日本の平泳ぎ選手といえば 北島康介
東京都荒川区に生を受けた北島康介が水泳を始めたのは5歳からだ。高校3年生で2000年のシドニーオリンピックに初出場し、100mの日本新記録で4位に入賞する。
その後の2004年アテネオリンピックと2008年の北京オリンピックでは、100mと200mで金メダルを獲得し、平泳ぎで史上初の2大会連続2種目制覇を達成致した。
また、北京オリンピックで彼が言った「チョー気持ちいい!」という言葉はその年の流行語にも選ばれている。2016年、リオデジャネイロオリンピック出場を逃したことで現役引退を表明致した。
北島康介の最大のライバルの名選手 アレクサンドル・ダーレ・オーエン
2008年の欧州水泳選手権で金メダルを獲得したアレクサンドル・ダーレ・オーエンは、男子の長水路(水路の長さが50m以上をいう。競泳では短水路、長水路別々に記録される。)でノルウェーに初めて国際大会のメダルをもたらした。また、ノルウェーの男子として初めて世界選手権でメダルを獲得、当時のノルウェーの長水路記録を更新したりと、ノルウェー競泳界にめざましい成績を残している。
2008年の北京オリンピックでは、100mでオリンピック記録を達成し、北島康介の連覇を脅かす存在だったが、結果、北島に次いで2位となったが、初めて競泳でノルウェーにオリンピックメダルをもたらすという快挙を成し遂げることとなった。
2012年、残念ながら合宿先のアメリカで急逝している。
最年少で金メダリストになった名選手 岩崎恭子
幼い頃、お姉さんの後を追い、水泳を習い始めた岩崎恭子。
1992年のバルセロナオリンピックで当時14歳だった岩崎はまったく無名の選手で、期待の星だった千葉すずや、当時の世界記録保持者と比べ、その時はまだタイムに差があった。しかし200mで当時のオリンピック新記録を打ち出し、見事金メダルを獲得。これは日本人として最年少記録だ。まだあどけなさが残る彼女がインタビューで語った「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という言葉が当時波紋を呼ぶ。
1996年のアトランタオリンピックにも出場したが、その後20歳という若さで現役を引退した。
イタリアの名選手 ドメニコ・フィオラバンティ
イタリアのドメニコ・フィオラバンティは、9歳の時に初めて水泳の競技に参加する。
2000年のシドニーオリンピックに出場して、100mと200mの2種目で金メダルを獲得した。これは、競泳ではイタリアにとって初めての金メダルだった。また、ヨーロッパ選手権では100mで2連覇を達成している。
しかしその後、遺伝性の心臓疾患にかかり、次のアテネオリンピックに出ることは叶わず、2004年に現役を引退した。
現在の日本の名選手 金藤理恵
広島県出身の金藤理恵は、インターハイで優勝するなど、高校生の頃から注目を集める選手だった。
2008年の北京オリンピックで、オリンピック初出場を果たし、7位入賞という結果を残す。翌年行われた日本選手権水泳競技大会とユニバーシアードでは優勝を果たしている。
その後も毎日黙々と練習をし、実力をつけ、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、ロシアのユリア・エフィモワを抑え、金メダルを獲得した。
まとめ
平泳ぎの5人の名選手を紹介した。
若くして引退を余儀なくされた選手や残念ながら煌めきを人々の心に刻み、夭折してしまった選手など心に残る選手が数多くいた。そんな名選手たちに思いを馳せながら、平泳ぎの競技を観戦するとより感慨深く感じられるのではないだろうか。