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ドイツテニス界の伝説的選手、シュテフィ・グラフの功績

2016 11/1 19:56
テニス 女性
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Photo by lev radin / Shutterstock.com

伝説の女子テニスプレーヤー「シュテフィ・グラフ」、どんな選手か知りたいと思わないだろうか? 今回は、シュテフィ・グラフの輝かしい功績を紹介する。

シュテフィ・グラフの生い立ち

シュテフィ・グラフは1969年6月14日に旧・西ドイツのマンハイムという街で生まれる。3歳の時には家のリビングルームでテニスラケットを使って遊んでいたといわれている。
5歳になると子供のテニス大会に出場しはじめ、7歳で早くも年少者向けの大会で優勝、父は娘の才能に気づきトレーニングパートナーを確保して、英才教育を始める。11歳の時に出場したシニアの大会で、元世界80位の選手相手にフルセットの試合を演じたことで「神童」という呼び方をされるようになった。

プロとして活動を開始

12歳の時にジュニアのドイツ選手権で優勝すると13歳でシニアの大会に出場するが、このときは元世界ランク1位の選手にストレート負けを喫する。これを機にテニスに集中するため、13歳という若さでプロ転向を表明する。早すぎるプロ転向に賛否両論あったが、翌年に参加した全仏オープンでは最も有望な選手として高い評価を得ている。
15歳の時には当時29歳のマルチナ・ナブラチロワと初対戦しストレート負けするが、世の中の注目は高まっていった。16歳で完全に才能が開花し4つの大会で優勝、マルチナ・ナブラチロワにも勝利するなど順調に思われたが、病気とケガにより競技ができない時期を経験する。

唯一無二の功績、年間ゴールデンスラム

17歳で4大大会の一つである全仏オープンで優勝して世界ランキング1位になったグラフは、18歳でとんでもない記録を残した。一年のうちに4大大会である全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンすべてを優勝することをグランドスラムと呼ぶが、まずこのグランドスラムを18歳という若さで達成してしまう。
さらにこの年に開催された1988ソウルオリンピックで金メダルを獲得、この偉大な功績をメディアは「ゴールデンスラム」と呼んで賞賛した。
年間グランドスラムはグラフを含めて女子選手でわずか3人しか達成していないし、ゴールデンスラムは男女含めて唯一無二の記録となっている。

シュテフィ・グラフ、記録と激闘の数々

若くして世界のトップに登りつめたグラフはたくさんの記録を残している。4大大会での優勝回数は22回におよび、そのうち1988年の全仏オープンでは決勝でダブルベーグル(6-0、6-0のストレート勝利)による圧勝を記録している。5年にわたり、シーズンを通しての世界ランキング1位を維持して、連続186週という記録も作った。
そんなグラフだが、1990年代にはモニカ・セレシュが台頭してパワーテニスの前に圧倒されるシーンも見られるようになる。世界ランキング1位も明け渡すが、セレシュのケガにより再び1位に返り咲く。セレシュがケガから復帰するとセレシュにも特例として1位が与えられ、全米オープンでは1位同士が決勝で激突、大熱戦の末にセレシュを破るというドラマが生まれている。

シュテフィ・グラフ引退

グラフはケガの影響で25歳くらいから主要な大会にも欠場することが多くなる。27歳の時に出場した東レパンパシフィックオープンでは準決勝に勝利したものの左ひざケガが悪化し、その後手術を余儀なくされる。復帰までには8ヶ月かかり、復帰後に出場したウィンブルドン選手権では3回戦敗退に終わっている。
この時期はマルチナ・ヒンギス、セレーナ・ウィリアムズなど若手の台頭も著しく、グラフは29歳のシーズン、ウィンブルドン選手権後に左ひざのケガの悪化を理由に現役を引退した。引退後は同じプロテニスプレーヤーだったアメリカ人のアンドレ・アガシと結婚。2004年7月には国際テニス殿堂入りし、その功績が称えられた。

まとめ

テニス界の伝説的な選手、シュテフィ・グラフの功績を紹介した。若くから才能を発揮した本物の天才だったことがわかる。

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