「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

ハンデをバネに変えて活躍する、車椅子テニスの女子選手たち

2017 4/5 18:49sachi
テニス
このエントリーをはてなブックマークに追加

出典 Photonimo/ Shutterstock.com

1976年にアメリカで生まれた車椅子テニスは、40年の時を経て世界中に認知される競技となった。 日本では史上最年少で年間グランドスラムを制覇した上地結衣選手が有名だが、上地選手以外にも観衆に熱狂と感動を与え続ける女子選手たちが存在する。

女子の車椅子テニス界を代表する堂森佳南子選手

1975年に静岡県で生まれた堂森佳南子選手は、中学時代に多発性硬化症による脊髄炎を患い、自力歩行が困難となった。16歳で車椅子テニスを始めたが、2005年からは車椅子テニス中心の生活を本格的にスタートしている。
パラリンピックでは、2008年の北京大会では大前千代子選手とのダブルスでベスト8進出、2012年ロンドン大会では上地選手とペアを組み、同じくダブルスでベスト8に進んだ。昨年のリオ大会ではシングルスのみで出場、格上の選手に1回戦で敗れてしまったが、30歳からの挑戦で3度のパラリンピック出場という快挙を成し遂げている。
日本ランキングの最高はシングルスで1位、ダブルスで2位。車椅子テニス1本に絞るまでは車椅子バスケットボールにも励んでおり、障がい者スポーツに多大な貢献を果たしてきた。

建設業からの転身でパラリンピック出場を掴んだ二條実穂選手

昨年のリオパラリンピック車椅子テニスで、日本から出場した女子選手は3名。エースの上地選手とベテランの堂森選手、そして二條実穂選手だ。
北海道旭川市出身の二條選手は、建設業(大工)に就くため地元の建築系専門学校を卒業、大工として棟梁もこなしていた。しかし、現場作業中の転落事故で脊椎を損傷、両足麻痺で通常歩行ができなくなってしまった。
入院生活中に車椅子テニスを知り、24歳で競技をスタートさせる。学生時代にソフトテニスをしていた経験もあって頭角を現し、3年後の2007年からは海外ツアーにも参戦、国内外の活躍が認められ、リオパラリンピック出場選手に選ばれた。そして、上地選手とのダブルスではベスト4に進出、一躍世界的な有名選手に登りつめた。

障がい者スポーツ界の功労者、大前千代子選手

大前千代子選手は、車椅子テニスで4度のパラリンピックに出場したほか、アーチェリーや陸上競技でも輝かしい実績を残している。 広島県呉市出身の大前選手は、1歳の時にポリオを発症して下半身が麻痺状態となった。幼い頃から努力を重ね、養護学校から佛教大学へと進学している。そこで社会福祉学を専攻しながら障がいを持つ子供たちのボランティア活動を行ってきた。
大学卒業後にアーチェリーと出会い、当時まだパラリンピックという名称が根付いていなかった1980年のアーネム大会でアーチェリーの金メダル、陸上のスラローム4で銅メダルを獲得している。
31歳からは車椅子テニスに転向し、パラリンピックには1996年のアトランタ大会から2008年の北京大会まで4大会に連続出場、2004年アテネ大会では八筬美恵選手とのダブルスで4位という成績を残した。 現在は日本車いすテニス協会の副会長を務めている。

夫婦の二人三脚で栄光を掴んだ八筬美恵選手

福島県出身の八筬美恵選手は、高校2年時に交通事故に遭って脊椎を損傷、以後車椅子生活を送っている。リハビリの一環として車椅子テニスに出会ったのは1991年のこと。
八筬選手は東京に在住し、三鷹市役所に勤めながら結婚生活を送っていたが、本格的に車椅子テニスを取り組みたいという思いで市役所を退職、2000年から千葉県流山市に転居してTTC(吉田記念テニス研修センター)に通い始めた。
ご主人の理解と支えがあって実力をつけていった八筬選手は、マスターズやフェスピックで優勝したほか、パラリンピックのアテネ大会と北京大会にも出場した。2005年の全豪オープンでは日本女子初の優勝を飾っている。

車椅子テニス界の超新星、大谷桃子選手

10代後半から20歳前後のアスリートたちが一様に目標としている、2020年東京のオリンピックとパラリンピック。車椅子テニス界の「東京世代」で、にわかに注目を集め出したのが大谷桃子選手だ。
車椅子テニスを始めてわずか8ヶ月、大会へのエントリー4回目という昨年11月の全日本マスターズで準優勝、衝撃的なニュースとしてメディアが取り上げた。大会9連覇を果たした上地選手との決勝戦は惜敗するも、その上地選手にして「今回が一番危なかった」と言わしめている。
小学3年からテニスを始めた大谷選手は、高校時代にインターハイ出場経験もある実力者。病気による投薬の副作用で下半身が不自由となり、その後一時は諦めていた車椅子テニスに取り組んだ。 自身も課題とするチェアワークに磨きがかかれば、2020年東京の金メダル最右翼に名を連ねるかもしれない。

まとめ

日本でも人気が急上昇している車椅子テニス。 その女子選手にも、功労者と評される方から次世代を担うスター候補まで、さまざまな選手たちが日夜努力を積み重ねている。 彼女たちの活躍を、熱狂とともに見守っていきたい。