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オリンピックで初めてメダルを獲得した日本人・熊谷一彌とは?

2020 2/22 17:00SPAIA編集部
イメージ画像Ⓒmasisyan/Shutterstock.com
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日本で初めてメダルを取ったのはテニス

テニスは日本人にとってなじみ深いスポーツとして人気がある。錦織圭や大坂なおみといったプレイヤーの試合があるたびにテレビで観戦するという人もいるだろう。それ以前にも松岡修造や、伊達公子といったスタープレイヤーがいた。

とはいえ、日本人が初めてオリンピックでメダルを取った競技がテニスであるということを知っている方は少ないのではないだろうか。その人の名は、熊谷一彌という。

テニスを始めたのは遅かった熊谷

熊谷は1890年に福岡に生まれたが、テニスとは縁遠い人生を送っていた。中学校の頃は野球部の主将として活躍するほか、掛け持ちで陸上の中距離種目にも参加していた。

運動能力に関しては抜群のものがあった熊谷がテニスに出会ったのは、慶応義塾大学に入学してからのこと。もっとも、日本でそれまで行われていたのはゴムボールを使った軟式テニスだった。世界的には硬式テニスが主流だったが、日本では硬式ボールを作るために必要な原料が輸入しづらかった。

軟式テニスでもそれなりの成績を収めていた熊谷だったが、やはり世界のテニスプレイヤーと戦いたいという思いは捨てきれず、23歳のとき、一念発起して硬式テニスに転向することを決意。硬式ボールの感覚にすぐになじんだ熊谷は、まもなくフィリピンで行われた世界大会に出場するようになった。

すぐに頭角を現し、全米ベスト4

熊谷のテニスの才能は抜群だったため、初参加の大会ながらシングルスでは準決勝、ダブルスでは決勝まで進出する快挙を成し遂げる。しかし、優勝には届かなかった。というのも、テニス史上のレジェンドともいうべきビル・ジョンストンというアメリカ人がその大会には参加していたからだった。

自分より4歳年下のジョンストンに、熊谷は強い刺激を受ける。彼は173cmと小柄ながら、大柄のほかの選手を圧倒していた。それを見て、同じく166cmと小柄だった熊谷は、ジョンストンがやれるなら自分にもできる、とライバル心を抱くようになったのだ。

以後本格的に硬式テニスにのめりこんだ熊谷は、世界的プレイヤーに成長し、初参加から3年後に行われた大会では見事優勝するまでになった。

やがてアメリカに遠征してからは、ジョンストンを破ったこともあって世界からも注目されるようになる。そしてグランドスラムの一つとして数えられている全米選手権では、日本人で初めてベスト4に食い込むほどにまで躍進した。ちなみに、日本人男子選手がグランドスラムのベスト4に進出したのは、熊谷のほかには錦織圭しかいない。

アントワープオリンピックで銀メダルを獲得した熊谷

1920年に開かれたアントワープオリンピックにおいて、熊谷は日本選手団の一人としてエントリー。この時期の熊谷はテニス選手全体のランキングで3位につけるほどの全盛期を迎えていた。熊谷はシングルスとダブルスに出場していたが、ともに快進撃を続け決勝進出。先に行われたダブルス決勝では、イギリスの選手たちに敗れて銀メダルに終わった。

しかしながら、これが日本に初めてオリンピックのメダルがもたらされた瞬間となったのだ。その後行われたシングルスでも敗れ、熊谷のオリンピックは銀メダル2個という結果だった。

引退後もテニスに携わり続け、後進の指導に当たった熊谷は、1968年にこの世を去る。大正や昭和の日本においてプロアマ問わずテニスが親しまれたのは、熊谷の功績が大きかっただろう。