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日本女子卓球のエース、石川佳純の功績とこれから

2016 12/16 20:07
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Photo by Stefan Holm/Shutterstock.com

リオ五輪で2大会連続のメダル獲得となった卓球女子団体。その立役者となったのは、エースに成長した石川佳純だった。 そんな石川佳純のこれまでの功績とこれからの展望にせまる。

元卓球選手の両親のもと始めた卓球

山口県山口市で生まれた石川佳純は、小学校1年生のときに両親の所属する卓球クラブの試合を観戦にいったことがきっかけで、卓球クラブの練習に遊び半分で顔を出し始める。その約4ヶ月後には、全日本選手権バンビの部(小学校2年生以下)山口県予選を2位で通過した。

これをきっかけに本格的に卓球にのめり込むようになり、国体選手だった母親が自宅に卓球教室をつくり、日々練習漬けの毎日が始まるようになる。

日本代表のチームメイト、福原愛が正式に卓球の練習を始めたのが3歳9ヶ月、伊藤美誠が卓球少年団に入ったのが2歳の終わり頃なので、2人に比べると遅いスタートといえる。しかし、ここからメキメキ実力をつけ、小学6年生で出場した全日本選手権シングルスでは高校生、大学生を下して3回戦に進出。一気に注目を集めるようになった。

「愛ちゃん2世」から日本のトップ選手に

小学6年時の活躍で「愛ちゃん2世」としてメディアの注目が集まる中、中学1年の4月から、福原愛がその年の3月まで所属していたミキハウスに加入。中学2年で出場した全日本選手権で、福原愛以来となる中学生でのベスト8進出を果たすと、その試合でも勝利し史上最年少でベスト4に進出。福原愛の記録を塗り替えた。この活躍により、2007年世界選手権にダブルスのメンバーとして史上最年少で抜擢された。

さらに、高校1年時にはインターハイ、国体、選抜、全日本ジュニアと高校生が獲得できるすべての大会で優勝して4冠を獲得。2011年には、全日本選手権の準決勝で福原愛を下して初優勝を果たし、名実ともにトップ選手となった。

世界の石川佳純へ

2009年に高校2年で出場した世界卓球シングルスでは、2回戦で世界ランキング10位の選手に劇的な逆転勝ち。2003年の福原愛以来となるベスト8進出を決めると、世界ランキングをみるみる上げていき、2012年にロンドン五輪にチーム最年少で出場する。

シングルスで日本人選手として初の準決勝進出。準決勝、3位決定戦ともに敗れてメダル獲得は逃したものの、その活躍により世界ランキングも5位に上昇し、団体では日本卓球界初の銀メダル獲得に貢献した。

さらに、2014年シーズン最終戦のワールドツアーファイナルズでは日本人女子初の優勝を飾り、2015年世界選手権個人戦のミックスダブルスで38年ぶりの銀メダル獲得。仙台で開催されたワールドカップでは日本人女子初の準優勝と、4歳年上の福原愛が引っ張ってきた日本女子卓球界で若きエースとして世界を代表する選手となっていった。

シングルスでまさかの結果に終わったリオ五輪

2016年のリオ五輪では福原愛がキャプテンとなり、石川佳純は名実ともに日本のエースとして出場。しかし世界ランキング5位で第4シードとして4回戦から登場したシングルスでは、初戦で北朝鮮のキム・ソンイにフルセットの末敗れるという波乱だった。

国際大会にほとんど出場しない北朝鮮の選手はデータがなく、またデータがない状態での対戦では粘って返すスタイルが有利になると言われるカットマンであったこともあり、第6ゲームから右足の痙攣。その後、メディカルタイムアウトも認められず敗退するという失意の結果に終わった。

先を見つめる石川佳純

シングルスで敗れた石川佳純は、試合後のインタビューで何度も怪我の影響について問われたが、頑なにその影響を否定し、右足の痙攣についても自分の体力がなかったからだと言い続けた。

そして、その後の団体戦では全試合シングルスのみに出場し、1回戦から3位決定戦まで全勝。エースとして日本代表を牽引する活躍を見せ、銅メダルを獲得して個人戦のリベンジを果たした。

リオ五輪を終え、彼女は27歳で迎える東京五輪を見据えている。現在の夢は、集大成として迎える東京五輪でシングルスのメダル獲得と、5歳下の妹・梨良と共に出場することだそうだ。

まとめ

伊藤美誠を始めとする若きタレントも出てきており、今や世界の強豪国の1つとなった日本女子。福原愛が作った流れを引き継いで世界と戦ってきた石川佳純の功績は大きい。集大成として迎える東京五輪での活躍が今から期待される選手の1人であることは間違いないだろう。