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東京パラリンピックが開催される前に、パラ卓球の注目選手を知ろう。

2017 9/13 14:03あんこ
パラリンピック 卓球
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パラリンピック卓球の歴史

パラリンピックの卓球は1960年、第1回ローマ大会から開催され、2020年の東京パラリンピックで16回を数えることになる。
日本がパラリンピックに参加したのは第2回の東京大会からであるが、卓球男子ダブルスに参加した、猪狩靖典・渡部藤男組が金メダルを獲得する快挙を成し遂げた。
パラリンピック前の日本では、障がい者は運動をしないのが当然の様に思われていたが、この大会を契機に障がい者スポーツは発展を遂げていくことになる。障がい者や、その家族たちにとって、記念すべき大会として、大きな夢と希望の第一歩になったのは間違いないだろう。

パラリンピック卓球のルール

パラリンピックの卓球は一般的な卓球のルールにのっとって進められる。もちろん全てが同じではなく、障がいの種類や程度によってルールが変更されている。例えば正規パスが困難な選手の場合は、一度自分のコートにボールを落としてからサービスすることが可能になっているし、車いす選手のサービスはエンドラインを正規に通過したボール以外はノーカウントとなっている。
競技は男女別、個人戦と団体戦があり、クラス分けをして行われる。 そのクラス分けは1~5が車いす選手、6~10が立位の選手、11が知的障がい選手となっている。
男女別でも少し違い、個人戦では男子が11クラス、女子が10クラスで開催され競い合うことになる。

リオパラリンピックで話題 イブラヒム・ハマト選手

2016年のリオパラリンピックは記憶に新しく、その中で特に印象に残っている1人に数えられるのが、男子卓球に出場したエジプトのイブラヒム・ハマト選手ではないだろうか。
ハマト選手は2017年現在、世界で唯一、口にラケットをくわえてプレーする卓球選手なのだ。 ハマト選手は10才のころ、列車事故で両腕を失ってしまった。それでも大好きな卓球を諦めきれず、試行錯誤をした末、ラケットをくわえてプレーするスタイルに落ち着いた。
残念ながら、第1次リーグで敗退してしまったがハマト選手だが、そのプレースタイルは世界中の人々に「諦めない力」を与えてくれた。
ハマト選手の出場は未定だが、2020年東京の地でその雄姿を観たいと願っているファンは多い。

バタフライマダム・別所キミヱ選手

別所キミヱ選手は1949年生まれのスポーツが好きな活動的な女性だ。42才のころ難病を患い、そこから車いすの生活になる。別所選手が卓球のラケットを握ったのは、難病前ではなく、なんと45才になってからであった。
練習を重ね、2004年アテネパラリンピックに出場すると、そこから北京、ロンドン、リオデジャネイロと連続でパラリンピックに出場を果たす。リオ出場時には68才で、日本人選手の出場者の中では最高齢だった。結果は北京、ロンドンと同じく5位入賞を果たす。

別所選手の試合内容や経歴も素晴らしいが、観戦者が一番驚いたのは、別所選手の可愛らしさではないだろうか。編み込んだ髪にキラリと光る沢山の蝶をあしらい、リオの舞台を戦い抜いた。強く、可愛く、愛らしい別所選手は世界中にファンを作り、バタフライマダムと称されるようになった。

別所選手のプレースタイルは、レシーブをネット際に狙って落とすというものだ。車いす卓球の選手たちにとって、この球は取りづらいだろう。まさに「年の功」の熟練技である。まだまだ元気だと公言する別所選手は、東京パラリンピックを視野に入れ、日々のトレーニングに励んでいる。

期待の新星・岩渕幸洋選手

1994年生まれの岩渕幸洋選手がパラリンピックを意識したのは、中学3年の時だった。当時所属していた卓球部のコーチから「パラリンピックを目指す資格がある」と指導されたことがきっかけだった。岩渕選手はそれまで自分の足の障がいは軽度であり、パラリンピックに出場できる資格があるとは考えてもいなかった。岩渕選手にとってコーチの言葉は、まさに人生を変える一言となったのだ。

夢から目標に変わったパラリンピックを目指して卓球に打ち込む岩渕選手は、着実に力をつけていった。リオに出場する前にはクラス別では国内敵なしの強さになり、アジアパラリンピック第3位に輝くなど、数々の記録を達成していった。岩渕選手は2020年の東京パラリンピック出場を目指し、早稲田大学卓球部でさらなる練習に励んでいた。しかし、予想よりも早くリオへの出場が決定したのだ。

世界大会への出場経験のある岩渕選手は「リオを楽しむ」気持ちでパラリンピックに挑んだ。しかし実際に思っていたパラリンピックとは熱気や迫力が違い、一気に緊張の波が彼を襲った。試合後に「あの時は自分のことだけで精一杯で、相手のことを考える余裕はありませんでした」と語り、コントロールを失いつも通りのプレーができなった岩渕選手は、残念ながら予選リーグで敗退してしまったのだ。
しかし岩渕選手にとって、このリオの敗退は決してマイナスではなく、「次」に繋がる貴重な経験となったであろう。まだ若い岩渕選手の次なる目標は勿論、2020年の東京パラリンピック卓球への出場である。自国のパラリンピックで、もう一回り大きくなった岩渕選手の活躍をぜひ見たいものだ。