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大相撲界の正統派小兵力士、横綱日馬富士とは?

2016 9/9 08:08
相撲
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Photo by Yuka Tokano/Shutterstock.com

番付最上位に君臨する、横綱の素顔を知りたい方も多いのではないだろうか。
ここでは小兵ながら真っ向勝負に徹する横綱日馬富士について解説する。

相撲大会で転機、日馬富士の少年時代

第70代横綱日馬富士公平は、モンゴル国ゴビアルタイの出身で、1984年4月14日に3人兄弟の3番目として生まれた。
モンゴル相撲の強豪だった父親の影響を受けて、兄弟同士で相撲に熱中する。少年期を過ごしたウランバートルの柔道道場にも通い、格闘技が好きな少年として育つ。
転機が訪れたのは2000年のことだ。大相撲で活躍していたモンゴル出身の旭鷲山の兄弟子にあたる旭富士(現伊勢ヶ濱親方)がモンゴルで開いた相撲大会で認められ、大相撲への道が開けた。

日馬富士、伊勢ヶ濱部屋に入門、十両までの軌跡

伊勢ヶ濱部屋に入門した日馬富士は、2001年1月場所に前相撲に登場し、初土俵を踏む。前相撲を1場所で通過し、3月場所では7戦全勝の成績で序の口優勝を果たす。
当時の四股名は安馬(あま)。大相撲におけるスタートは順調な出足だった。その後も比較的順調に出世を続け、2002年3月場所では三段目で優勝、翌5月場所では幕下に昇進、2004年1月場所では西幕下2枚目という難しい位置で4勝3敗と勝ち越し、念願の十両昇進を果たした。

日馬富士、十両から横綱への道のり

十両に昇進した後も、日馬富士は順調に番付を上げていく。十両に昇進した年の2004年9月場所では、東十両4枚目において11勝4敗で十両優勝を飾り、翌11月場所では幕内に昇進した。十両通過4場所は、まずまず早い部類に属す。
その後、2009年1月場所では大関に昇進し、同時に四股名も安馬から日馬富士に改めて横綱を目指す。そして2012年11月場所ではついに横綱に昇進した。昇進前の2場所は共に15勝全勝の堂々たる成績だった。

日馬富士はなぜ横綱になれたか

日本相撲協会のプロフィールによると、日馬富士は身長185cm体重135kgと決して大きい力士ではない。身長は力士の平均程度にあるものの、体重では下から数えた方が早いほどだ。加えて、日馬富士の前に朝青龍、白鵬と続けてモンゴル出身の力士が横綱になっていて、決していい環境とはいえなかった。実際、大関在位場所は22場所あり、これは4番目に長い記録だ。
それでも横綱になれたのは、天性の運動神経に加えて、自分の勝ち相撲の型を完成させたことにある。低い立ち合いから相手の懐に潜り込んで攻めきる。同じ体型の先輩横綱を研究して身に付けた自分の型が、ここ一番で力になってくれたのだ。

日馬富士の引退後

2016年7月場所において日馬富士は優勝した。成績は13勝2敗、自身8度目の優勝で、横綱になってからでも4度目の優勝だ。まだまだ優勝を目指して元気な土俵を見せてくれると思うが、力士にはやがて引退の時期が訪れる。力士を引退すると、親方になって後進の指導にあたるか、相撲をやめて他の道に進むかだ。
しかし、日馬富士が親方になるためには難関がある。大相撲の親方になるには日本人でなければいけないという規則があり、モンゴル出身の日馬富士は帰化しなければ親方にはなれないのだ。もう一つの道も簡単ではないが、日馬富士には絵という特技がある。また、法政大学大学院に合格して、法律や政策の勉強をしていることも有名だ。引退後には、美術の世界や法律の世界で活躍しているかもしれない。

まとめ

モンゴルで日本の大相撲にスカウトされた日馬富士は、持って生まれた運動神経と、自分の型を研究することで、横綱にまで昇りつめた。
今後の活躍が楽しみだ。

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