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国枝選手だけじゃない!世界で活躍する車椅子テニス男子選手たち

2017 4/5 18:49sachi
テニス
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出典 Nicholas Rjabow/ Shutterstock.com

国枝慎吾選手や上地結衣選手などの活躍が注目され、日本でも車椅子テニスが一躍有名なスポーツとなった。 それは同時に、障がいを持つ方が希望や勇気を見出すきっかけにも繋がっている。 この記事では、国枝選手以外に車椅子テニスで活躍する男子選手を紹介していく。

日本の車椅子テニス界を切り拓いた先駆者、齋田悟司選手

日本で車椅子テニスが普及し始めたのは1980年代のこと。1972年生まれの齋田悟司選手は、車椅子テニスの日本人選手として世界で活躍した先駆者の1人として知られている。パラリンピックにはこれまで5回出場、国枝選手とペアを組みアテネ大会で金メダル、北京大会とリオ大会で銅メダルに輝いている。また2003年には、国際テニス連盟が選出する世界車いすテニスプレイヤー賞を日本人として初めて受賞した。
小学生の頃は野球少年だった齋田選手だが、12歳の時に骨肉腫を患い左足を切断。スポーツが大好きだった少年にとって、自分の身に起きた現実は受け入れ難いものだったそうだ。しかし、それを乗り越えて車椅子バスケットボールと出会い、さらには車椅子テニスを始めて世界の舞台へと駆け上がっていったのだ。

国枝選手に魅入られた次世代のスター、三木拓也選手

三木拓也選手は、1989年生まれの現在27歳。パラリンピックへの出場は2012年ロンドン大会と2016年のリオ大会がある。競技歴わずか2年で臨んだロンドン大会はシングルスで初戦敗退、眞田卓選手とのダブルスでベスト8入賞という成績だった。紆余曲折を経てのリオ大会は、シングルス準々決勝でランキング1位のステファン・ウデ選手に惜敗、ダブルスでは銅メダルを獲得した国枝選手と斎田選手のペアに敗れベスト4の結果に終わっている。
三木選手は小学4年からテニスを続けてきたが、高校3年の受験シーズンを前に骨肉腫を発症、左膝は人工関節となった。絶望に打ちひしがれていた時に知った車椅子テニス。北京パラで世界を舞台に戦う国枝選手に憧れて競技に足を踏み入れた。
2014?15年は右肩の故障で成績を下げたが、怪我も癒えて再び上昇気流に乗ってきた次世代のスター選手だ。

フランスが誇る車椅子テニスの王者、ステファン・ウデ選手

フランス・ロワール地方出身のステファン・ウデ選手は、1970年生まれのベテランながら、現在の世界ランキングでトップを走るアスリートだ。8歳からテニスを始め、ジュニア大会で優勝するなど活躍していた。
25歳の時にオートバイ事故で左足を切断、苦しい時期を乗り越え、障がい者ゴルフで目を見張る実績を挙げた。2005年から車椅子テニスをスタートし、すぐに頭角を現していく。パラリンピックでは北京大会のダブルスで金を獲得した以降メダルを逃しているが、グランドスラムではシングルス3回、ダブルス13回と計16回の優勝経験があり、肘の故障で調子を落とした国枝選手に代わり世界ランキング1位に君臨している。
46歳とは思えない身体能力の高さとチェアワークの巧みさで、日本人選手の行く手を何度も阻んできた。

脅威の快進撃を続けるテニス一家のエリート、ゴードン・リード選手

スコットランド出身のゴードン・リード選手は、1991年生まれの25歳。テニス一家という環境もあり、兄弟とともにテニスを始めたのは6歳の時だった。しかし、2004年に横断性脊髄炎を患い、自力歩行が困難となってしまう。
そんな絶望の中にあったリード選手が出会ったのが車椅子テニス。そこから人並み外れた努力で車椅子テニスに打ち込んだリード選手は、なんと翌年の2005年にはグラスゴーの大会で優勝、その後もジュニアカテゴリーで世界1位になるなど活躍する。2010年からシニアカテゴリーへと活躍の場を移し、マスターズ大会で4強に名を連ねるなど着実に力をつけていく。
そして2016年、全豪オープンとウィンブルドン、そしてパラリンピックと3つの大会で優勝を飾り、驚異の快進撃を続けている。

初期の車椅子テニス界で多大な功績を持つデビッド・ホール選手

アメリカが発祥の車椅子テニスにおいて、初期にアメリカ人以外で活躍した選手の1人にデビッド・ホール選手がいる。1970年、オーストラリアのシドニーで生まれたホール選手は、16歳の時にヒッチハイク中の自動車事故で両足を失った。
19歳で車椅子テニスを始めてから徐々に頭角を現し、1995年の全米オープンでアメリカ人以外の選手として初の優勝に輝いた。以降、全米オープンでは2004年大会までの10年間で、実に8回の優勝を誇る。全豪オープン、マスターズ、そしてシドニーのパラリンピックでも優勝しており、1990年代から2000年代前半を代表するプレーヤーだ。 2006年に選手を引退、その後国際テニス殿堂入りを果たした。

まとめ

車椅子テニスはアメリカ人のジェフ・ミネンブレイカー氏とブラッド・パークス氏によって活動の母体が確立され、1977年にアメリカ西海岸で競技としてのエキシビションマッチが開催され、競技としての歴史を刻み始めた。 その試合から40年が経過した2017年、日本をはじめ各国の名選手による白熱のゲームを楽しんでみてはいかがだろうか。