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平成7年 松岡修造がウィンブルドンでベスト8【平成スポーツハイライト】

2019 1/13 07:00SPAIA編集部
松岡修造,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

松岡修造が64年ぶりにウィンブルドン男子シングルスベスト8達成

平成7年、世界ランク100位以内に入れず苦しいシーズンを送ってきた松岡修造にチャンスが訪れたウィンブルドン大会。男子シングルス4回戦では6-3、6-2、6-4でマイケルジョイスをストレートで破り、佐藤次郎以来、実に62年ぶりとなるウインブルドンベスト8を果たした。その軌跡を追う。

ケガに苦しめられた現役時代

プロ転向後に着実に力を付けた松岡は、1988年1月に初めてのグランドスラム「全豪オープン」に出場し、準々決勝まで進出。当時世界ランキング7位だったジョンマッケンローにタイブレークまでもつれる接戦を演じたが、惜しくも敗れてしまう。

翌年にATPツアーダブルスを初制覇。順風満帆だと思われた矢先、両膝の半月板を損傷。ここからケガとの戦いが始まる。

しかし、1991年に復帰すると翌年、ATPシングルスで初の優勝を果たす。その後の大会でも準優勝し、世界ランキング46位にまで上り詰めた。ところが今度は伝染性単核球症を発症し、またしても入院生活を余儀なくされる。

その後も100位の壁を破れず苦しむが、1995年ウィンブルドンに出場するチャンスが訪れた。

「この一球は絶対無二の一球なり」

松岡は1995年のウィンブルドンで出場者のケガにより、本戦出場のチャンスが巡ってきた。1回戦、2回戦、3回線と辛くも勝利し、迎えた4回戦。マイケルジョイスをストレート勝ちで破り、見事ベスト8入りを果たした。

最終ゲームで自分自身に言った言葉「この一球は絶対無二の一球なり」や、試合後にコートを駆け巡って喜びを表現する姿に感動したファンも多いのではないだろうか。

ベスト4をかけた試合は、世界ランク2位のサンプラスに敗れることなる。今では、テレビで熱血を語る松岡修造。だが実は、度重なるケガと戦い続けた苦労人でもある。