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夢と感動と愛を与えた日本水泳界の偉人5人

2016 7/23 23:12
バルセロナオリンピック女子200m平泳ぎ金メダリスト岩崎恭子Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

紀ノ川で鍛えて前畑以来の感動を呼び起こした古川勝

古川勝の名前は現在の水泳ファンにもあまり馴染みがないかもしれない。だが、1956年のヘルシンキ五輪男子200m平泳ぎの金メダリストだ。生まれは現在の和歌山県橋本市。同じ町内には水泳界の偉人、前畑秀子がいた。前畑が日本中に興奮と感動を巻き起こしたベルリン五輪の年には生まれた古川が、20年後には世界の頂点に立ったのだ。

幼少の頃から紀ノ川で泳ぎ、次第に才能を開花させた古川。彼の名前を世界に知らしめたのは、何といっても「潜水泳法」。潜水を使えた当時のルールのもと、他の選手がスタートから20m程度で浮かび上がってくる所を、倍以上潜って金メダルの栄光を勝ち得たのだ。

驚異的な世界新を連発して夢をかなえた田口信孝

ふるさと愛媛に点在する「ため池」で泳いだ田口信孝は、驚くことに中学2年までプールで練習をしたことがなかったようだ。しかし、大学3年の折に出場したミュンヘン五輪の100m平泳ぎ準決勝では、1分5秒1という当時の世界記録を1秒近くも上回る驚異の世界新を叩きだした。

これをテレビで観ていた日本のファンは、一様に「ああ、勿体ない!準決勝と勝の2回に分けておけば」と思った。だが、そんな心配をよそに、決勝ではさらに上回る1分4秒9で堂々の金メダルに輝いた。また、独特のロケットスタートや世界の競泳ルールを変えさせた田口キックなど、数々の伝説を生みだしている。

1988年夏、16年ぶりに夢を咲かせた鈴木大地

鈴木大地といえば、なんといってもバサロ泳法。ソウル五輪決勝では「乾坤一擲」ただただ金メダルだけを狙い、スタミナ切れのリスクを恐れずにスタートから30mにも及ぶバサロスタートを決めた。ラスト10mを切ってからの息を飲むような熾烈なデッドヒート。

田口がミュンヘンで優勝したのは1972年。それから16年もの間、ほとんどメダルとは縁のなかった日本水泳界だったが、その暗雲をバッサリと払い落としてくれたのが鈴木だった。ソウル五輪選考会では専門外の100m自由形に出場し、見事優勝を遂げている。

マイケル・フェルプスに肉薄した愛のスイマー、山本貴司

北島康介が「兄貴のような存在の人」と慕う山本貴司は、大阪市住之江区生まれ。3歳の時から家の前にあったイトマン・スイミングスクールに入り、水に親しむように。

山本の選手生活での白眉は、2004年アテネ五輪200mバタフライ決勝だろう。後年、自身が語っているように「あそこが水泳選手としてのピーク」だったそうだが、ひとりで金メダルを通算18個も獲得したマイケル・フェルプスに迫ったあのレースは、多くの日本人に感動と勇気を与えた。

史上最年少、誰もが予想だにしなかった金ゲットの岩崎恭子

1992年バルセロナオリンピック女子200m平泳ぎで金メダルに輝いたのは、当時14歳だった岩崎恭子だ。

決勝戦前は、当時の世界記録保持者のアニタ・ノールトと比べ持ちタイムがあまりに違いすぎるめ「よく頑張って決勝に残った。えらいぞ中学生」という心境だった世間も、メダル獲得後は一遍。競泳史上最年少金メダリストということもあり、注目の的に。

岩崎がインタビューで発した「今まで生きてきた中で一番幸せです」という言葉は、あまりにも有名。