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荻野公介の輝かしい功績をご紹介~和製フェルプスと称される水泳選手~

2016 10/4 00:52
水泳
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Photo by Maxisport / Shutterstock.com

これからの水泳界を牽引していくと期待される荻野公介選手。
リオデジャネイロオリンピックで、見事メダルを獲得したことからファンになった方も多いのではないだろうか。
個人メドレーで金メダリストとなった荻野公介選手を詳しく知りたい方に、生い立ちや功績などを紹介していく。

荻野公介選手の生い立ちと水泳との出会い

1994年8月15日に栃木県小山市で生まれた萩野公介選手。幼少期には水泳だけでなく英語やピアノなどさまざまな塾に通っていた。その中で夢中になったのが水泳だった。
水泳は生まれて6カ月で始めており、幼稚園になった頃には才能に将来性を見出され、“選手育成コース”へと進む。幼少期の荻野公介選手は、3歳になるまでまわりの人が心配するほど無口な子どもだったが、水泳に打ち込む姿を知っている両親はまったく心配していなかったそうだ。

メドレーの基礎となった荻野公介選手が通った名古屋のスクール

栃木県で幼少期を過ごした荻野公介選手は、父親の仕事の関係で小学校1年生の夏から2年生の終わりまで愛知県名古屋市に在住。
名古屋でも水泳のレッスンを受けるため中村区にあるスイミングスクールに入ろうとするが、入校の条件があり、「自由型・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの四泳法が必須」だったため、バタフライの経験がなかった荻野公介選手は、猛特訓を重ねた。この名古屋での経験が、すべてのスタイルで泳げる荻野公介選手の基礎になったといっても過言ではない。本人も「名古屋時代がなければ今の自分はいない」と語っている。

さらに高みを目指した小学生から中学生時代の荻野公介選手

無事名古屋でスクールに入校し、小学校2年生でジュニアオリンピックに優勝、すでに荻野公介選手は“天才”とコーチから認められるほどの実力だった。 その後、3年生になった荻野公介選手は、名古屋から地元小山に戻り、さらに高みを目指すため御幸ケ原スイミングスクールに入校。競泳選手コースを選択し、世界へと羽ばたくため努力を続ける。
やがて中学へと進み、全国大会だけでなくアジア選手権でも活躍。日本記録を更新して優勝を重ねていく。

すでに世界レベルとなった荻野公介選手の高校時代

中学生までは得意な背泳ぎを中心に練習していたかが、高校生になると4つの種目を伸ばすためにバランスよく練習した荻野公介選手。そのため練習量も増え、1日8000mから10000mの距離を泳いだ。そんな荻野公介選手を見た御幸ケ原スイミングスクールのコーチから、「間違いなくオリンピックにいける選手」と言われるほどの上達を見せる。
そして、2012年に開催された日本選手権水泳競技大会で400m個人メドレーに出場。高校生の日本新記録をマークし、同年のロンドンオリンピック日本代表に内定。自身も尊敬する北島康介選手以来となる高校生でのオリンピック出場となった。

舞台は世界へと移りエースとなった荻野公介選手

高校生で初出場となったオリンピックでは、憧れだったマイケル・フェルプスを破り、男子の個人メドレー種目では日本人で初となる3位入賞。56年ぶりに高校生のメダル獲得となった。
そして2013年に東洋大学文学部へと進学。入学した4月に開催された日本選手権水泳競技大会では日本記録を連発。大会史上初となる5冠を達成して世界選手権のメンバーに選抜。世界選手権では自身も小学生時代からライバルと認める瀬戸大也選手が日本人初となる400m個人メドレーで金メダルを獲得。荻野公介選手も銀メダルなどの結果を残し、競泳界のエースへと躍り出たのだ。

まとめ

身長177cmと競泳選手としては決して恵まれた体格ではないだが、小さい頃から努力を重ね、オリンピックの金メダリストとなった荻野公介選手。
ライバルの瀬戸大也選手たちと共に、2020年に日本で開催される東京オリンピックでも活躍が期待されている。