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バレーボールのオリンピック歴代男子日本代表を紹介

2020 6/10 17:00SPAIA編集部
植田辰哉監督Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

オリンピック男子バレーボール歴代ジャパン

・1964年東京オリンピック
成績は銅メダル。監督は、県立檀原公苑の坂上光男、主将は出町豊。女子も金メダルを獲得したことから、日本の強さが広く世界に知れ渡った。

・1968年メキシコオリンピック
男女とも銀メダルを獲得。監督は日本鋼管所属の松平康隆、主将は池田尚弘。金メダルは前回の東京オリンピックに続き、ソ連が獲得。

・1972年ミュンヘンオリンピック
念願の金メダルを獲得。監督は松平康隆、主将は 南将之。女子も銀メダルを獲得したため、メキシコに続き更に日本の強さが色濃くなった。

・1976年モントリオールオリンピック
結果は4位。監督は中京女子大所属の坂上光男、主将は 猫田勝敏。一方、金メダルを獲得した女子は、東京オリンピック以来12年ぶりに女王の座へ返り咲いた。

・1980年モスクワオリンピック
政治的な問題から出場を辞退。 ・1984年ロサンゼルスオリンピック
成績は7位。監督は中野蒲鉾店所属の中野尚弘、主将は 山田修司。女子は銅メダルを獲得し、善戦だった。

・1988年ソウルオリンピック
結果は10位。監督は富士フイルム所属の小山勉、主将は 杉本公雄。このころバレーボールはオリンピックの正式競技として定着し、各国が競争力を上げてきたことからメダルの獲得が厳しい状況となってきた。

・1992年バルセロナオリンピック
結果は6位に。監督はサントリー所属の大古誠司、主将は植田辰哉。

・1996年アトランタオリンピック
未出場

・2000年シドニーオリンピック
未出場

・2004年アテネオリンピック
未出場

・2008年北京オリンピック
結果は11位。監督はJVA所属の植田辰哉、主将は荻野正二。

2009年から日本男子バレーボール日本代表の愛称は「龍神NIPPON」。龍神のように強さと気高さを持ち、世界の強豪と戦ってほしいという願いが込められている。しかし、2012年ロンドンと2016年リオデジャネイロでは続けて予選敗退し、オリンピックへの出場権を得ることができなかった。

1964年オリンピック初出場で銅メダル

1964年東京オリンピックでの男子の結果は銅メダル。女子の金メダル獲得の陰に隠れながら、男子で金メダルを獲得したソ連をセットカウント3-1で破るなど熱戦を繰り広げていた。

メンバーには後に世界一のセッターと言われた猫田勝敏選手、メキシコオリンピックで監督を努め殿堂入りも果たした松平康隆コーチが参加していた。

「負けてたまるか」をモットーに奮闘したメキシコオリンピック

記録映画「東京オリンピック」では1カットも使われず、屈辱を味わった男子バレーボール。1968年のメキシコ五輪では「負けてたまるか」をモットーに奮戦し、見事銀メダルを獲得した。監督は東京オリンピックでコーチを努めた松平康隆だった。

絶体絶命から大逆転を収めた「ミュンヘンの奇跡」

「ミュンヘンの奇跡」と伝えられる伝説の勝負は、1972年ミュンヘンオリンピック準決勝、ブルガリア戦だ。ブルガリアの巧妙なクイックに歯が立たず、あっという間にセットカウント0-2という正念場に立たされた。

しかし、松平監督の守備を固める作戦で第3、第4セットと取り返し、迎えた勝負の第5セットで3-9とリードされるも、途中でベテランセッター猫田が入ると流れが大きく変わる。そのまま勢いに乗り大逆転。続く決勝では東ドイツを3-1で打ち砕き、念願の金メダルを獲得した。

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