「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

バレーからビーチバレーへ転向した選手たち

2016 10/11 18:34
ビーチバレー、女子
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by mezzotint / Shutterstock.com

バレーボールの世界で日本代表レベルの実績を残してからビーチバレーへと転向する選手は少なくありません。 今回はバレーボール日本代表の実績がありながらビーチバレーに転向した選手たちをご紹介します。

かおる姫こと”菅山かおる”

”かおる姫”のニックネームで人気を誇っていた菅山かおるは、日本代表としてオリンピック出場はできませんでしたが、世界選手権などには出場しています。 高校時代、Vリーグではアタッカーとしてプレーしていましたが、身長が169センチと高くなかったこともあり、リベロでの代表選出でした。
しかし、チーム事情でアタッカーもこなすようになり、リベロ、アタッカーと二刀流として人気を博します。 2009年に室内バレーからビーチバレーに転向し、ツアーで好成績を収めるなど活躍をしていました。2011年に男子ビーチバレー選手である西村晃一と結婚したのを機に引退。現在は夫である西村晃一が代表を務める会社に所属し、トークイベントなどで活躍しています。

オリンピック4大会出場!”高橋有紀子”

高校時代に大林素子と同級生で国体優勝を果たし、社会人になってからは日立で活躍した高橋有紀子もビーチバレー転向組です。
セッターとして1988年のソウル・オリンピック、1992年のバルセロナ・オリンピックに出場。その後、ビーチバレーに転向し、1996年のアトランタ・オリンピック、2000年のシドニー・オリンピックに出場して、4大会連続のオリンピック出場を果たしています。オリンピックでメダルを獲ることはできませんでしたが、室内、ビーチの両方で第一人者として競技を引っ張ってきた存在です。
高橋有紀子は引退後に「室内よりビーチの方が大変だった」と語っています。ビーチバレーでは、プレーだけでなく、遠征のチケット手配などを含めて全部を自分でやらなけらばならないからとのことです。現在は講師や解説などで活躍しています。

今後は指導者として!”佐伯美香”

日本代表のエースとして1996年のアトランタ・オリンピックに出場した佐伯美香(さいき・みか)も、アトランタ・オリンピック出場後にビーチバレーへ転向しました。2000年のシドニー・オリンピックでは同じく室内で日本代表としてオリンピック出場経験を持つ高橋有紀子とペアを組み、4位入賞を果たしています。
結婚、出産のため一時プレーを中断しますが、ほどなくして復帰し、2008年の北京オリンピックにも出場を果たします。この時は高橋有紀子ではなく楠原千秋とのペアでした。
しかし、シドニー・オリンピックのように入賞は果たせず、1次リーグ敗退という残念な結果に終わってしまいます。 翌年に現役引退を表明し、現在は講演活動を行いながら、愛媛県の松山東雲女子大学でバレーボール部の監督を務めています。

まとめ

室内のバレーボールからビーチバレーに転向する理由はさまざまだと思いますが、ひとつはオリンピックに出やすいということが挙げられるかもしれません。 オリンピックという目標があると、室内で活躍してビーチバレーへ転向する流れは今後も増えそうですね。

以上「バレーからビーチバレーへ転向した選手たち」でした。