞鍋監督をして「今日本で一番のセッターであることは間違いない」と言わしめるほどだ。
そのかわいらしいルックスも相まってか、すでに日本代表の中でもトップクラスの人気を誇っている。竹下さんや中田さんのように、10年以上日本の司令塔として君臨してくれるのだろうか。期待していこう。
まとめ
アタッカーほどの派手さはないものの、さまざまな作戦の中心となっているセッターというポジション。
このポジションを知ることで、バレーがより面白く観戦できるかと思う。
ぜひ皆さんも注目してみて欲しい。