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大相撲、大関稀勢の里の横綱昇進の可能性

2016 9/9 08:08
相撲
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Photo by J. Henning Buchholz/Shutterstock.com

大関稀勢の里にはなんとか横綱になってもらいたいと思っている方も多いのではないだろうか。
ここでは大関稀勢の里の実績を見ながら、横綱昇進の可能性を解説する。

高校野球から勧誘された中学校時代

大関稀勢の里寛(ゆたか)は田子ノ浦部屋所属の力士だ。1986年7月3日、兵庫県芦屋市に生まれ、龍ケ崎市を経て中学生の時に牛久市に転入、2002年に鳴門部屋に入門するまで牛久市で過ごしている。
中学生の頃は相撲には興味があったものの、部活動は野球部に所属し、ピッチャーとして活躍していた。当時から体は大きく、高校野球の名門校から声がかかったが、それほど上手ではないからと断っている。そして鳴門親方(元横綱隆の里)の熱心な誘いもあり、大相撲への道を選んだ。

史上2位の年少記録で十両に昇進

2002年に鳴門部屋に入門した稀勢の里は、三月場所で初土俵を踏む。翌五月場所は序の口で6勝1敗、七月場所は序二段で6勝1敗とまずまずのスターをきる。2年後の2004年一月場所では東幕下18枚目まで躍進して、7戦全勝の成績で幕下優勝を飾る。
しかし残念ながら、翌三月場所では入幕できす、東幕下筆頭に留め置かれてしまう。それでも奮起して5勝2敗と勝ち越し、見事十両昇進を果たした。この時、年齢は17歳と9か月で、これは横綱貴乃花の17歳と2か月に次ぐ史上2番目に若い記録だった。

新入幕までは順調も苦労して三役に定着

十両では2ケタ勝ち星はないものの、確実に勝ち越して3場所で通過、2004年十一月場所では新入幕を果たす。この時の年齢18歳3か月も、横綱貴乃花の17歳8か月に次ぐ史上2番目の若さだった。
その後は、2006年七月場所に小結に昇進するものの、3場所で平幕に陥落し、三役と平幕を繰り返す。やっと三役に定着したのは2011年になってからのことだった。そして2011年七月場所は西関脇で10勝5敗、九月場所は12勝3敗で殊勲賞、十一月場所は10勝5敗で技能賞を獲得すると、翌場所大関に推挙される。

大関での実績と見えない壁

2012年一月場所、稀勢の里は大関に昇進する。2004年の新入幕からまる7年、42場所をかけての昇進だった。42場所は大関昇進スロー記録の5番目だそうだ。新大関の成績は11勝4敗で、大関の合格ラインといわれる10勝以上はクリアした。
大関になってからの成績は、負け越しが1場所あるものの、概ね合格ラインに達している。不合格の代名詞クンロク(9勝6敗)が6場所、10勝5敗が7場所、11勝4敗が8場所、12勝3敗が1場所、13勝2敗は5場所もある。何回か優勝していてもおかしくない成績だが、優勝はなく準優勝が10回もある。まるで、見えない壁に優勝を遮られているかに思える。

日本人横綱への期待

大関稀勢の里の横綱昇進への期待は日増しに大きくなっている。それは日本人横綱待望論に他ならない。日本生まれの日本人が最後に横綱に昇進したのは1998年のことで、第66代横綱若乃花だった(第67代横綱武蔵丸は帰化)。しかし若乃花は2000年三月場所には引退してしまい、最後まで土俵を務めたのは第65代横綱貴乃花だった。1995年に横綱に昇進、8年間横綱を務め、2003年一月場所限りで引退する。
それから約13年、日本人横綱不在の場所が続いている。昇進でいえば約18年間日本人横綱の誕生はない。あと一息で横綱をつかめそうな大関稀勢の里への期待が高まるのは当然なのかもしれない。

まとめ

新十両、新入幕と順調に出世を重ねた稀勢の里だったが、大関昇進までは一転して遅い出世の方で名前が残ってしまう。
それでも、大関になってからは見事な成績を残してきた。今や、横綱への期待を一身に背負う立場だが、見えない壁を乗り越えることができれば、すぐにでも横綱になれそうだ。

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