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男子バレー日本代表唯一無二の名監督 「松平康隆」

2016 10/12 03:34
男子バレー ミュンヘン
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Photo by Nielskliim/Shutterstock.com

ミュンヘンで日本チームを金メダルに導いた名将、松平康隆監督について知りたいと思わないだろうか。 今回は彼の功績をミュンヘンオリンピックの試合を振り返りながら紹介する。

ミュンヘンの奇跡は作り上げられたもの!?

男子バレーの名監督といえば、やっぱり松平康隆監督だろう。1964年の東京オリンピックではコーチとして日本の銀メダル獲得に貢献。1965年からは監督を務め、1968年のメキシコオリンピック銀メダルへと導いた。
しかし、松平監督の最大の功績は、ミュンヘンオリンピックでの金メダルだ。準決勝のブルガリア戦ではいきなり2セットを連取され、0-2と絶体絶命に陥ってしまったが、3セット連取で取り返して歴史的な逆転勝利を収めると、その勢いのまま決勝戦で東ドイツにも勝利。いまだ「ミュンヘンの奇跡」と呼ばれるほど劇的な展開で金メダルを獲得した。
一般的には奇跡的な大逆転勝利をおさめたという認識しかされていないこの出来事だが、実はここまでの道のりには松平監督によってたくさんの伏線が張り巡らされていたことはご存知だろうか?

バレーにかける熱意は国をも動かす

まずミュンヘンの伏線その1、それは松平監督の” 情報収集力“だ。松平監督は徹底したデータバレーを行っていたのだが、当時西側陣営についていた日本は東側陣営の情報が簡単に手に入るような環境ではなかった。特にソ連に関してはいわゆる「鉄のカーテン」に阻まれていたこともあり、内部の情報が完全に遮断されていた状態。そこで、松平監督はあえてソ連の近隣国であるスウェーデンやフィンランドに遠征を行い、ソ連の動向を探る(あくまでバレーボールソ連代表チームの動向だが)。
さらに、東ドイツに関してはもっとすごい行動力を見せる。当時日本と東ドイツはまだ対戦した経験がなく、ほとんど情報は無かった。そこで、松平監督は何とか東ドイツを日本に招致すべく、東ドイツ工芸品展覧会のタイアップ企画として日本vs東ドイツの親善試合を企てる。
そして、それを当時の佐藤栄作政権で外務大臣を務めていた愛知揆一に直談判。その甲斐あってか、この試合は実現し、日本は徹底的に東ドイツの情報を収集することに成功したのだが、それだけでなく、なんとこれがきっかけで日本と東ドイツの間に国交が樹立されたのだ。バレーにかける熱意は政治的な影響まで与えた。

エースのプライドをへし折るほどの徹底的な守備練習

ミュンヘンの伏線その2、それは”徹底した守備練習“だ。もともと日本では9人制バレーが主流。そのためアタッカーはほとんど守備に回る機会はなかったのだが、オリンピックの6人制バレーではそうはいかない。
そこで、松平監督は、エースの南選手をはじめとして、守備を徹底的に叩きこむ。練習時間の8割はレシーブの練習だったとも。当然、南選手にも日本のエースとしてのプライドがあり、この練習には納得していなかったのだが、この時監督はコーチへこう言う。
「南のプライドを打ち砕け」
こうして徹底的に守備を叩きこまれた日本チーム。ブルガリア戦では相手エースのズラタノフが今までになかった攻撃パターンで攻めてきたため、2セットを立て続けに落としてしまったものの、第3セット以降は鍛え抜かれたレシーブでしっかりと対応。この時、第3セットから途中出場したのが南選手だった。ここから日本がリズムをつかんでいくと、逆転でこのセットを奪取。次の2セットも連続で取り、見事な逆転勝利をおさめる。鍛え抜かれた守備力でつかんだ見事な勝利だった。

偶然ではなく執念で勝ち取った"必然"の金メダル

そして迎えた決勝の東ドイツ戦、ここでも松平監督が張った伏線がバッチリと効果を発揮する。
なんと日本チームが会場に入るやいなや、ニッポンコールが沸き上がるのだ。ミュンヘンは西ドイツにある都市。同じく西側陣営だった日本とは良好な関係が築かれていたのだが、それだけでなく松平監督はこのオリンピックの数年前からミュンヘンで親善試合を行い、現地でのファンを増やしていたのだ。そして試合が始まれば徹底的に集めたデータで試合の主導権を握り、見事セット数3-1で勝利した。こうして男子バレーに念願の金メダルがもたらされたのだった。
この2試合は本当に松平監督の思惑通りになったと言える。東京オリンピックでコーチを務めていた頃から8年。常に日本がどうすれば金メダルを取れるかを考え、突き詰めていった結果だろう。「ミュンヘンの奇跡」は決して偶然起こったものではない。松平監督や選手たちの、金メダルにかける熱意がもたらした”必然”なのだ。

まとめ

おそらく松平監督以上の名将は、バレーどころかほかのスポーツでもなかなかいないと思う。 女子バレーの眞鍋監督も尊敬する人物に松平監督を挙げていたし、現代バレーにも大いに影響を与えた人物だ。