「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

卓球・水谷隼の功績とメダルを掴んだ真摯な姿勢

2016 12/16 20:07
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by testing/Shutterstock.com

リオ五輪の卓球シングルスで銀メダル、団体で銅メダルを獲得した水谷隼。中でも銀メダルは卓球のシングルスで日本男子が獲った史上初のメダルとして大きな価値があるものだった。そんな水谷隼のこれまでとその功績を紹介する。

父の影響で始めた卓球

静岡県磐田市出身の水谷隼は、幼い頃から運動神経が抜群で、5歳の時に卓球を本格的に始めた。卓球経験者の父親が元で卓球スポーツ少年団を設立、その一期生として入団する。ちなみに、同じくリオ五輪に出場して女子団体で銀メダルを獲得したチーム最年少の伊藤美誠選手も、同じ卓球スポーツ少年団出身だ。

水谷は本来右利きだったが、両親が左利きの優位性を考え、この頃に左利きに矯正している。

本格的な大会に出場したのは小学1年生の時。初出場した全日本卓球選手権大会バンビの部で準優勝。翌年に優勝すると、その後も各カテゴリーで優勝を重ね、1学年上の福原愛が所属していた青森山田中学校に進学した。

15歳で日本代表メンバー入り

青森山田中学校2年時には、全日本卓球選手権ジュニアの部(高校生以下)で男子としては史上最年少で優勝。また同時に一般の部でもランクインし、その抜群のボールタッチが卓球界で大きな話題となる。そして青森山田高校に進学すると、当時の男子史上最年少で日本代表メンバー入りした。

2005年に中国の上海で行われた第48回世界卓球選手権に出場し、結果はシングルスで3回戦敗退、ダブルスでは1回戦敗退だったが、シングルス2回戦では当時世界ランキング183位だった水谷が8位の選手に勝利。当時の日本卓球界は、前年のアテネ五輪での大敗を受けて改革を進め始めた頃で、その象徴的な存在として注目を集めた。

日本のエースへ

青森山田高校在学中の2006年には、当時の日本代表のエースで3連覇を狙っていた吉田海偉に勝利し、史上最年少の17歳7ヶ月で全日本選手権優勝。男子シングルス・男子ダブルス・男子ジュニアの部シングルスのすべてを制する3冠を達成した。その年から男子シングルス5連覇、男子ダブルス4連覇を達成と、名実ともに日本のエースとなる。

2007年に明治大学に進学すると、翌年の世界卓球選手権団体戦で大躍進の銅メダルを獲得。同年の北京五輪に初出場を果たし、2009年の世界選手権ではダブルスで銅メダルを獲得した。2012年には世界ランキングを5位にまで上げ、第3シードとしてロンドン五輪に出場する。

失意のロンドン五輪と当時の卓球界

メダルも期待された中で日本のエースとして迎えたロンドン五輪だったが、シングルスでは4回戦敗退、団体でも敗退する。

しかし、この頃の卓球界では世界的に不正行為が行われていた。国際卓球連盟では北京五輪の後にラケットとラバーを接着する薬剤の一種の使用を全面禁止、さらにラケットへの付加的な処置も禁止となる。禁止された薬剤は単にラバーを接着するだけでなく、ラバーの反発力を高める効果があったからだ。

水谷も禁止措置後、ルールに適合するラケットに慣れるまで2ヶ月かかったという。反発力を求め、禁止されたラケットへの付加的な処置を加える選手が出始めると、それが増え続けることになった。

覚悟の不正行為告発

以前からこの不正行為を指摘していた水谷だったが、チェックが難しいため野放し状態で横行していたことからロンドン五輪終了後に大きな決断を下す。

それは、この不正行為が横行していることを選手側から告発すること。そして、この問題が解決するまで国際大会には参加しない旨の発表だった。

ロンドン五輪でメダルを獲れなかった言い訳ではないのか?という心ない批判もあったが、世界トップの選手だった水谷の告発は、卓球界内部だけでなく、数々のスポーツメディアでも報道され世界的な話題となる。

リオ五輪での大活躍

告発から半年後に国際大会に復帰した水谷は、ロシア・プレミアリーグなどで活躍。そして迎えたリオ五輪では、オリンピックのシングルスで男女通じて日本人初のシングルスのメダルを獲得。団体戦でもエースとして男子初となる銀メダルを獲得する。

シングルス3位決定戦や団体戦決勝で、これまで一度も勝ったことがなかった中国人選手に勝利した時に何度も見せた神がかり的なプレー。それは、今から卓球を始める子供たちが楽しいと感じられるように競技の公平性を求め、「自分は捨て石になってもかまわない」とも語るほどの覚悟で告発を行った水谷の卓球愛が導いたのかもしれない。

日本人初のオリンピック卓球シングルスにおけるメダリストとなった水谷は、その実力だけでなく、明るいキャラクターで数多くのメディアに引っ張りだこだ。今や日本卓球界を代表する選手の一人となっている。