7月開催の名古屋場所なのに「夏場所」ではない?
名古屋場所が開催されるのは毎年7月。1958年から始まった名古屋場所は、相撲協会と地元の中日新聞が共催して行う。現在大相撲は年6回の本場所があるが、そのうち相撲協会以外の団体と共催で行われるのは名古屋場所だけだ。
7月に開催されるが、実は「夏場所」ではないということをご存知だろうか?大相撲における夏場所とは、実は「5月場所」を指す。その背景には非常に長い歴史があるのでここでは触れないが、「名古屋場所は7月開催だが、夏場所と呼ばれるのは5月場所」ということを豆知識として押さえておこう。
なぜ「荒れる名古屋」と呼ばれるのか?
最近の名古屋場所はしばしば「荒れる名古屋」と呼ばれる。相撲業界では、昔から「荒れる春場所(大阪場所)」という言葉があったが、最近ではこの「荒れる名古屋」という言葉も相撲ファンのあいだで使われるようになっている。
その理由は、名古屋場所における平幕優勝の回数にある。名古屋場所が導入された1958年から数えてみると、平幕つまり前頭の力士が優勝した回数は17回。そのうち名古屋場所が5回と最多を占めている。もちろん前頭の力士であっても実力さえあれば優勝してもおかしくはないのだが、やはり関脇以上の上位の力士と比べれば、その力の差は歴然としている。平幕優勝とはそれだけ珍しいものなのだ。過去最多の平幕優勝の舞台となった名古屋、まさに「荒れる」という言葉にふさわしい場所だといえる。
1989年〜千代の富士、亡き娘に捧げる感動の優勝決定戦
1989年の名古屋場所では、東西の横綱に北勝海と千代の富士がいた。北勝海は1987年に横綱に昇進したばかり。まさに脂が乗った横綱として角界をリードしていた。他方、千代の富士は昭和の大横綱として賞賛される力士ではあったが、全盛期を過ぎたベテラン力士だった。
同じ勝ち星で迎えた千秋楽の優勝決定戦。北勝海と千代の富士はどちらも九重部屋だった。同部屋の横綱同士が優勝決定戦を行うのは、長い相撲の歴史の中でも初めてのことだった。
勝負は千代の富士の勝利。この年の2月に生まれたばかりの三女が6月に他界していた千代の富士。亡き娘に捧げる涙の優勝は、今なお大勢の相撲ファンに語り継がれている。
1991年〜横綱大乃国、28歳の若さで引退
相撲ははっきりと勝ち負けがつく非情な格闘技。勝利に涙することもあれば、己の不甲斐なさに涙する力士もいる。横綱大乃国にとって、1991年の名古屋場所は悔し涙を流した舞台となった。
前年から体調不良などが原因で満足な成績を残せていなかった大乃国は、7月の名古屋場所に再起をかけていた。しかし、そこに立ちはだかったのが花の六三組の若貴兄弟と曙だった。幸いにも若花田、貴花田には勝利したが、曙にあっさり惨敗。そして最後の取組みとなった安芸ノ島戦でも、まったく良いところがないまま押し出されてしまう。
このとき大乃国は、自分の取組みを「明日につながらない、ダメな相撲」と悟ったそうだ。千秋楽を迎えられなかった大乃国は、28歳9ヶ月という横綱としては史上2番目の若さで土俵を去ることになった。
2010年〜賭博事件のため、名古屋場所の生中継が中止される
2010年5月、角界に激震が走った。現役大関をはじめ数十名の力士や親方が、野球賭博に関わっていたことが報道されたのだ。賭博を行ったとされる当人だけでなく、各親方や相撲協会の体質にまで国民から厳しい批判が寄せられた。
相撲協会側はこの問題をきわめて深刻にとらえた。賭博問題が報道されたのが名古屋場所を間近に控えた時期だったため、相撲中継を担当するNHKとも協議した結果、前代未聞の「15日間の取組みすべての生中継中止」を決定したのだ。
そのため、2010年の名古屋場所は、取組みの行われた夜にダイジェスト版が短く放送されるだけという、相撲ファンにとってはなんともさびしい結末となった。
まとめ
大相撲名古屋場所の名場面を紹介してきたが、良いことも悪いことも名古屋場所ではいろいろな出来事が起きていて、そのたびに相撲ファンを沸かせている。
これからも名古屋場所から目が離せない。