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誰もが呆然!大相撲で起こった奇跡の一番

2017 7/10 10:25
相撲
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Photo by J. Henning Buchholz/Shutterstock.com

白熱する大相撲の取組。毎回息を飲む場面があり、一瞬一瞬が見逃せない。 これまでの大相撲の歴史を振り返り、印象的な奇跡の取組を紹介する。

10分以上にも及ぶ死闘 魁傑関 VS 旭国関

1978年の春場所での奇跡。魁傑関と旭国関の戦いは、相撲ファンの中でも多くの人が語る熱戦だった。2人の三十路ベテラン力士の取組は、途中で水が入り中断。合計10分以上にもなる、まさに死闘とも呼べる戦いで、会場とお茶の間を熱狂させた。
一度それぞれが支度部屋へ戻り、一番(約10分)後の取り直しでは、両者はまた激い戦いを繰り広げ、魁傑関がすくい投げで白星を挙げた。まげも大きく乱れ、疲労困憊になった2人の姿は、激闘として今でも語り継がれている。
ふつう長くとも3分間ほどで決まる取組が多い中での異例の事態は、多くの相撲ファンを魅了した一番となった。

小泉首相のコメントとともに多くの人の記憶に残る奇跡の一番

2001年夏場所で行われた、貴乃花関と武蔵丸関の横綱対決。若貴フィーバー真っ只中の曙関、貴乃花関、若乃花関、そして武蔵丸関の4横綱時代の大相撲の盛り上がりは大変な人気だった。この場所で、開始から13日目まで全勝を突き進んできた貴乃花関は、14日目の武双山関との取組で右膝に亜脱臼を負ってしまう。千秋楽の出場を諦めざるを得ない事態に、多くの大相撲ファンが心配した。
そんな状態でも、平成の大横綱、貴乃花関は強行で戦いの場に。誰もが優勝は武蔵丸関になるだろうと予想していた。これぞまさに奇跡と呼べる優勝決定戦では、土俵に上がった貴乃花関が、亜脱臼していた右膝を回すと、上手にはまったのだそうだ。それでも右足をひきずりながら挑んだ一番。左からの上手投げで、優勝を勝ち取った。
小泉元首相のコメントとともに、日本中が大相撲に注目した年となった。

史上最年長の優勝力士 旭天鵬

大相撲史上初のモンゴル出身力士の1人として来日し、1992年の3月場所で初土俵を踏んでから23年もの歳月を日本の大相撲で活躍してきたモンゴル人力士、旭天鵬関。2012年の初場所では、栃煌山関と、現在の制度では初となる平幕同士の優勝決定戦に臨んだ。
この場所が始まる前には、師匠である大島親方が定年退職し、所属していた大島部屋が閉鎖。友綱部屋への移籍を経て初めての場所だった。5日目までは2勝3敗の負け越しだったが、6日目以降に10連勝という見事な快進撃を続け、栃煌山関との優勝決定戦では、強い当たりでまわしを取らせないシンプルな戦法で、見事に史上最年長となる37歳8ヶ月での優勝を果たした。
勝利の後の花道で、旭天鵬関、本人だけでなく、付き人や、弟弟子までもが、この奇跡に号泣した。

幕内・横綱勝星ともに歴代1位 横綱白鵬からの奇跡の金星

2016年に通算1000勝を記録、幕内勝星、横綱勝星ともに歴代1位の記録を持つ横綱・白鵬関とライバルの稀勢の里関。数多くの名勝負を見せてくれるこの2人の取組の中でも、特に印象深いのは、2013年九州場所、「平成相撲史上最大の金星」と言われる奇跡の一番だ。
2010年の初場所から63連勝を記録していた横綱・白鵬関は、歴代1位の双葉山関の記録69連勝を塗り替えることも期待されていた。アグレッシブに張り手を続ける稀勢の里関の戦いぶり、そして横綱を土俵下まで突き落とし、見事に手にした奇跡の金星は、とても印象深い一番だった。

「黄金の左」が制した伝説の一番 輪島

輪島関と北の湖関は良きライバルであり、多くの名勝負を残した。通算成績は輪島関23勝、北の湖関21勝と互角。「輪湖時代」とも呼ばれ、1975年から1978年の15場所の千秋楽結びの一番はすべて「輪島 VS 北の湖」。これは千秋楽の結びの一番の連続対戦回数で史上1位を記録している。
中でも伝説の取組として印象深いのは、1974年の名古屋場所。大相撲史上最年少で横綱昇格を目指していた北の湖関。14日目までは北の湖関が1敗、輪島関が2敗と北の湖関がリードしていた。結びでは強く攻め寄る北の湖関に対して、輪島関が左下手投げで勝利する。この取組で2敗同士の相星となり、両者は優勝決定戦へ。この一番でも、輪島関の右おっつけからの「黄金の左」が炸裂。見事に逆転優勝となった。

まとめ

大相撲史上印象深い「奇跡の一番」を紹介した。 最近では「相撲女子」と呼ばれる大相撲ファンの女性も着実に増えてきている。 次の場所では、どの力士が奇跡を起こしてくれるのだろうか。今後の大相撲も注目だ。