恵まれた体格と運動神経が抜群だったフェルナンド・ゴンザレス
フェルナンド・ゴンザレスはチリ出身の元プロのテニスプレイヤーだ。ミドルネームを含めた正式名はフェルナンド・フランシスコ・ゴンサレス・シウファルディ(Fernando Francisco Gonz?lez Ciuffardi)となっている。フェルナンド・ゴンザレスは1980年7月29日にサンティアゴ・デ・チレで誕生する。生まれつき恵まれた体格で運動神経も抜群だったので、迷うことなくスポーツの道へと進む。そんな彼が選んだスポーツがテニスだった。
ジュニア時代に全仏オープンを制したフェルナンド・ゴンザレス
フェルナンド・ゴンザレス選手は着実に実力を伸ばしていくが、同年代のフアン・カルロス・フェレーロというスペイン出身のライバル選手が現れる。2人はジュニア時代から激しく争い、1998年に開催された全仏オープン男子シングルス(ジュニア部門)の決勝では、フェルナンド・ゴンザレス選手が見事勝利をおさめ優勝した。ジュニア部門を制した翌年、19歳となったフェルナンド・ゴンザレスはプロに転向する。そして着々とテニスプレイヤーとしての道を歩んでいく。
プロに転向したフェルナンド・ゴンザレス
プロに転向したフェルナンド・ゴンザレス選手は、翌年の2000年にはATPツアーに参加。フロリダ州のオーランドで開催された大会で、初優勝をあげた。この試合の決勝戦では、同じチリ出身のニコラス・マスー選手だったため、ATPツアーの決勝では18年ぶりとなる、チリ人同士の対決となった。プロ転向後に初参戦したATPツアーは、順調に勝利を重ね135位でランキングを終えた。
そして2002年はATPツアーで2つの優勝を記録し、世界ランキングを18位へと大きく伸ばした。
オリンピックのダブルスで金メダルを獲得したフェルナンド・ゴンザレス
世界ランキング18位と飛躍を見せた翌年、全仏オープンの準々決勝でジュニアの時代からライバル選手だった、フアン・カルロス・フェレーロに敗北。フェルナンド・ゴンザレスは、この年1度も優勝することができず35位でシーズンを終えた。そして翌年、アテネ五輪にチリ代表として出場し、ニコラス・マスーと戦ったダブルスで金メダルを獲得、シングルスでも激しい3位決定戦を制し銅メダルを獲得。フェルナンド・ゴンザレスは一躍、国民的英雄となった。
自身初となるシーズン5位を記録したフェルナンド・ゴンザレス
2005年にフェルナンド・ゴンザレスは3大会で優勝を飾り、ランキングも11位となった。着実にプロとしての実力を伸ばし、2007年には自身で初となる4大大会決勝進出を果たす。1度も勝ち星のなかった相手のロジャー・フェデラーに初めて勝利し、自身のシーズン最高順位となる5位を記録、最終的にランキングも7位となった。2008年に開催された北京オリンピックでは、決勝戦でラファエル・ナダルと対戦し惜しくも銀メダルとなった。
それ以降も強力なフォアハンドを武器に、活躍を続けたフェルナンド・ゴンザレスだったが、2012年に引退を発表し31歳で現役を退いた。
まとめ
フェルナンド・ゴンザレスの功績を紹介した。プロ転向後も着実に勝利を重ね、国民的英雄となったフェルナンド・ゴンザレスだったが、惜しまれつつも31歳で引退。彼の大きいスイングからの強力なフォアハンドは、多くのファンを魅了した。