歴史的快挙!東洋の魔女(1964年東京)
バレーボールは1964年に開催された東京オリンピックから正式種目に採用された。アジアで初のオリンピックであり、オリンピックの前に行われた世界選手権で当時の世界一のチームであるソ連に勝って世界一になっていたことから、女子バレーの金メダルへの期待は非常に高いものだった。
当時の選手は負けたら日本に住めないと思うほど大切な試合だったというソ連との決勝に、セットカウント3-0のストレートで勝ち、女子バレーの初代オリンピック王者になった。「東洋の魔女」と呼ばれた日本代表の決勝は、なんとテレビの視聴率が66.8%に達し、いかに国民が注目していたかということがわかる。
戦後と呼ばれる時代が終わり、まもなく高度経済成長期に入ろうとする日本社会にとっても、大きな自信を与えるメダルとなった。女性は結婚したら家庭に入って主婦になるのが当たり前の社会の中で、日本代表チームの活躍は、ママさんバレーという形で多くの女性を家庭の外に送り出した。
女子バレー冬の時代到来(88年ソウル~2008年北京)
1984年ロサンゼルスオリンピックでの銅メダル獲得を最後に、日本女子代表はオリンピックの表彰台に上がることができなくなった。88年ソウル大会4位、92年バルセロナ大会5位、96年アトランタ大会では予選リーグ敗退と、時代とともにどんどんメダルから遠ざかっていく。
そしてついに、2000年シドニー大会では、女子バレーがオリンピックの正式種目となって以来初めて予選で敗退し、オリンピックに出場することさえできなかった。
日本のお家芸とまで言われた女子バレーだが、予選敗退という結果はまさに日本バレーの衰退を表すものとなり、かつては多くの国民が注目していた女子バレーの人気も成績とともに下降していった。日本はこの後2012年ロンドン大会までメダルから遠ざかることになる。
日本代表復活の狼煙の銅メダル(2012年ロンドンオリンピック)
1984年の銅メダルを最後にメダルから遠のくどころか予選敗退まで経験した日本代表。2004年のアテネ大会以降は、本大会には出場できていたものの、いずれも5位でメダルには届かなかった。それでもメダルまであと少しのところまで来ており、テレビでバレーボールの国際大会が放映されるなど、かつての低迷期を脱しつつあった。そんな中で2009年に眞鍋政義監督が日本代表の監督に就任する。
眞鍋監督は、選手とのコミュニケーションを大切にしていて、徹底的に話し、メッセージを送ることで選手にどのようなことを求めているのか伝えていった。また、時には監督から選手にイタズラを仕掛けることもあり、従来のような監督が絶対的な存在という関係ではなく、選手と監督が自分の意見を言い合える環境ができていった。
そういったチーム内でのコミュニケーションの風通しの良さもあり、眞鍋ジャパンは2012年のロンドンオリンピックで、ロサンザルス大会以来、実に28年ぶりのメダルを獲得した。低迷期を脱してメダルを獲得した日本代表は、2016年のリオ大会、そして2020年の東京大会でのさらなる活躍が期待される。
まとめ
かつては日本とソ連が2強と言われた女子バレーも、今ではブラジル、中国、キューバ、アメリカなど多くの強豪国がひしめいている。
一度はオリンピックから遠ざかってしまったが、かつての強さを取り戻しつつある女子日本代表。
2020年の東京オリンピックでは、1964年の「東洋の魔女」のような活躍を期待しよう。