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輝かしいメダリストを育てた水泳の名コーチを紹介

2016 11/10 19:16
水泳
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Photo by dotshock/Shutterstock.com

オリンピックで金メダル。これはアスリートなら誰もが志す夢だろう。しかし、その夢は一人では叶えるのが難しい世界であり、良き指導者に巡り合えてこそ実現できる。今回は、水泳の名選手を指導してきた名コーチの存在について紹介していく。

北島康介、萩野公介を育て上げた名コーチ平井伯昌

アテネ、北京五輪において競泳2種目連続2冠を達成したレジェンド・北島康介選手やリオデジャネイロ五輪金メダリストの萩野公介選手を指導した名伯楽といえば平井伯昌氏だ。平井氏もかつては中学、高校と水泳選手だったが全国大会に出場できるような選手ではなかった。
コーチの道を志すきっかけとなったのは、早稲田大学水泳部に在籍していた頃に、選手からマネージャーへと転身したことだった。当時は水泳をやめたくなるくらい辛い出来事だったが、客観的に選手の素質を見抜く力が身につき、卒業後は東京スイミングセンターに就職して本格的にコーチの道を歩むようになった。

自身の経験ではなく一人一人にあった水泳の指導をする

平井氏は選手の指導にあたっては、自身の経験をそのまま選手に教えるではなく、選手一人一人にあった指導法を編み出していく。選手にはそれぞれ個性があり、思考や理解度を見極めながらプランを立てていき、指導に対する明確な根拠を示すことによって選手に勝利へのポジティブな思考も植え付けていく。
「選手の信頼を引き出すには結果を出させること」「現状をまっすぐ受け入れ、問題の根源から目を背けてはいけない」など、その発言はありがちな根性論ではなく理論的なアプローチに基づいているため、指導を受けた選手は平井氏に傾倒して付いていく。

練習と運で田口信教を金メダルに導いた徳田一臣

時代は1970年代までさかのぼり、72年のミュンヘン五輪の話になる。男子100メートル平泳ぎで日本競泳界に16年ぶりの金メダルをもたらした田口信教選手が師事したのは、広島市にあるフジタドルフィンクラブの徳田一臣監督だった。中学時代から田口選手を指導していた徳田氏は、広島県尾道市の三原第三中学校で熱烈なスパルタ指導を展開し、全国一の競泳強豪校にした人物だ。
しかし、その一方でトップ選手の勝負には運も絡んでくると田口選手に教え込み「一日十善」の精神を説く。人が嫌がるトイレ掃除を率先してこなし、食事の下ごしらえもこなす生活で運を味方につけた結果、田口選手は決勝のラスト25メートルで6人をごぼう抜きして逆転の金メダルを獲得したのだ。

リオ金メダルの金藤理絵を育てた名コーチ加藤健志

リオデジャネイロ五輪で日本競泳陣の主将を務めた金藤理絵選手が女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得したのは、記憶に新しいだろう。金藤選手を支え続けたのは加藤健志コーチだ。東海大学水泳部監督とJOCの強化コーチも兼任し、金藤選手を東海大へとスカウトした人物だ。
ロンドン五輪に出られなかった際に金藤選手は「水泳を辞めたい」と申し出たが、加藤コーチはそれを全く聞き入れなかった。「応援する人がいてくれるのになぜ辞める必要がある」と言い放ち、どん底だった金藤選手にあきらめない心を教え猛練習を課した結果、最高の栄誉をもたらすことができたのだ。加藤コーチ自身も競泳選手として活躍し、マスターズの50メートル平泳ぎ(40~44歳)では日本記録を叩き出している実力者だ。

数多くの水泳選手を育てた「イトマン」名誉会長の奥田精一郎

最後に紹介するのは、日本競泳界において数々の五輪出場選手を輩出した伝統のスイミングスクール「イトマン」の名誉会長である奥田精一郎氏だ。1920年生まれで、かつて水球日本代表にも選ばれ、従軍経験もある。
終戦後は一時家業を継いだが競泳のコーチに転身。高齢となってもなお千葉すず選手や山本貴司選手、寺川綾選手などの名選手を育て上げ、厳しい練習を課す一方で選手を怒鳴るだけではなく褒めることも使い分けながら指導する「言葉巧みの神」がコーチの理想と説いている。

まとめ

“勝つための徳を説く”“徹底した理論派”“選手のやる気を引き出す「言葉の神」。名コーチは選手を育て上げる過程もさまざまな特徴を持っていることがわかった。アプローチは違えど、選手の素質を見抜く目は確かで、選手とともに二人三脚であきらめない姿勢を植え付ける強さは名コーチに必要な条件といえるだろう。

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