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元横綱・若乃花、若貴の一人として大相撲界に残した功績

2016 9/14 09:42
若乃花 画像
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Photo by J. Henning Buchholz/Shutterstock.com

平成の初め、大相撲ブームを巻き起こした若貴兄弟について記憶にある方、知りたい方も多いと思う。
ここでは若貴の一人で、おにいちゃん横綱として人気を集めた若乃花について解説する。

相撲界きってのサラブレッド

元横綱若乃花勝は、1971年1月20日に東京都杉並区で生まれた。父親に元大関貴ノ花、伯父に元横綱初代若乃花を持つ、相撲界のサラブレッドだ。
明大中野中学、高校と相撲部に入り、高校生になるとメキメキと実力を付けてくる。しかし、弟(後の横綱貴乃花)の大相撲への入門に合わせ、高校は2年で中退。父貴ノ花の興した藤島部屋に入門する。 親方の子供から新弟子へ、同じ藤島部屋の中で自分の部屋から新弟子部屋へと、距離にしては少しの移動だったが、覚悟を決めた大きな一歩を踏み出すことになった。

そうそうたる顔ぶれの初土俵

藤島部屋に入門した若乃花は、1988年三月場所、若花田の四股名で初土俵を踏む。初土俵同期組は、弟の横綱貴乃花の他に、横綱曙、名大関と言われ通算勝利数歴代1位の記録を持つ大関魁皇など、そうそうたる顔ぶれだった。そして後年、花の63組(ロクサングミ)と呼ばれるようになる。
そんな中、翌場所には序の口で7戦全勝の優勝を飾り、十一月場所では三段目で全勝優勝と、順調に番付を上げていく。1990年三月場所では十両昇進、翌々七月場所では東十両2枚目で十両優勝を果たし、九月場所では幕内に昇進する。

史上初、弟貴乃花と兄弟横綱

横綱若乃花は実弟の横綱貴乃花とよく比較された。二人揃って初土俵を踏んだ頃は年齢差もあり、若乃花の出世の方が早く、幕下には2場所早く昇進する。幕下までで、若乃花の優勝2回に対して、貴乃花は優勝がなかった。
しかし、幕下から十両までの間に、二人の出世競争は逆転してしまう。若乃花の幕下通過7場所に対して、貴乃花は3場所しかかかっていない。そして新入幕、三役昇進、大関、横綱と最年少記録を更新しながら快進撃を続ける弟との差はどんどん開いていった。それでも若乃花は諦めない。1998年七月場所で横綱に昇進し、史上初の兄弟横綱を実現させた。

横綱曙との死闘を制して幕の内初優勝

横綱若乃花は、横綱になってからの優勝はない。それでも大関までで5回の優勝を数える実力派の力士だ。 初優勝は3度目の小結に昇進した1993年三月場所だった。この場所は8日目に大関武蔵丸に負けたものの、11日目を終わって1敗のまま12日目に横綱曙と対戦する。曙は既に3敗しており、これ以上負けられない。同体で取り直しとなった一番は気迫のすくい投げが決まり、大歓声の中で勝ち名乗りを受けた。この場所を境に三役にも定着、大関を目指す。
2回目の優勝は大関時代の1995年十一月場所だった。いよいよ横綱かと思われたが、翌場所は病気で途中休場し、綱取りは振り出しに戻る。3回目は1997年一月場所だったが、翌場所は怪我による途中休場と、うまくかみ合わなかった。
4回目の優勝は1998年三月場所14勝1敗、翌五月場所が12勝3敗で5回目の優勝を連続優勝で飾り、翌場所横綱に推挙される。

満身創痍で引退

若乃花と貴乃花の兄弟力士の活躍は多くの人の注目を集めた。若貴ブームと言われ社会現象にもなったほどで、相撲人気も急上昇を続けた。しかし、そのブームも若乃花の引退で終焉を迎える。横綱には昇り詰めた若乃花だったが、既に体は満身創痍だったそうで、結局横綱11場所目で引退する。横綱での成績は、皆勤が5場所、途中休場が3場所、全休が3場所と納得のいかないものだった。
最後の場所になった2000年三月場所は、4日目が終わって2勝2敗の成績だったが、5日目に新進気鋭の関脇栃東に敗れて引退を発表す。引退後は相撲協会には残らず、タレントやキャスターとしてテレビの道に進む傍ら、ちゃんこ鍋店の経営にも携わっていた。おにいちゃんと呼ばれ親しまれたキャラクターは今も健在だ。

まとめ

これまで相撲に関心のなかった世代や若い女性層にまで相撲人気を浸透させ、若貴ブームをつくった若乃花の功績は偉大だ。

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