「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

大相撲における大横綱白鵬の存在感

2016 9/9 08:08
相撲
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by J. Henning Buchholz/Shutterstock.com

大横綱に昇りつめた白鵬について、もっと知りたいと思う人もいるのではないだろうか。
ここでは、入門までの苦労と大横綱への道のりや実績について解説する。

横綱白鵬、お坊ちゃん育ちだった少年時代

第69代横綱白鵬翔は、モンゴル国ウランバートルの出身で、宮城野部屋所属、大相撲界をひっぱる自他共に認める第一人者だ。
父親はモンゴル相撲で何回も優勝をした国民的英雄で、オリンピックのレスリング重量級で銀メダルも獲っている。そして現役引退後は、体育学校を設立して後進の指導にあたる。当然家庭は裕福で、少年時代の白鵬は何不自由のない育ち方をしたようだ。
しかし、父親への憧れなのか、やがて日本の大相撲入りを目指すようになる。

横綱白鵬、入門までの苦労

日本で大相撲の道へ進むことに決めた白鵬は、同じ夢を持つ仲間と共に日本に向かう。2000年10月、白鵬15歳の時だった。所属部屋も決まらないまま、モンゴルの先輩旭鷲山を頼っての、少し無茶とも思える来日だった。
一緒に来日した仲間は引き取ってくれる相撲部屋が現れたが、白鵬だけはどこからも声がかからなかった。当時の白鵬は身長175cm、体重68Kgと細身で、とても力士として大成するとは思ってもらえなかったようだ。
諦めて帰ろうとした時、見かねた旭鷲山の口利きで宮城野部屋への入門が許される。

横綱白鵬、宮城野部屋に入門、そして関取へ

宮城野部屋になんとか入門できた白鵬だったが、稽古よりも体を大きくすることが優先された。
2001年3月場所で初土俵を踏むと、翌5月場所では序の口で3勝4敗と負け越し、スタートは決して順調ではなかった。それでも2003年11月場所、東幕下9枚目で6勝1敗の好成績を挙げると、翌2004年1月場所には念願の十両に昇進し、晴れて関取の仲間入りを果たす。
十両になってからの躍進はすさまじく、十両2場所目の2004年3月場所では13勝2敗を挙げて優勝、わずか2場所で十両を通過して新入幕を果たした。

横綱白鵬、大横綱への道

十両を2場所で通過して新入幕を果たした白鵬は、将来を嘱望される存在に変わっていた。初土俵から3年しか経っておらず、まだ19歳と1か月だった。この年齢での新入幕は、横綱貴乃花、横綱北の湖 、大関貴ノ花に次ぐ史上4番目の若さだったのだ。
その後、丸2年で大関に昇進。大関になったばかりの2006年5月場所で初優勝を果たすと、大関6場所目の2007年3月場所では2回目の優勝、続く5月場所でも連続優勝で第69代横綱に推挙される。
横綱になってからの活躍も目ざましく、2016年7月場所終了時点での優勝回数37回、うち全勝優勝12回、年間最多勝9回、横綱勝ち星709勝、幕内勝ち星903勝はすべて歴代1位で、平成の大横綱にふさわしい成績を残している。

横綱白鵬、引退後を考える

横綱白鵬は、実績を見ても、土俵態度から見ても、大横綱であることは間違いない。そんな白鵬だが、引退後の進路に関しては少し微妙だ。
過去に大横綱と呼ばれた大鵬、北の湖、千代の富士は親方になり、自分の部屋を持って力士の育成にあたった。また、ここに挙げた3横綱には一代年寄の特典が与えられ、親方株を手に入れなくても、自分の四股名で親方として部屋の運営が可能だった。
しかし、親方になるためには、日本国籍の取得が条件になる。モンゴルの英雄を父親に持つ白鵬が、日本への帰化を選ぶことができるのか、本人にとっても難しい選択になりそうだ。

まとめ

日本の大相撲にあこがれて海を渡った白鵬は、今や押しも押されぬ大横綱へと成長した。
これから記録をどこまで伸ばすか、目が離せない。

関連記事

おすすめの記事