第1位~白鵬(優勝6回)
モンゴル出身、第69代横綱である白鵬は、同じくモンゴル出身だった朝青龍の引退後、たった一人で横綱の地位を守ってきました。
歴代1位をほこる幕内927勝を筆頭に、奇跡ともいうべき63連勝、4場所連続全勝優勝と、大相撲の数々の記録を塗り替えてきた偉大な横綱です。横綱になってからの通算成績733勝はいまも更新中です。
2016年からは、ケガなどを理由に不調が続いており、一部のファンからは「すでにピークはすぎた」との声も聞かれますが、まだまだ東の横綱として角界を引っ張っていってほしい存在です。
そんな白鵬は2008年から3年連続、そして2013年からもやはり3年連続で名古屋場所を制するなど、現役力士のなかで特に名古屋場所との相性が良いことで知られています。
第2位~千代の富士(優勝6回)
昭和の大横綱、千代の富士。「ウルフ」「小さな大横綱」などの愛称で国民的人気をほこった千代の富士でしたが、2016年7月、61歳の若さでこの世を去りました。あまりにも若すぎる死に、多くの相撲ファン、関係者が衝撃を受けたことは記憶に新しいところでしょう。
千代の富士は北海道出身です。「真夏の暑い盛りは苦手か?」と思いきやそうではありません。7月開催の名古屋場所でも歴代トップの優勝6回を記録しています。
千代の富士が名古屋場所を制したのは1981・82・86~89年。すべて80年代に集中しています。この時代の本場所記録を見ると、優勝力士に千代の富士の名がない年はありません。それどころか、年6場所のほとんどで千代の富士が優勝しています。
80年代に名古屋場所を観戦できた相撲ファンは本当に幸せです。「史上もっとも強い」とさえいわれた力士の姿を生で見ることができたのですから。
第3位~貴乃花(優勝4回)
貴乃花といえば、いまでこそ角界をリードする親方として知られていますが、現役時代は国内のすべてのスポーツ選手のなかでもトップ3に入る人気をほこった大横綱でした。
「角界のプリンス」と呼ばれた元大関・若乃花の子供として生まれた貴乃花は、兄の横綱・若乃花とともに「若貴兄弟」として角界の看板スターとなりました。
人気だけでなく実力も折り紙つきで、名古屋場所では95~98年と4回の優勝を記録。歴代6位となる幕内優勝回数22回は、まさに「平成の大横綱」の名にふさわしい輝かしい戦績といえるでしょう。
第4位~輪島(優勝4回)
往年の相撲ファンに「長く記憶に残る横綱は誰か?」とたずねれば、おそらく3人に1人は「輪島」と答えるのではないでしょうか。それほどに輪島という力士の存在感は抜きん出ていました。
輪島は戦績も立派ですが、何よりもキャラクターで多くのファンをつかんでいました。派手な女性関係や後先を考えない荒い金遣いで親方からはお叱りを受けていた輪島でしたが、ざっくばらんで人情味豊かなキャラは相撲ファンの拡大に多大な貢献をしたといえるでしょう。
そんな輪島ですが、名古屋場所では1974・76・77・79年と優勝を果たしています。この時期はあの北の潮が新人横綱として輪島の胸を借りていた時代です。70年代から続いてきた「輪潮時代」はまもなく終わりを告げ、80年の11月場所を最後に輪島は優勝から遠ざかり、そのまま引退。角界は、北の潮そして千代の富士という最強横綱の時代を迎えるのです。
第5位~大鵬(優勝4回)
2013年、一人の偉大な力士の訃報が飛び込んできました。「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉のとおり、戦後日本において、すべての国民から愛された偉大な力士が横綱・大鵬でした。
大鵬はウクライナ人の子供として1940年に樺太で生まれました。現在はロシア領ですが、当時はまだ日本の領土であったことから、現在でも日本人力士として公式に記録されています。
母子家庭だったため、大変貧しい子供時代を送った大鵬は、関取になってからも、他の力士があきれるほどの稽古によって実力をつけて横綱になった典型的な「努力型」の力士でした。
そんな大鵬が名古屋場所を制したのは、1961・62・65・66年の4回。この当時の角界には、「大洋(野球チーム)・柏戸・水割り」と称され、男性ファンの多いことで有名だった横綱柏戸がいて、女性や子供に大人気だった大鵬と良きライバル関係を築いていました。
まとめ
大相撲名古屋場所の歴代優勝力士を優勝回数順にご紹介しました。5人の横綱のなかで、いまだに現役でがんばっているのは白鵬だけです。日馬冨士や鶴竜の同郷力士に稀勢の里という日本人横綱が加わり、かつては絶対的な地位を有していた白鵬もうかうかとしていられません。白鵬は六度の優勝を記録している名古屋場所ですが、2017年ははたして優勝できるのか要注目です。