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パラリンピックに見る、車椅子テニスの歴史と見どころ

2017 4/5 18:49sachi
テニス
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出典 近年は日本人選手の活躍もあって、車椅子テニスの注目度が高まっている。 車椅子テニスにもA.RICARDO/ Shutterstock.com

マスターズや4大大会といった国際タイトルがあるが、最高峰はやはり障がい者スポーツの祭典パラリンピック。 この記事ではパラリンピックにおける車椅子テニスの歴史や見どころを紹介する。

車椅子テニスがパラリンピックに登場するまで

アクロバットスキーのプレーヤーだったブラッド・パークス氏は、18歳の時に競技中の事故で下半身不随となり、競技生命を絶たれた。リハビリ生活を続けていたある日、ジェフ・ミネンブレイカー氏という人物が車椅子に乗った状態でテニスをしているのを知り、それを競技として発展させようと共同で取り組む。時は1976年、これが車椅子テニス誕生の瞬間だ。
2人の働きかけで1980年には全米車椅子財団が発足、翌81年には車椅子テニスの国際普及を目的とした車椅子テニス選手協会を設立し、競技教本を発行した。
普及活動は世界各地で行われ、1985年には欧州車椅子テニス連盟が、1988年には国際車椅子テニス連盟が設立される。そしてこの年に開催されたソウルパラリンピックに公開競技として選ばれ、男女でシングルスの試合が行われたのだ。

パラリンピックに名を残した日本人選手の先駆者たち

車椅子テニスが初めて公開された1988年ソウル大会は、パラリンピックという言葉が正式名称として使用された初めての大会でもある。公開競技の位置づけながら評価を得た車椅子テニスは、1992年のバルセロナ大会で正式競技に昇格、シングルスとダブルスで競技が行われた。
1996年のアトランタ大会は齋田悟司選手や大前千代子選手といった日本の選手がパラリンピックに初出場した大会で、車椅子テニスがアメリカやヨーロッパだけでなくアジアにも普及が進んでいることを印象づけた。また、この大会以降すべてのパラリンピックで日本人の車椅子テニス選手が出場し続けている。日本人選手として初めての金メダルは2004年のアテネ大会、齋田選手と国枝慎吾選手がペアを組んだ男子ダブルスだ。

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